水燿通信とは
目次

311号

『眼と風の記憶  写真をめぐるエセー』

鬼海弘雄著

 本著を読み終えたとき、「懐かしい」といった言葉だけでは表現しきれない複雑な感情が私を襲った。それを敢えて言えば、私自身も気づかなかった自分の身内についてのさまざまなことを白日の下に晒されたときに感じるようなどこか気恥ずかしく、また心奥に眠っていた幼い頃の感覚がじんわりと立ちのぼってきてあたたかくなにかしら切なくもあるといったような、さまざまな感情が入り混じった想いであった。
 本著は、写真家で『王たちの肖像』『や・ちまた』『しあわせ インド大地の子どもたち』など数々のきわめて個性的で評価の高い写真集を出している鬼海弘雄が最近出したエッセイ集である。仕事で度々訪れているインドやトルコでの体験・思いや、日々の生活で感じたことなどを綴っている。
 この本を特徴づけているのは、様々な場面でことあるごとに、山形県の内陸部にある醍醐村(現寒河江市)で過ごした幼い頃の記憶が入り込み、それがこれらの体験を厚みのある豊かなものにしていることである。言葉を替えれば、農家に育ち自然や田圃に親しく接して得た「土の記憶」が著者の基層に確固として存在し、それがものを見つめる著者の視線、思考に大きな影響を与えているといったほうが、より適切かもしれない。
 その鬼海弘雄の書いた文章に、なぜ私がこれ程までに感覚を揺さぶられることになったのか。実は私の故郷は、寒河江川をはさんで著者の生まれ育った醍醐村の向かい側に位置している旧高松村(現寒河江市)であり、中学校は著者と同じ、しかも殆ど同じ時期にそこで学んでいるのだ。
 だから著者の話には、あの時代、あの土地で過ごした者でなければ知り得ないことが色々書いてあり、私の心を揺さぶる。「だし」「おみ漬け」「青菜漬」「きざわし」「からかい」など、山形独特の食べ物の懐かしさ、また「アルミの薄い匙ですくい口いっぱい頬張ると、よくむせ」た「たなごめ」、香ばしくておいしいが「よく咀嚼をしないで飲み込むと、ギザギザの付いた脚が喉に引っかかって慌てさせられた」「イナゴの佃煮」など、よく特徴をとらえている。「子どもたちは干し柿独特の白い粉がふくまで待ちきれなくて、渋が抜けたばかりの吊し柿を勝手に引きちぎっては食べた。しばらくすると、どの家の軒下でも手の届く範囲の縄には、ヘタだけが突き出して残り、それがまるで上手に食べられた魚の骨のようになって寒い風に揺られていた」という光景は、どこの家でもよく見られたものだし、「バナナは当時は高級品で、大病でもしなければありつけない果物の王様だった。庭になったいびつな国光などとは、身分が違っていた」の最後のフレーズなど、正しく言い得ている。
 野菜や果物に関しては、例えば山形の里芋は格別で近所の「スーパーで売っている、ゴツゴツした舌触りが残る物とは別物」などと敏感な舌を示しながら、同時に魚肉ソーセージは「毎回食べた後、必ずもう買うまいと決心するのだが」、「今でもセールでスーパーの隅に赤いセロハンが束になっているのを見ると、つい買ってしまう」という、いかにもあの時代の子どもらしい著者の味覚。また「やばつい」「あがすけ」など、独特のニュアンスを含んでいて、容易に標準語に翻訳できない方言の数々……。
 だが、この本はこんな懐かしさだけで成り立っているわけでは決してない。より興味深いのは、著者が故郷醍醐村で得た「土の記憶」が、彼のものの見方に大きく影響を与えていることだ。
 いつも天気を気にし、「春先の畔塗りから、霜が降り出す晩秋の稲杭かたづけまで」の、機械化される前の決して手を抜くことの出来ないその苦労をつぶさに見、体験した著者は、水田に囲まれて育ったこともあって水のある風景が心底好きで、どの季節の雨にも魅かれ、雨や風の匂い、雰囲気にも敏感だ。また「何にもまして物価の基準は米の値段だった」地域で育った著者は、「昨今のマネーゲームなどのカネがカネを生む仕組みやブームなどは到底理解しがたい」と語る。そんな感性で著者は旅をし、人々を見つめ、情景を眺め、そして写真を撮る。
 なぜ著者はインドやトルコに魅かれるのだろうか。それは、これらの国の地方の小さい町や村の「まだ自然と共に生活し、物を大切にして、質素に暮らす人びとのたたずまいに、ふるさとの古い記憶がよく呼び起こされたり、懐かしさが共振したりするからだ」。
 そして著者はたびたび自らに問いかける、「しあわせ」とはなんだろうか……と。
 本著には著者の写真作品が幾葉かさしはさまれている。インドやトルコで撮られたものが大半だが、文とはまったく関係ないものでありながら、いかにもしっくりと本の中に溶け込んでいる。
 彼の写真集『しあわせ インド大地の子どもたち』(福音館書店 2001年刊)に、「しあわせとはなんだろう」という問いに、著者が自ら答えたような文がある。
 自然のめぐみをうけながら、つつましく暮らしている子どもたちを見ていると、そこに、ある「しあわせ」を感じるのはなぜだろう。ひとの暮らしのなかには、貧しいけれど、自然にすべてをまかせる生き方でしか育まれない、「しあわせ」があるのだろうか。それとも便利なものが豊かにあふれる暮らしには、べつの貧しさが生まれているのだろうか……。
 日本は、鬼海弘雄が子ども時代を過ごした昭和20〜30年代のあと高度経済成長期を経て、人びとの欲望は膨張し続け、現在ではかつては想像もできなかったような便利で豊かな社会となった。だが多くの人が「心のすみのどこかで『こんなはずではなかったのに……』という不安と軋みを抱えている」(『眼と風の記憶』あとがき)のが実情ではないだろうか。この先行き不透明な時代、土にしっかり根を下ろした考えのこの著者の言葉は、私たちに現代を生きる上での何らかの示唆を与えてくれているような気がする。
 なお、醍醐村での記憶を語ったものには、ほかに『印度や月山』(白水社 1999年刊) がある。
『眼と風の記憶』(2012年12月 岩波書店刊 2000円+税)
*
〈今月の1句〉
春は曙そろそろ帰つてくれないか櫂未知子
(『蒙古斑』平成12(2000)年刊)
 俳句総合誌『俳句』では2012年6月号で「100俳人の代表句」という特集をしたが、そのなかで見つけた句。一見、思わず笑ってしまった。特に説明の要はないだろう。ここには仕事も恋愛もそのほかのことも何もあきらめずに堂々とこなしている現代の女性がいて、実に痛快だ。俳句でこのようなことも表現できるのだと改めて思った。作者の弁を全文紹介しておこう。
 『枕草子』を読み返していたときに、ふと出来てしまった句。以前から、「なぜ、日本の女は男を引きとめようとしたり、未練たっぷりに描かれたりするのだろう」と不思議でならなかった。現代の女性ならば、「これからは私の時間。帰って」と願うことがあってもおかしくない。千年前を生きた清少納言もおそらく、今の女性に近い感覚を持っていたのではないか。愛着のある句のうち、この句は、端正な詩型に馴染み難い、字余りと口語調という二重苦めいた要素を持っている。しかし、名句とよばれることはなくとも、なぜか記憶に残ってしまう――それこそが自分にふさわしいのではないかと考え、この句にした。「色紙に書けない句」と言われることが、わが喜びでもある。

〈緊急報告〉
 東日本大震災から2年になる3月11日に報道された震災関係の番組のうち、私は、朝8時からのNHK―BSの海外ニュースのなかのフランス2(F2 一部は翌12日に報道されたものも交じっている)と、夕方のドイツZDFの報道、それに夜7時からのNHKニュースとを見た。以下にその内容を紹介したいと思う。記憶とメモによるものなので概してこのような内容だったということで、細かな語彙や表現の差があるかもしれないが、その点は容赦いただきたい。(海外ニュースはNHKのホームページでも見られるとのことだったが、実際には一部紹介されているだけで、F2の放送部分は全くなかった)
F2(キャスターの言葉)福島の被災地の復興は一向に進んでいないという印象だ。現地では除染作業が行なわれているが、住民は信用していない。だいたいこの除染作業というもの、土の表面を削り取るといういかにも原始的なやり方であり、汚染地域の広さを考えたらまるで歯ブラシで象の掃除をするようなものだ、しかも削り取った土の処分先が見つからず、袋に入れて積み上げられたままである。(福島県川内村の住民が避難する仮設住宅での取材)仮設住宅での生活は2ヵ年のはずだったが、現在のところでは永遠に続く感じだ。村は除染が完了したという地域もあるが、実際は4〜6マイクロシーベルトのところも含まれており、「完了」をそのまま信じることは出来ない。村は通行自由な区域と立入り禁止の区域に二分されており、国から「安全だ」と言われている地域でもほんの数百メートル行けば禁止区域になっているのが現状で、安心して住めるという感じではないし、帰宅すれば賠償は受けられなくなるという現実もある。廃炉までは何十年もかかり、事態はまだまだ収束していないという感じだ。
 だが、日本人の意識は二分されているという印象を受ける。国民の80パーセントは原発に反対の意見なのに、安全性が確保できれば原発は再稼働するという姿勢の安倍政権を圧倒的に支持している。国民の多くは「もう忌まわしいことは早く忘れたい。先に進みたい」と思っているのが本音のようだ。
 原発問題を世界規模でみると、アジア地域では中国は現在の16基から100基に増やす計画があり、韓国、インドなどもいずれは倍増する予定で、今後、汚染がもっとも進むのはこの地域と思われる、アメリカはもっとも多くの原発を有する国だが、福島原発事故以降、規制が厳しくなっており、足踏み状態、ヨーロッパには急激な変化はない。
ドイツZDF(福島原発で働いている現場担当者の話を取材)「事故を起こした原発は今のところなんとか落ちついているが、また大きな地震が来たらどうなるのか、とても不安だ。廃炉までは30〜40年はかかるし、汚染廃棄物の処理場も政府は決めていない」との話。まだまだ収束には程遠い状態だと感じる。
NHK(報道の仕方、内容を筆者がまとめたもの)NHKの午後7時からのニュースは普段は30分の枠で報道しているが、この日は1時間の特別枠を設けて報道している。
 まず、被災地で懸命にがんばっている人たちの話を中心に20分ほど報道された。仮設住宅での住民のふれあい、3人の子どもを全員亡くした父親の懸命に立ち直ろうとする姿、震災当日に生まれた子どもの親の「命があるだけで尊い」という話、東京で行なわれた追悼集会での遺族のけなげな決意表明、行事では福島で「みんなでそろって川内に帰りましょう」などそれぞれの願いを書いた沢山の灯篭を灯した、神戸では阪神淡路大震災の被災者が歌を歌って東北の人たちにエールを送った、ニューヨークでも追悼集会が行なわれ、同時多発テロの犠牲者の家族も出席した、などなど。つまり美談、美談のオンパレードなのだ。美談が悪いなどという気はない。だがあの比類ない災害を受けた人たちの皆がみな、懸命にがんばっている人だけなのだろうか、復興の遅れ、東電・政府の無責任・無策に対する怒りの声などは全くないのだろうか、少なくとも報道で見る限り、そのような声は聞かれなかった。
 20分過ぎからは現状報告だ。ここでは話を3つに分けてその最初は「進まぬ復興」。前半と違って、一見「厳しい現実を真摯に見つめる」姿勢で報道されているようにも感じられる。だがそこに一貫して流れているのは、津波・地震による被害も原発事故による被害も全く同じスタンスで、つまり「みんな自然災害、大きな不幸」という観点で報じられているということだった。原発事故は津波などとは全く違う、紛れもない「人災」ではないか。だがNHKの報道には、その視点はまったく欠落していた。あまりの偏った報道の仕方にとうとう耐え切れなくなり、30分過ぎたあたりでスイッチを切ってしまった。だから、そのあとのことに関しては、私は何かを言う資格はない。
 しかし、こんなものが大震災から2年経った時点での「日本の代表的なメディア」としてのNHKの総括なのだろうか。フランス2の除染に関する報道の中には、日本人に対していささか侮蔑的な視線を感じてしまう部分もあるが、それにしてもこの放送局やドイツZDFなどの報道とのあまりの隔たり、NHK報道の内容の貧しさに愕然とした。
 NHK は視聴者を馬鹿にしている、なめきっている。「忌まわしいことは早く忘れたい」(F2)のは日本人自体というよりも、国民をそのように誘導しているNHKなのではないか、そんな風に感じられてならなかった。
(2013年4月10日発行)

※無断転載・複製・引用お断りします。
発行人 根本啓子