水燿通信とは |
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226号土蜘蛛の裔とはよくぞ |
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宇多喜代子は『現代俳句パノラマ』のなかで津田清子の〈栗甘くわれら土蜘蛛族の裔〉という俳句について書いているが、取り上げた津田の俳句もこの文も、実にさばさばと潔く痛快なものである。少し長くなるが引用してみよう。 |
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まことに豪快な句で、かつての津田清子に宿命的についてまわった橋本多佳子の名、山口誓子の名がふっ飛んだような句である。制作は昭和五十九年、この頃からの句に一種の開き直りのような大胆さが見られるようになったことも津田清子の近年のおもしろさである。この頃からの作品、句集で言うなら『七重』の収載の句になるが、このおもしろさには読んで心の憂さばらしができると言ったところがあった。この句はそんな句群のパイロットのような句である(註)。 |
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栗の甘さをうれしく思う人がしだいに少なくなっている。焼くか、茹でるか、煮るか、という加熱を必要とし、堅い皮を剥(む)きさらに渋皮を剥くという手間をかけねば食べられぬのが栗である。その過程が秋の楽しさをじわじわと知らせてくれるのだなどと言っても、もっと手っとり早くおいしいものがある世の中、あれこれ言えば愚痴になる。その栗の甘さに嬉々としている一族の裔、それがわれら土蜘蛛族であると言うのだ。わくわくする血流の系譜ではないか。…… |
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| 青麦畑偶像もなし墓もなし |
手花火や一粒の麦死なずして |
山桜ひたすら散つて己れ消す |
雪の田の一本の杭記憶せよ |
わが耳朶に光るは蝶の卵なり | |
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句集『七重』のこれらの句はことごとく上掲の句と脈を同じくしている。強い誰かと徒党を組んで世俗の栄達をものにしたいという気配をこれっぽっちも感じさせない脈である。「土蜘蛛の裔」とは孤高の裔の喩(たとえ)と思ってもよい。……もし津田清子が真実「土蜘蛛の裔」であったとしたら、たとえば橋本多佳子と同じ線上で評価することにはいささかの違和がある。むしろ抜け出たところを評価したいと思う。…… | |
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津田清子(大正9〜 )といえばかつては何を措いても「橋本多佳子の弟子」であった。多佳子と清子の出会いは昭和23年1月、奈良の多佳子の自宅で行なわれた「七曜」の初句会だが、このとき清子は短くて弾力のある俳句という詩型の魅力に衝撃を受けたが、「それ以上に多佳子の美しさに驚いた。……私は魔法にかかったように、この不思議な俳句の国に、そのまま永住してしまった」(『わが愛する俳人』)のだという。それからというもの多佳子の傍らにはいつもぴったり寄り添う形で清子がいた。そして多佳子について書かれた清子の文は、多佳子の美しさを讃えることに最も力を注いでいるかにみえた。たとえば『わが愛する俳人』では「浴衣姿と言えば、すぐにあの美しい素足を思い出す、それは、なまめかしい女の足などという俗な想像を絶して、およそ人間ばなれのした美しさだった。生まれたての赤ちゃんの足、地を踏んだことのない天女の足。夏、それも家の中でしか見られない秘宝のような素足」といった有様である。 |
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だが津田清子の多佳子に対するこの傾倒ぶりにも拘らず、清子の俳句は一貫して多佳子のそれとは大きく異なる感じのものばかりのようだというのが、私の最初からの印象であった。清子の作品は何かさばさばとした即物性や潔さがあり、多佳子の作品に強く感じられる女性ならではの情念やナルチシズムなどは皆無といっていいからである。残念ながら、この見方は必ずしも一般的ではない。清子の俳句に彼女が師事していた山口誓子や多佳子の影響があるとする見方はなかなか根強いのだ。ところが冒頭で引用した宇多の文は、この点に関して私と同様の考えを明快に言い放ってくれたのである。 |
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〈栗甘くわれら土蜘蛛族の裔〉の句に戻ろう。とにかく〈土蜘蛛〉がいい。一般には大和朝廷の発する政令に服従しなかった土着の民のことを土蜘蛛というが、清子がこれを選んだのはこの語のもつ土着性が、大和に生まれずっとそこに暮らしている彼女の感性に合ったからだろう。しかも反逆というよりは不服従といった土蜘蛛の姿勢の不徹底さやその相貌の醜さなども、おそらく清子の是としたところであったと思われる。そして決して洗練されているとは言いがたい食べ物である栗との取り合わせ。その栗の甘さを嬉々として味わっている一族を見て「われらこそ土蜘蛛(つちぐも)族の裔(すえ)よ」と言ってのけたのである。 |
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開き直りにも似たたくましさ、明るさ、自信といったものを感じさせる句である。そしてそんな句を取り上げ多佳子と清子の違いをズバリと言ってのけた宇多喜代子の文のこれまた潔い痛快さ。まさに読者にとって「心の憂さばらしができる」というものである。 |
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私はこの〈土蜘蛛〉の句を宇多喜代子のこの文ではじめて知った。読み終えたとき私は土蜘蛛の裔とはよくぞ言ってくれたとすっかりうれしくなり、私のまわりに激しく降る雪を夢想した。盛んに降る雪の中を駆けてみたいと思った。この気分のよさ、うれしさを表すにはそうするのが一番ふさわしいように思われたのだ。土蜘蛛の裔とはよくぞ雪よ降れ。 |
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もちろんこれは雪国に育ち、長じて東京に住むようになり、それから長い年月が経って故郷も遠くなってしまった私のきわめて個人的な感慨である。 |
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(註) | 〈栗甘くわれら土蜘蛛族の裔〉の句が収録されている句集名は、注意深く読めばそうではないのだが(はっきりとは言及されていない)『七重』とも取れる文脈になっている。確認のために記しておけば、この句は昭和63年に刊行された『葛ごろも』に収録されており、その掉尾句になっている。なお『七重』は平成3年刊。 | |
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* | 『現代俳句パノラマ』 夏石番矢・齋藤愼爾・宗田安正編 1994年 立風書房刊 |
* | 『わが愛する俳人』第一集 1978年 有斐閣刊 | |
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(2005年2月15日発行) |
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発行人 根本啓子 |