水燿通信とは |
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237号入院して思ったこと大部屋の患者からのリポート |
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2月21日から1ヵ月ほど、入院した。歩道を歩いていて自転車とぶつかり転倒、腰部1ヶ所、胸部2ヶ所の骨折をしたことによる。もともと私は複数の病気を持つ療養中の身で入院の体験は多いのだが、大半は自由に歩ける状態の入院だったのに対して、今回はベッドからほとんど動けない状態が当初何日も続いた。そんなわけで、以前足を怪我し、ギプスをはめて1週間入院した経験はあるものの、今回の入院ではこれまでにない体験をいろいろとした。そんな入院生活のなかで感じたことを、大部屋の患者からのリポートという形で語ってみたい。 |
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〈病歴を尋ねられる〉 入院するとまもなく、患者のところに看護師(今回入院した病院では、たまたま女性だけだった)がやってきて患者本人やその家族の病歴を尋ねる。これまでどんな病気をしたか、現在かかっている病気はあるか、親、兄弟姉妹がかかった病気にはどんなものがあるか、その人たちは現在生きているかすでに死んでいるか、などなど。大部屋(四人部屋)だからほかの患者にも話の内容は筒抜けである。尋ねること自体は、患者を預かった病院としては欠かすことの出来ない大切なプロセスだろうから文句はない。しかしなぜ病室でなのか、場所を替えるくらいの個人情報に対する配慮がないのかといつも思う。入院早々味わう病院側のこの無神経さに、私はいつも心底腹が立つ。 |
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〈洗顔や歯磨き〉 まったく動けないのだから、食事はベッドの上半身部分を起こして何とか摂れたものの、顔や体を拭くタオルを自分で用意したり、歯を磨きに洗面所に行ったりすることは出来ない。ナースコールを押して必要なものを持ってきてほしいと頼めばいいのだが、実際のところこれがなかなか出来ない。あまり色々頼んではとつい遠慮してしまうのである。今回入院した病院では、毎朝、顔を拭くための熱いタオルを1枚、2日に1回はそのほかに体としもの部分を拭くタオルを2枚持ってきてくれるというシステムがあり、これは実にありがたかったのだが(このようなサービスは、少なくともこれまで私が入院をしたことのある3つの病院ではなかった)、なぜか入院して最初の数日これがなかった。つまりこの期間、私は自分から頼まない限り、顔を拭くことも手を洗うことも出来なかったわけである。そして実際私は、まったく顔を拭くこともないまま何日間かを過ごした。入院数日後、たまたま鏡に映った自分の顔を見た私は、鼻の頭に何か黒いふわふわしたものが付いていることに気がついた。よく見たらそれは汚れてはがれた古い皮膚であった。 |
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歯磨きに関して言えば、動けない患者に対してそれに必要な水や洗面器などを用意してくれるシステムを持つ病院は、私の知る範囲ではない。タオルの場合と同様、要求すれば持ってきてもらえるのだが、忙しそうに動き回っている看護師を見ているとなかなか言えないし(看護師は点滴や注射、血圧の測定などの任にあたり、歯磨き用の水だとかタオルなどはヘルパーが持ってきてくれるのだが、依頼するのはナースコールを通してで、つまり看護師を通さなければ何も頼めないのが実情。なおヘルパーのいない病院もあり、その場合はすべて看護師がやる)、終わった後の片付けもお願いしなければと考えると、さらに気が重くなる。結局、私は歯も磨かずに数日過ごした。何日か経って、私は面会に来た夫に頼むということを思いついた。変則的な時間の歯磨きになったが、これはいいアイデアだった。 |
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〈食事〉 病院の食事時間は、朝8時、昼12時、夜6時が普通だ。つまり、食事と食事の間の時間は、朝昼が4時間、昼夜が6時間、夜朝が14時間というわけだ。夕食が済んだあとは、患者は14時間食べるものにありつけないことになる。患者は痛い、苦しい、といった状態を抱えた上に、このような変則的な食事時間の配分にまず適応しなければならない。しかもその中身がまた問題だ。たとえば私の場合は、糖尿病食だから(10年以上前、体調をおおきく崩したときの薬の大量投与によってこの病気になってしまった)量が少ない。食事を含めての療養中の身だから買い食いなどはすべきでないし、大体動けないのだからそのようなことが出来るわけもない。また病院食は見ただけではわからないが、患者の病気によっては味付けなども、たとえば塩分を控えるなどの配慮がなされている。食べる楽しみは元気で生きるための大事な要素だと思うが、入院患者はその楽しみをほとんど剥奪されているといっていい。 |
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以前入院したときだったが、ちょうど夕食の時間に病棟の回診があった。そのときトレイの上に載った食事を見た担当医に、「へぇ〜、なかなかおいしそうですね。それに量もあって。僕ならこれで十分だな」と言われたことがある。糖尿になって間もない頃で、それまでなんでも好きでたくさん食べていた私は、糖尿食の量に慣れるのにとても苦労している時期だった。「先生、私には友達と付き合って飲んだり、宴会があったりすることもなければ、間食すら一切ないのですよ。それにこの糖尿食独特の味付け、一度召し上がってみたら」、そういう言葉をぐっと飲み込んで、私は黙るしかなかった。 |
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〈他人の痛みは分からない〉 病人をいつも間近で見ているとはいえ、看護師の多くは若くて元気のいい人たちであり、体調の悪い人たちの辛さや苦しみなどは必ずしもよく理解できているとは言えない。 |
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入院してすぐの頃はレントゲン写真、MRT、CTなどいろいろな検査が続いたが、このころはちょっと体に触られるだけでも激しい痛みを感じる時期でもあったので、検査のたびごとのベッドからの移動は本当にこたえた。あるとき、この患者(私)の移動は女性2人でも大変だということからなのだろうか、若い体格のいい男性のヘルパーがやってきた。彼はいきなり私を痛いほうの側から抱きかかえ運搬台(というのか?)に移した。その間ほんの数秒、しかし台に置かれた時、私はあまりの痛さに体が小刻みに震えて声も出ず、目には涙が滲んでしまった。 |
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またあるとき、女性の看護師が私の右足をぐいと動かした。左足にもろに響いて、私は思わず悲鳴をあげた。するとその看護師は「痛いのは左でしょう」ととがめるように言った。「そうだけど左にも連動しているから」と私が言うと、今度は「レンドウなんて言葉知らない。そんな言葉を使うなんて」とおこり出した。私も愚かしいことに「連なって動くって書くのよ」などと言ってしまい、更なる怒りを呼んでしまって、そのあと2度も「そんな言葉を使うなんて。そんな言葉知らない」と文句を言われてしまった。扱いは当然ながら荒かった。もちろんこんなスタッフだけではない。今回入院した病院では点滴や血圧測定などの専門的なこと以外はほとんどのことをヘルパーがやってくれたが、大抵は中年の女性であった。彼女らのなかには、年月を無駄には過ごしてこなかったと思わせられるような、いたわりに満ちた言葉をかけてくれる人がいたことも事実である。 |
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〈患者と会話するというカリキュラム〉 入院したのが3月、この時期は看護学校の学生が病院で実体験を積む時でもあるらしく、多くの看護師の卵(准看護師というらしいが、詳しくは知らない)が病院に来る。彼女(たまたま今回は女性だけだった)たちの学習のひとつに、患者との会話がある。(確か)週に3日、2週に亘って、ほとんど1日中1人の患者の話相手をするのだ。話の内容は自由。しかし入院患者は、60歳を過ぎた私でも「まだお若いんだから」といわれるほど高齢者が多く、一方学生は大半が10代、とても話が弾むとは思えない組み合わせである。お互いが気を遣いあって、無理に相手を持ち上げているような会話も少なくない。また実習も終盤になると実際に患者の血圧を測ったりもするのだが、そのときの言葉遣いが聞かせる。「血圧を測らせて頂いてよろしいでしょうか?」何たる丁寧さ。いや丁寧なのが悪いなどといっているわけではない。ただ、何年かあと現場で働くようになったとき、彼女らの言葉が「駄目!」「○○して」などというのが日常的になることを見聞してきた私には、いかにも白々しく感じられてしまうのだ。このカリキュラムは学生自身にとってずいぶんきついものらしいが、患者にとっても精神的に大きな負担である(病状が軽くて話が出来るなら相手は誰でもといいという患者も時には居ようが)。もちろん強制ではないのだが、断るにはそれなりのもっともらしい理由付け(あるいは度胸?)が必要だ。そして大半の患者は、断れなくて結局受けてしまうのが実情なのである。あちこちの病床から聞こえてくる患者と看護師の卵との会話を耳にしながら、私はふと、学生時代に何週間にもわたって行なわれた教員免許を取るための教育実習のことを思い出した。実習生の授業の進め方は不慣れで手際が悪く内容もあまり無いだろうから、受け入れる生徒たちにとっては貴重な授業時間が無駄になるだけという感じだったのではないだろうか、などといまさらながらに思ったりした。でも教師にならんとする学生にとっては重要で貴重な体験であった。ということは、看護師の卵にとっても患者との会話はおそらく大切な過程なのだろう。それにしてもさまざまな疾患を抱えて耐えている患者には、おおきな負担であるというのもまた事実である。 |
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〈安易に睡眠薬に頼る患者〉 今回はたまたま同室では見られなかったが、よく居る「薬に頼りすぎる入院患者」のことを話そう。入院している人は、病院や他の患者に迷惑をかけたりしない限り、日中何をやっても構わない。もちろん眠ることだって誰もとがめたりはしない。体調が悪くて横にばかりなっている患者も少なくないが、病状がそれほどでなくても日中に眠る人は結構多い。しかし病人とはいえ1日に眠れる時間には限度があるから、あまり日中に寝てばかりいると当然夜は眠れなくなる。ところが日中よく眠る(高鼾などかいて)人に限って、睡眠が十分とれているので夜の寝つきが悪くなるということに気がつかず、なにやら体調のせいにする。そして夜になると、看護師に「不眠症みたいなので眠剤をください」と訴える。私は以前から睡眠薬はもらわないことにしている。私とて眠れなくて辛い夜はある。でも2晩も不眠が続くと、3晩目あたりにはよく眠れるものだ。私はまだ自分の体がその程度にはまともに機能していると信じている。 |
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〈退院して思うこと〉 いろいろと入院患者としての不平、不満らしきものを述べてきた。しかしながら実際のところは病院のリズム、規則などをあるがままに受け入れさえすれば、入院生活もそれほど辛いものではなくなる。なにしろ何もしなくても3度3度の食事は支給されるし、自由に使える時間にもたっぷり恵まれるのだから。そのようなわけで、私はこれまで何度も入院したことがあるが、入院しているその時は辛いなどとはあまり思わずにきた。だがいったん退院してみるともう二度とあそこには戻りたくないと思うのも、またいつも抱く偽らざる実感である。 |
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〈最後に〉 結びに一言。今回の入院は約1ヶ月にわたったが、夫はこの間、暴風雨になった日と、自らの通院の日の2日を除いて、毎日面会に来てくれた。このことは今回の入院生活を振り返るにあたって、ぜひ言及しておきたいことだと思っている。今回の怪我は自転車とぶつかったことによるので交通事故の扱いであり、入院当初、夫は警察や役所への数度にわたる連絡や届出をしなければならず、また加害者側との話し合いもあり、さらに担当医師の病状に関する説明の聴取などにも時間を割かなければならなかった。仕事のほかにこのようなことをこなし、土、日曜日には掃除、洗濯などの家事もあるということで、我が家の近くの病院に入院したという好条件はあったにしろ、毎日の面会は時間的にかなりきついものだったのではないかと思う。それでも夫は毎日、新聞や郵便物、洗濯の済んだ衣類、私に頼まれた本などを持参して現れた。時には疲れきった表情で現れることもあったが、私の嬉しそうな顔を見ると「来てよかった」と思ったと言う。そして帰るときには穏やかな表情に戻っていることが多かった。夫のこういった行為には、夫婦の片方に何かあったとき、その相手が当然やるべきことをやっているという考え方が基本にあったようで、近親者(特に女手)や他の何かに頼ろうとする姿勢は最初からなかった(現在の我が家は夫婦のみ)。日本のこれからますます進んでいくであろう高齢化、少子化の社会を見据えながらある程度の年齢以上の夫婦の有り様を考えたとき(特に国の財政事情が厳しく高齢者にかける公的な医療費もなるべく少なくしたいという施策がいよいよはっきりしてきた現在では)、これぐらいの覚悟がなければ生き延びていけないのではないかと改めて思った。 |
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(2006年5月1日発行) |
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発行人 根本啓子 |