水燿通信とは |
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244号『ゼーバルト コレクション』から |
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W・G・ゼーバルト 1944年、ドイツ、アルゴイ地方生まれ。ドイツ文学を修め、各地で教鞭をとる。後イギリスに移ってそこを定住の地とし、イースト・アングリア大学の講師、教授を務めた。散文作品『目眩まし』(90年)、『移民たち 四つの長い物語』(92年)、『土星の環』を発表、ベルリン文学賞、ハイネ賞など数多くの賞に輝いた。遺作となった『アウステルリッツ』(01年)も全米批評家協会賞、アレーメン文学賞を受賞した。2001年、自宅近くで自動車事故に遭い死去。なお『ゼーバルト コレクション』は、白水社から刊行されたゼーバルトの作品集。全6巻のうち、これまで『移民たち 四つの長い物語』(第1回配本)、『目眩まし』(第2回配本)が出た。 |
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『移民たち 四つの長い物語』 |
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自分の意志で故郷を離れたにしろ、ある理由で故郷を奪われたにしろ、他郷に移住した男が死を迎えるまでの(第4話を除く)生涯をたどった四つの物語から成る。男たちは表向きそれぞれの地でそれなりに馴染んで生活しているように見えながら、何十年という長い時間を経て不意に破滅的な道をたどる(注意深く読めばその兆候はすでに早い時期からあったように感じられなくもないのだが)。人生のある部分で自分と関わりのあったこれら4人の男の生涯を、わずかに遺された物や彼らを知る人々の話、自らの記憶などを頼りにたどっていく語り手「私」もまた、故国を離れて異国で暮らす人間であり、その語る話は重くペシミズムに満ちている。 |
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作品を読み進んでいくと、話の背景にはいずれも「ユダヤ人問題」が通底しているのがわかってくる。ユダヤ人の心、精神に与えた影響、傷の大きさがひしひしと伝わってくる。最近『ポーランドのユダヤ人』という、ユダヤ人によって著わされたポーランド国内におけるユダヤ人の(大半は受難の)歴史を克明に記した本を読む機会があり衝撃を受けたが(当通信241号)、ユダヤ人自身の精神に与えた影響については、その本をはるかに上回るものをこれらの物語から得られたように思う。 |
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この作品は、一見事実に即してドキュメンタリー風に描かれたようにみえる。しかもそれを裏付けるかのように添えられた数多くの写真。だが、どの作品にも死者の幻影や、登場人物や語り手自身の夢や幻覚のようなものがふんだんに出てくる。時には登場人物の夢などが語り手自身のそれと渾然一体となったり、どちらとも区別のつかないものに感じられたりする。一体、どこまでが現実であり事実であり、どこからが仮想なのか。おそらく登場する男たちにとっても語り手にとっても、現実はそればかりを直視するには耐え難いものであり、このような世界を作り出したりそこに逃避したりすることによって、自らの心の平安を保ち得ていたのではないかという気がする。 |
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私事になるが、この本に出会う直前、私は脚の怪我で2ヶ月近く入院した。病院は患者の大半が80代以上の高齢者でかつ歩行の困難な人で占められており、さながら介護つき老人ホームといった様相を呈していた。下の世話をやってもらう人も多く、痴呆のため日夜を問わずわめいている人も少なくない入院生活は、私自身に待っているこれからの老いの日々にも思いを致させ、精神的に非常に辛く苦しい日々だった。だが退院して『移民たち』を読み、私の思いも変わってきている。この作品に描かれている4人の男たちの最期(第4話は死までは描かれていない)は、明るいどころか破滅的とすら言いたくなるようなものである。にもかかわらず、その様は意志的であり毅然としていて、どこか威厳をすら感じさせる。 |
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本著の解説で、堀江敏幸は「作家の極端なペシミスムが読者にかけがえのない幸福をもたらすとは、いったいどういうことなのか? ゼーバルトの小説を読むたびに、私はそう自問せざるをえなくなる」と述べているが、それに類した読後感を私は持ったのだ。 |
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『目眩まし』 |
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どこまでが真実、現実でどこからが仮想か、判然としないところはこの作品ではさらに強くなる(もっとも書かれた年代は本作品のほうが先である)。 |
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やはり4話から成る。第1話はスタンダール、3話はカフカに関わる話、2、4話は作者自身の話であり、この作品も事実に即して描かれているかにみえる。そして例によってそれを証明するように添えられた多数の写真。だが本作品にあるのは、いずれもどこかピントがずれたような鮮明さに欠けた古いセピア色のものと思わせられる態の写真である。これらの話はそして写真は、果たして本当のものなのか? 読者はどこかだまされているような感覚に襲われる。 |
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また、本文に出てくる数多くの目眩(めまい)、目眩(めくら)まし……。たとえば、脳裡に描いていた場面と事実として眼前に広がっているものとの落差がひきおこす目眩にも似た惑乱、すでに幽冥境を異にしている人が前を歩いているように感じる幻覚、またある都市で自分に視線を注いでいた2人を異なる場所でも見つけたり、少年カフカに生き写しの双子の少年に会い目眩をひき起こしたり……。しかも繰り返される記憶のあいまいさ。 |
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訳者鈴木仁子はあとがきで、原題の意味およびそれに含まれているニュアンスを考慮して日本語の題を『目眩まし』としたいきさつを述べた後、次のように続けている。 |
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苦し紛れではある。だがたしかに本著は、「目眩」についてであると共に、現実感の根拠を絶えず揺さぶるような「目眩まし」について書かれた作品でもあるのだ。 | |
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本作品には地名がふんだんに出てくる。これらの土地に関する知識を有していることは勿論、作品を味わうのには大いに役立つだろう。だが不案内な読者(私もそうだが)には、楽しむことは困難だろうか。私は必ずしもそうは思わない。作者の目眩ましに遭う度合いがそれだけ大きくなり、作品はいっそうぼんやりとした色合いを帯び、豊穣になる。しかも第4話「帰郷」などでは、自然環境、国情などまったく異なるにもかかわらず、私は東北の片田舎であるわが故郷――もう40年も前に離れて遠くなってしまった故郷――にも通じる陰湿さ、怖さをも含んだ雰囲気、そして限りない懐かしさをしばしば感じた。 |
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これはさまざまな技を使って摩訶不思議な世界を描いてみせた、一級の読書子をも満足させてくれる作品であると思う。 |
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〈今月の一首〉 |
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| 角(かく)吹きて踊るヂプシーの絵を見れば流浪といふも怡(たの)しきに似つ 宮柊二 | |
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高名なこの歌人の作品としては、知られたものではない。しかし先頃この歌を知って(大岡信「折々のうた」1月20日付朝日新聞)、ふと外国旅行をしたときのことを思い出し、取り上げたくなった。 |
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40代半ばになってから、よくヨーロッパに旅行するようになった。いつも夫とふたりの個人旅行で、ゆったりとしたスケジュールを組み、名所旧跡をめぐったりするよりも、街の広場などで1杯の飲み物を飲みながらのんびり人々を眺めたりして過ごすことの多い旅である。 |
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私は若い時分に夢中になった能樂の世界にある事情で訣別したが、未練を残して離れた世界だっただけにその後その欠落感に悩む時期が長く続いた。そんな時の外国旅行で、街中で往き来する人々を眺めながら「この人たちは、世の中に能などというものの存在することを知らない人が大半だろう。それでもこんなに元気に生きているのだ」、そんなふうに思ったことがいくどかあった。自分の心がやさしく慰撫されるのを感じた。また、広場などでは大道芸人がよく様々なパフォーマンスをやっていたが、彼らの屈託のないいかにも楽しげな様子を見ていると、人間に対するいとおしさが募り、ふと涙ぐみそうになることがあった。掲歌に接して、外国旅行でのそんなひとこまを思い出したのである。 |
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もっともこの歌自体は絵を見ての感慨であり、また宮柊二の第1歌集『群鶏』(昭和21年刊)の収録作品で、生き方も歌風も変貌し続けた作者の30代前半ないしはそれ以前の作品であることを考慮すれば、おのずから違った解釈が成り立とう。なお、〈怡〉は漢和辞典によれば@やわらぐ、A楽しむ、Bよろこぶ、C通る、などの意味がある。ここでは私は@Bの意味を微妙にからませつつ〈楽しい〉の意味に解釈した。 |
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(2007年2月20日発行) |
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発行人 根本啓子 |