水燿通信とは |
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323号涅槃図を楽しむ |
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陰暦2月15日は釈迦入滅の日、つまり涅槃会(ねはんえ)の日である。この日、各地の寺々では涅槃図を掲げて法要を営む(現在では陽暦の3月15日に行なわれる)。 |
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涅槃図(涅槃絵)は、沙羅双樹の下で釈迦が入滅したとき、その周囲で弟子をはじめ鬼神、禽獣虫魚など多くの衆生が嘆き悲しむ様を描いたもの。彫刻もあるが、普通は掛け物仕立てになっている。寝釈迦、涅槃像は涅槃図の中心に描かれている釈迦入滅時の寝姿を指す。金剛峯寺の涅槃図が有名で、ここでは釈迦は体をゆったりと牀座の上に上向きで横たわり両目を閉じているが、右脇を下にして横臥する形のもの、目を開いているものなどもある。また、周りで嘆き悲しむ衆生の様も、全体に静謐な感じのものもあれば、天を仰いで慨嘆したり号泣したりと、誇張された表情のものもある。 |
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この涅槃図を詠んだ俳句には、釈迦の死を題材にしていながらなんとなくおかしくなるもの、俳味の感じられるものが少なくない。そこで今回は、不謹慎といわれそうだが涅槃図を詠んだ俳句作品を「楽しむ」ことにした。 |
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実は私は涅槃図の実物を見たことがなく写真や絵でしか知らないのだが、その限りではなんとも妙な感じの絵が殆どだ。80歳にもなっていまや死なんとして居る釈迦が、若い盛りの元気な人のように描かれ、しかも周囲の人々や動物に比して巨大なのである。 |
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しろしろと寝釈迦の顔の胡粉かな | 高浜虚子 |
永劫に肉体美なる寝釈迦かな | 菊池麻風 |
おん顔の三十路人なる寝釈迦かな | 中村草田男 |
象よりも大きく涅槃し給へり | 有馬籌子 |
涅槃図の釈迦法外に秀でけり | 相生垣瓜人 |
お涅槃のなほ薄目してゐたりけり | 東条素香 |
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無信心の私などには、これらの句は、篤い信仰心や悲嘆を詠ったような作品(あまり多くはないが)などよりは、ずっと正直に思え好感が持てる。〈お涅槃の〉の句は〈なほ〉の語が効果的に働いて、周囲の衆生は自分の死をどのように嘆き悲しんでいるかとそっと覗っているように表現されており、何となくなく生臭い釈迦を感じてしまう。「いや、死に臨んでもなお衆生のことを心配しておられるのだ」と反撥する向きもあろうが。 |
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涅槃図の中で断然興味を引くのは周囲の動物の悲しむ様であるが、それらを詠んだ俳句もまたなかなか面白い。 |
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酩酊に似たり涅槃にひた嘆き | 山口誓子 |
あふのけになりて獅子泣く涅槃かな | 野村喜舟 |
獣(けだもの)に青き獅子あり涅槃像 | 後藤夜半 |
涅槃図に象と蛇との泣くを見む | 相生垣瓜人 |
涅槃図や身を皺にして象泣ける | 橋本榮治 |
涅槃図の蟹は甲羅で哭きにけり | 木村富男 |
紋付けて蝶の侍れる涅槃絵図 | 内山芳子 |
涅槃図に泣かざるものを探しをり | 九鬼あきゑ |
涅槃図にしのび笑ひのうしろより | 伊沢良枝 |
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どの句も、図の中の動物と共に悲しくなるというよりは、俳句作者の皮肉な視点が感じられてなにかおかしく楽しくなってくる。〈涅槃図に泣かざるものを探しをり〉の句など、嘆き悲しむ衆生ばかりにうんざりしている作者が浮かんできて、おもわず笑いたくなる。最後の句は動物を描いたものではないが描かれたものを見ているうちにおかしくなって、周囲の人から不謹慎といわれるのを怖れながら、思わず含み笑いしてしまった人のことを詠んだものであろう。 |
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涅槃図の中には様々な動物が描かれているが、そのなかに猫はいない。仏母である摩耶夫人が、病気のわが子のために天から薬の入った袋を投げたが、沙羅の枝にひっかかった、鼠がその紐を噛み切ろうとしたが猫がその鼠を食べてしまったので薬袋が落ちず、釈迦の臨終に間に合わなかったという伝説があることから、通常猫は描かないということらしい。ただし、京都東福寺の涅槃図には猫もいるという。人間にとってもっとも身近な生きものであるだけに、その不在が気になる人も多いのだろう、次のような句がある。 |
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猫を飼ふ寺もありけり涅槃絵図 | 川端庸子 |
涅槃図の前をこの世の猫通る | 松本澄江 |
涅槃図に洩れて障子の外の猫 | 村越化石 |
ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず | 有馬朗人 |
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涅槃図は、余白など見つけられないくらい、いろいろなものがびっしり描かれているのが大半だが、敢えてその中の余白に着目した作品もあり、その眼の付け処はなかなか魅力的だ。 |
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坐る余地まだ涅槃図の中にあり | 平畑静塔 |
涅槃図の中流れゐる微風かな | 鈴木鷹夫 |
涅槃図の余白は風の哭くところ | 土生重次 |
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最後の涅槃図の余白を〈風の哭くところ〉ととらえた作品など、特に美しくすてきだ。私の好きな句である。 |
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この句は、安西冬衛の一行詩「春」の〈てふてふが一匹韃靼海峡を渡つていつた〉を踏まえた作品と思われるが、仏教発祥の地、釈迦の入寂した地である大陸に想いを馳せた、イメージが豊かに広がる魅力的な作品だと思う。 |
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ここでひとつ気になる句を紹介しよう。 |
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〈涅槃図の中に入る〉とはどういうことなのだろう。「涅槃図の世界に入る」つまり、釈迦の入滅を図の中の衆生とともに嘆きたいということなのだろうか。私にはどうもそのようには感じられない、というか、やや改まった気持ちで死に臨もうとしている作者を感じてならないのだ。用語からはそのように理解するのはいささか無理だとは思うのだが。 |
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秋澤猛の作品には〈囀れり此の世の朝でありにけり〉〈畠起す時亡き妻と並ぶなり〉〈日向ぼこする外はなしあの世では〉〈白魚を啜れば遠き山と川〉〈蕗の薹萌えて浄土と思ひけり〉〈白地着て別れに来たり秋の蝶〉〈コスモスのむこう向けるは泣けるなり〉〈雪囲ひとれば微笑の女人仏〉など、この世にありながら意識はこちらの世界にはない、死者の世界に懐かしさ・恋しさを感じている、というか生と死の世界が渾然としている句が多いように思う。私が〈咳一つ〉の句をそのように理解したくなるのは、おそらくそのせいだろう。いずれにしろ、よくわからないけれど魅かれる作品である。 |
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最後に、歳時記の涅槃会の項目(涅槃図・寝釈迦・涅槃像などを含む)では必ず取り上げられる、涅槃会の代表作ともいうべき作品を紹介したい。 |
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海近くの寺に掲げられた涅槃図、ここではこの世の生あるものすべてが、釈迦の死を嘆き悲しんでいる。一方、その近くの海では、鯛の群れが睦みあって海面も盛り上がるほどの豊かな生命力を誇示している。その生命力は、死を描いた涅槃図を圧倒するような勢いで句全体を覆い、豊かな生の世界を現出させている。俳句という極端に短い詩形を巧みに用いたすぐれた作品である。 |
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涅槃図を掲げた寺の堂宇の外では柔らかな春雨が降っている。涅槃図に描かれているのは、煩悩を解脱した涅槃の世界だが、そのまわりでは人間世界の雨が静かに降っているのだ。その雨を〈なつかしの濁世の雨〉と表現したところに、独特の俳味、あたたかさがある。煩悩多き人間世界をあたたかく見つめる作者のまなざしが感じられ、その世界に生きる我々もあるがままで肯定されたような幸せな気分になってくる。 |
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葛城山は大阪府と奈良県の境にある山。修験道の山として知られ、役(えん)の行者や一言主神の故事などでも有名で、奈良県高取町に生まれた阿波野青畝にとっては、小さいころから見なれた親しい山である。この作品は、葛城山の麓にある寺の寝釈迦像を詠んだものだとのことだが、あたかも葛城山の山ふところに抱かれて、巨大な釈迦がやすらかに横たわっているような感じがする。入滅の悲しみというよりは、ゆったりと抱かれたようなやすらぎを感じさせる句である。 |
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〈なつかしの〉〈葛城の〉の2句とも、阿波野青畝の代表的な句集『万両』(昭和6年刊)に収録されている。前者は『ホトトギス』大正15年11月号に載ったのが初出。当時、作者はまだ27歳の若さであった。後者の句は『ホトトギス』の昭和3年6月号が初出で、雑詠の巻頭に選ばれた。阿波野青畝は親しみやすさや俳味のある、しかも格調高い俳句を多くものしたが、ここで取り上げたものなどにもその特徴がよく出ている。 |
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(2014年2月10日発行) |
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発行人 根本啓子 |