水燿通信とは
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228号

人生を振り返る視点

死ぬるまで私は歌人か、鶴(つう)みたいに羽を抜き続けそれでもいいか
河野裕子
 作者河野裕子(かわのゆうこ)(1946〜 )は1970年代はじめ頃から注目され始め、独自の用語や柔軟な表現によってゆるぎない評価を受けるようになった歌人。産む性としての女性の力に信頼を置く姿勢が顕著である。歌誌「塔」を、やはりすぐれた歌人である夫の永田和宏とともに率いている。なお河野は毎日歌壇の、永田は朝日歌壇の選者でもある。長女永田紅(こう)も歌人としてすでに確固たる存在となりつつあり、昨年は母裕子がかつて獲得した現代歌人協会賞を得、母娘ともに同一賞に輝いたということで短歌界の大きな話題となった。
 つまり、河野裕子は傍からみれば能力、環境、評価のされ方、その他どの面からみても歌人としては十分に恵まれているように感じられる存在なのである。にもかかわらず、彼女はこんな歌を詠っているのだ。私は歌人として一生を終わってもいいのか、「夕鶴」の鶴(つう)のように、自分の身を傷めつけ細らせるだけで終わっていいのか、という叫びにも似た悲痛なトーンのこんな歌を。
 もちろん、河野裕子は歌人であることが嫌だなどと言っているわけではない。ここには表現者としての業、宿命、苦しみといったものが表現されているとみるのが、順当な理解であろう。表現するということは、つまり己の中から何かを引き出し、神経をすり減らし、少しずつ身を細らせながら行なう行為なのだ(註)。それは充実感や喜びをもたらすこともあるだろうが、また辛く苦しい行為であることも多いように思う。
 ではなぜ人はそのような行為をなすのであろうか。それは自らの心の中の満たされない部分を埋めようとしてであり、そしてより本質的には、人間誰しも持っている自らを表現したいという欲求に衝き動かされてのことだとよく言われる。妥当なものであろう。
 しかしながら、この歌に表現されているものはそれだけであろうか。少なくとも私には、この歌には別のものもみえる。これは作者が自分の一生をふと振り返った時の歌なのではないか、今まで歌人として充実して生きてきたはずなのに、ふと兆したこの思いはいったい何なのか、そんな思いを歌ったのではないかという気がするのである。より若い時には、自分のやっていることの中味や方法、これからのことといったものに対して思い煩うことはあっても、自分の過去を振り返る形でのこういった感慨というものはまず持たないのではないか。作者も相応に年齢を加えてきたのだなというのが、この歌に接したときの私の思いであった。『家』(2000年刊)所収。
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頑(かたくな)に己をまもり来しことの卑しくもあるか木犀にほふ
杜澤光一郎
 この歌に出逢ったとき、私は自分の心の中が大きく騒立つのを覚えた。自分に納得できるように生きてきた、それが私の唯一の誇りだ、と思っていた自分の信念が揺らいだように感じられたのである。自分に正直に生きるということは、本当にそんなにも潔く立派なことなのだろうか。そんな想いが兆し、自分の来し方がふと虚しく思われた。
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短夜を書きつづけ今どこにいる  鈴木六林男(むりお)
 自分は短い夏の夜、時を惜しんで一心に書き続けてきたが、ふと気がついて、今自分はどこにいるのだろうと思った、ということであろう。「どこにいるのかという問いかけは、これでいいのかという自省に近い」(正木ゆう子『現代秀句』)という指摘は適切だと思うが、私はこれに加えて老いの意識もあるとみている。また〈短夜〉には、人生の短さに対する意識もあるように思えるのだが、どうだろうか。若い時分にはこのような自省は無縁だと言うつもりはないが、その味わいは老いの意識を加味することによって深まるように思う。『雨の時代』(1994年刊)所収。
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 今回取り上げたこれらの作品には、いずれもこれまでの人生を振り返る視点があり、それが作品の魅力を大きくしている。そしてそれらの味わいは、作品を鑑賞する側の人間が自らの老いを実感するようになってさらに深くなると言えよう。
 私は一昨年、還暦を迎えた。そのときに中学校時代の同窓会があり、初めての体験であったが参加してみた。会そのものは楽しいものだったが、話をしていて(当然ながら)私と同年齢である参加者の大半が退職後や老後に関心が向いていることにショックを受けた。それをきっかけにして、突然老いという意識が私の中で大きな位置を占めるようになった。30代の半ばに健康を害して以来ずっと療養生活を続けている私には、実はこれまで病気とどのように付き合うかが一番の問題で、それに比べれば老いの問題はほとんど意識に上らないほどの小さなことのように感じられていたのである。
 ところがこの老いの意識というものはなかなか厄介なもので、いったんとり付くとなかなか離れてくれず、いやおうなく生きる意味を考えさせ、人生を振り返らせ、これからの自分の生き方に対する思考を迫る。しばらくそのような時間を過ごしてみて、心惹かれる歌や俳句も微妙に変って来たように思う。そんな中からいくつか紹介してみた。
(註)三橋鷹女句集『白骨』自序に「一句を書くことは 一片の鱗の剥奪である 四十代に入つて初めてこの事を識つた」とある(「水燿通信」63号で触れている)。

「水燿通信」227号追記(読者の感想、批評に応えて)
 前号「億万の春塵となる 長谷川櫂著『俳句的生活』を読む」で、私は同著の第5章「捨てる」中のバーミヤン大仏爆破に関する部分を引用した。このバーミヤン大仏爆破に関する文は同章に収められた6つの文の中のひとつだが、この章の中で著者は、次のようなことも語っている。
*仏教は物にこだわるなと教える。仏像は自分自身がものとしての運命を背負っていることをよく知っていて、やがていつか自分自身も消滅するという大いなる悲しみと喜びのうちにたたずんでいる。
*いいたいことにこだわっていては俳句にならない……。いいたいこと、いいかえると自分自身へのこだわりを捨てることが俳句にとっては大事である。
*(〈大寒の埃の如く人死ぬる 高浜虚子〉の句に触れて)この「埃の如く」の「埃」とは仏典に記された宇宙に遍在する無数の塵、それ自体一つ一つがまた広大な宇宙である塵である。宇宙のいたるところで今も刻々と起こりつつある無数の破壊と無数の誕生、変転留まるところを知らない物の姿の一つを虚子は余計な情を排して描いた。この非情さこそ遺された者には同情や慰めよりはるかに深い安心である。
*「惜しむ」とは花にしても月にしても露にしても、また仮に人であっても、それがやがて消えてしまう運命にあると知りながら愛することである。花や月や露や人との残された時間を楽しみ、名残を惜しみ、面影を懐かしむ。形あるものはいつかは壊れると承知したうえで形あるうちを楽しむ。物にこだわらないとはそういうことである。
 こういった文を読むと、著者は悠久の時間の中ではすべてのものが変転するという事実を見据えた上で思考していることがわかる(この視点は本著全体を貫いているものでもある)。このような時空の広がりのある思考は、私の共感し惹かれるものであるが、著者はこの立場からバーミヤン大仏爆破に対して大勢と異なる見方に至った。非難一色の中でこのような考えの人が居たということに、私は心強く感じるものがあった。そこでこの文を紹介したのである。
 それにもうひとつ私の中に、物の価値に絶対などというものはない、時間的にどこに判断の基準を置くかによってもそれは変わってくるという思いもあった。今からみれば「大規模な自然破壊」によって造営されたと思われるバーミヤンの大仏を、当時の人々はどのような思いで眺めたのだろうかといったことを想像してみたりもするのである(勿論、だからこの大仏は価値が無いなどと言っているのではない)。
 ニューヨーク、ツィンタワービル等の連続爆破事件に対してスーザン・ソンタグが書いたことは、私にはまともなことに思える。しかしこの発言は、国中が大きな受難の思いに浸り切っていた当時のアメリカで物議をかもし、彼女は国中の罵声を浴びることになったのである。
 我々は自由にものを考え発言できる社会に居るように思っている。だが本当にそうだろうか。実際はメディアに依る世論の操作は思いがけない範囲にまで広がってきているのではないだろうか。私はそう問いかけたかったのである。決して爆破や破壊を賛美したり肯定した訳ではない。
 なお、『大仏破壊 バーミアン遺跡はなぜ破壊されたか』(文藝春秋刊)という本が2004年12月に出版されている。著者はNHKディレクター高木徹。アルカイダやタリバンの動き、大仏破壊を阻止しようと動いた国連・NGO関係者や各国政府の動向を、わかりやすく切れ味のいい文で描いた好著である。ただ、要職にある人物の発言だけでなく、アルカイダやタリバンの無名兵士の声なども聞くことができれば、より重層的な内容になったのではないかと思った。
(2005年4月25日発行)

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発行人 根本啓子