水燿通信とは
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267号

春山深く迷ひけり

『遠野物語』デンデラノのことなど

 小説を書いている友人がいる。その最新作を読ませてもらった。そこに齢80になんなんとするおばあちゃんが登場する。このおばあちゃん、人付き合いが下手で地域の高齢者の集りなんかに参加するのも苦痛、家族に「体を動かしたら、運動したら」とうるさく言われるが、公園などで鶏ガラみたいに痩せた体でジョッギングしている年寄りなどを見ると、思わず顔を背けてしまうようなタイプ。そしてある舞踏家の書いた本に共感し、「人間の体はどこまでも柔らかくなれる。鍛えるのではなく溶かす。ぐにゃぐにゃしていれば転んでもぶつかっても大事には至らない。しゃっきりと立たなくても、へろへろゆらゆらしてればいいの」などとのたまう。このおばあちゃん、あるきっかけで突然「自分はこれからは一人旅を楽しむことに決めた」と宣言する。
「これはね、別に悲しいことではないんだから、気楽に聞いてほしいんだけど、ゆらりゆらりと乗り物に運ばれたり、ぶらぶらと歩き回ったりして、だんだん、あちらの世界にいく時期が来たのね。」
 このおばあちゃんに対して「世間的な付き合いを嫌がるなんていうのは傲慢では? 自分を何様だと思ってるんだ」という批判や「年寄りの一人旅なんて、危険だし傍迷惑だ」といった声がすぐ聞こえてくるような気がする。でも私は「う〜ん、いいなあ、こういう年寄り」となんだかうれしくなってくる。そして杉田久女の〈蝶追うて春山深く迷ひけり〉という俳句と感じが似ているなと思った。この句は久女晩年の作品でさほど有名なものではないが私は好きで、「水燿通信」4号(1990年5月1日発行)で取り上げ次のように述べたことがある。
 私はこの句に初めて出会った時、胸を衝かれる思いがした。これは久女の願望だったのではないか……。俳句に向かってひたすら精進を重ねてきた生涯。しかしその結果は、師に拒まれ友に去られ、肉親からも愛想を尽かされてしまった……。
 そんな久女が、孤独と狂気の中でふと静謐な心を取り戻したとき、蝶を追って春山深く入りついに行方不明になるように、美しく華やかに人々の前から消滅することを、夢想することはなかっただろうか。
 そうなのだ。久女は惨憺たる現世から、蝶を追って春山深く去っていったのだ。彼岸へ。無憂の彼方へ――。(久女の院号は「無憂院」)
 ところで俳句には、この世から訣別しようとしている句、現世から消滅していく様、想いを詠んだものが案外多い。
おぼろ夜に消え入るもよしひとり旅藤原照子
かぎろひの果てにこのまま消えなむか廣畑忠明
召されなば花野このままさまよひて原 柯城
この径にふつと消えたき野菊かな矢島渚男
百歳の黄泉路は花野分けゆくか楠田光子
繍線花(しもつけ)やあの世へ詫びにゆくつもり古舘曹人
竹馬に乗つて行かうかこの先は飯島晴子
帰りなん春曙の胎内へ佐藤鬼房
帰るべき山霞をり帰らむか小澤 實
木の実山その音聞きに帰らんか安東次男
冬麗の微塵となりて去らんとす相馬遷子
 こうしていくつか引用してみると、つくづく俳句という詩型のすごさ、奥深さといったものを感じてしまう。この世からの別れを詠んでいながら、これらの作品のどれにも嘆き、悲しみといったものはない。むしろある達観した余裕のようなものすら感じられる。おそらくそれは、たった17文字しか使えないという短さゆえ、表現したいことの大半を断念しなければならなかった末に俳人に与えられた恩寵のようなものではないかと思う。
 最初の4句などは、私の解釈による久女の作品と似たような発想のものと思われる。そして次の3句に感じられるなんという余裕。また〈帰りなん〉〈帰るべき〉〈木の実山〉では、死というものが懐かしいものへの回帰といった視点でとらえられている。
 最後の〈冬麗の〉の句は、医師だった作者が専門家の眼で自分の病気を冷静に見つめ、死期が近いことを悟って作ったものだといわれている。この句に接すると、まるでセットのようにして高浜虚子の〈大寒の埃(ほこり)の如く人死ぬる〉を思い出す。この作品について長谷川櫂がその著『俳句的生活』(中公新書)ですばらしい解説をしているので、紹介しておこう。
 この「埃の如く」の「埃」とは仏典に記された宇宙に偏在する無数の塵、それ自体一つ一つがまた広大な宇宙である塵である。人が死ぬと無数の塵となってあまねく宇宙に散らばる。宇宙のいたるところで今も刻々と起こりつつある無数の破壊と無数の誕生、変転留まるところを知らない物の姿の一つを虚子は余計な情を排して描いた。この非情こそが遺された者には同情や慰めよりはるかに深い安心である。
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 『週刊朝日』に連載されているコラムの中で、嵐山光三郎が「私はあり余る体力をもてあましているが、スポーツが嫌いである。体を鍛えすぎると徘徊するおそれがあるからだ」(2009年10月1日号?)と書いていた。なんだかおかしくなって、小説を書いている例の友人に語ったら、次のようなメールが届いた。
 徘徊については、多分、死期を予感した動物が住みかを離れるように、人間にもそのような動物的なものがあるのでしょう……。Mさん(舞踏家)とは、巡礼について、よく話し合っていました。聖地に向かうことは死出の旅であり、踊りながらいけたらいいねなどと。もともと、舞いは神にささげるものですから。
 徘徊に自らの死期を予感した動物が住処を離れることと同じようなものをみたこの視点に私は虚を衝かれたが、しばらくして深く納得した。そして確かに「呆けた」だの「徘徊している」などと言われている老人の中に、このような生物が本来持っている本能によって行動している例も少なくないのではないかと思った。
 勿論、現代ではこういった形で自らの生に終止符を打つことなどまったく不可能になってしまった。すぐ大騒ぎをされ捜索願いが出され、そして結局、無事(?)発見され保護されてしまうというのが大半であろう。だが果たして、それが本人にとって最も望ましく幸せなことだと言えるのだろうか。
 数年前、『遠野物語』の舞台となっている岩手県の遠野を訪れたが、そのとき蓮台野(デンデラノ)にも行ってみた。デンデラノに関しては『遠野物語』111に次のように述べられている。
 山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺及火渡(ヒワタリ)、青笹の字中沢並に土淵に、ともにダンノハナと云ふ地名あり。その近傍に之と相対して必ず蓮台野と云ふ地あり。昔は六十を超えたる老人はすべて此蓮台野へ追ひ遣るの習ありき。老人は徒(イタヅラ)に死んで了(シマ)ふこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊(ヌラ)したり。……
 つまりデンデラノとは一般に姥捨山と言われているようなところなのである。遠野にある山を少し登ったところに広がった平らな土地がその跡とのことだったが、驚いたのはそこから村の人々の生活がかなりはっきりと見下ろせることであった。『遠野物語』にもあるように、ここに来た老人たちは、ここで老人だけの共同体のような社会を作り、元気な者は里へ下りていって農作業の手伝いなどをして生活していたという。あまりの遠隔地ではこういった手伝いなどは無理だったのだろうかと思いつつも、デンデラノの人里とのこの近さには、里から遠く隔たったところにある姥捨山などとは違った意味でショックを受けた。
 高齢に達した老人を山中に捨てる習俗は、一般には口減らしのために行なわれたと言われている。おそらくそれはひとつの事実であろう。だがそのような見方しかできないだろうか。
 私は若い時分に健康を害し、以来、病院と深く関わった生活をしている。入院の体験も数え切れないほどあり、これまで様々な患者を見る機会も多かった。入院患者は高齢者が圧倒的に多い(少なくとも私の入院した病棟では)。なかにはかなりの高齢に達して寝たきりとなり、自分では食べることもできなくなった人、意識も無くなりただただ眠り続ける人も居た。こういった患者でも点滴などの医療を施すことによって、生き続ける。なかなか死には至らない。そのような患者を見るにつけ「現代では、どのような状態になっても簡単には死ねなくなったのだな。でも本人たちはこのようにして生き続けることが本意なのだろうか」ということをいつも考えさせられた。そんな私の眼からは、デンデラノはある別の積極的な意味を持ったものに思えてくることがあるのである。
 80代、90代の長寿の人が珍しくもなくなった現代と違って、60歳(70歳というところもある)に達した老人を捨てるという風習が行なわれていた時代は、60歳と言えば十分に生きた年齢であり、健康な人でももはやそれ以上長々と生き永らえる可能性はあまりなかっただろうと思われる。そのような年齢に達した人が自らの力で生きることができなくなった時、過剰な医療を施したりまた大きな苦しみを与えてまで生き延びさせようとはせず、尊厳を持って静かに死に至らしめる、そのような最期を迎えさせるための方策、それがデンデラノを設けたことの意味だったのではないか、そんな気がしてならないのである。
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 藤田湘子(しょうし)の作品に〈音楽を降らしめよ夥しき蝶に〉というのがある。名句、秀句の多い湘子の作品の中でも特に有名なものである。私には、この句は死ぬ間際を詠んだ作品のように思われてならない。蝶は「霊的存在の一時的に宿る移動手段と考えられていたらしい。西洋では蝶に死者の霊魂を見ていた」(夏石番矢著『現代俳句キーワード辞典』立風書房刊)などとも言われているから、このような理解もあながち妄想などとは言えないだろう。
 これまでの人生のなかで自分より先に逝った懐かしい人たちに迎えられ、美しい音楽の中で新たな世界に向かう……、現実の死の際の姿が生きている人たちからはどのように見えようとも、去り行く本人にとってこのような雰囲気の中で一生を終えられたらいいなあなどと思ってしまう。
〈魅かれた言葉〉「ためらってよ」
 岐阜県の飛騨古川という山深い地で用いられている、慈愛の思いを込めた別れの挨拶の言葉だという。「あけぼの」1月号(聖パウロ女子修道会発行)で紹介されている。同県奥美濃地方で育った友人にこの語について訊ねたところ「ためらって行っとくれ」(気をつけていらして)という別れの言葉は子供の頃聞いており今も同地方に残っているが、15歳以降に住んだ岐阜市、名古屋市では耳にしたことがないので、おそらく奥美濃から飛騨にかけての方言ではないかと語ってくれた。
 「ためらう」という言葉は忙しい現代では否定的に捉えられがちだが、この言葉の持つたゆたいにも似た独特のやわらかさ、つつましやかさや間(ま)といったものには、捨てがたい美しさがあるように思う。
(2010年3月5日発行)

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発行人 根本啓子