水燿通信とは
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224号

飯田龍太の落葉の句

手が見えて父が落葉の山歩く (『麓の人』昭和40年刊)
 木々がみな葉を落としている時期だから、落葉の山を歩いている父親の姿は全体が見えるはずだ。それをあえて手だけに焦点を当てたところが秀逸だ。この表現によって、遠くに居る父親の姿が鮮明にリアルになる。実際は「早春の午下がり、裏に散歩に出ると、渓向うの小径を、やや俯向き加減に歩く姿が見えた。……明るい西日を受けた手だけが白々と見えた」(『現代の俳句』3 『自選自解 飯田龍太句集』昭和43年白凰社刊)ということで特別な工夫を凝らしたのではなさそうだが、俳句という詩形はときにこういった僥倖を作品にもたらす(註1)。
 長谷川櫂は「露の構造」という飯田龍太論(「俳句研究」平成2年5月号掲載、花神コレクション(俳句)『飯田龍太』に再録)で〈鶏鳴に露のあつまる虚空かな〉を例にとって、龍太の句風を次のように述べている。
 露が意志のあるもののごとく描かれたことで、この句は単なる気象現象とは別の次元の世界を抱えこむことになった。
 すでにこの世にない人々、あるいは、まだ生まれていない子どもたち――何も人間だけに限る必要はない。死後未生の鳥獣、草木たちの魂――その類の虚空に溶けこんで宇宙全体にあまねく広がっているものが集まってくる。そう読める。……死は冷えの感覚を伴って現われる。逆にいえば、冷ややかなものが句によまれるとき、龍太は死を感じとっている。……龍太の俳句をよんでいて、澄み渡っているが、その奥に山塊のようなものがあると感じる――その山塊のようなものとは、突き詰めてゆけば、このような死に対する冷ややかな思いなのではないだろうか。
 すぐれた視点だと思う。龍太の作品によく感じられる澄んだ冷ややかな感じは、彼の住む山梨県東八代郡境川村(現南アルプス市)の澄んだ空気のせいだとよくいわれるようだが、単にそれだけではないだろう。そして私は〈手が見えて〉の句にも、長谷川の指摘するような特徴を感じる。父親の姿が鮮明に感じられる一方で、この景にふっとこの世のものでないようなひんやりとした怖いものをも感じてならないのだ。それがこの句の父親の姿に深い孤独感と老いを感じさせる大きな要素になっているのではないかと思う。
 父飯田蛇笏は昭和37年10月に死去する。龍太はそのすぐ後に「父の死」の前書きのある1聯10句を作った。次のような作品から成り、同じ『麓の人』に収録されている。
秋空に何か微笑す川明り
遺されて母が雪踏む雪あかり
鳴く鳥の姿見えざる露の空
ねむるまで冬瀧ひびく水の上
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落葉踏む足音いづこにもあらず (『忘音』昭和43年刊)
 落ち葉を踏む足音を今はどこにも聞くことができない、という。豊かな自然の中で、ある人の落ち葉を踏む足音をいつも聞いていたのだろうか。身近な人を亡くして間もない頃の作品のように思われる。
 父蛇笏死去の3年後になる昭和40年のやはり10月、今度は母が胃がんで亡くなる。この作品はその死後間もなく作られたもので、『忘音』という句集名はこの句に拠るという。
 龍太は『自選自解 飯田龍太句集』の中で、この句について次のように述べている。
 どこかで活字になり、思いがけず出遭っても、素直に読める作品のような気がする。それがただちに作品の高下を決することにはならぬけれども、こういう句は、自分自身のために大事にしておきたい。言ってみれば白いご飯をみつめながら、ひとりで静かに食べているような気分だ。
 なお、「自作ノート」(註2)には亡くなる直前の母親と龍太とのやりとりが載っている。いい話なので、それを紹介してこの文を締めくくりたい。(この句を取り上げた理由は、句それ自体もよかったが、この話も紹介したかったのである)
 亡くなる日の朝、私を病床に呼んで、お父さんはああいう仕事で一生をおわりながら、わたしには俳句のことも文学のこともすこしもわからず、申訳ない。それだけがいまなお心残りだ、と云う。そんなこと気にしなくてもいいだろう。世間ではそうはいっていないようだよ。まあしかし、死んだ亭主に自分は完璧の奥さんだったなんて考えるのは手こぼしのある証拠で、尽しても尽しきれなかったと思う方が立派じゃないかな、と云うと、いかにもうれしそうに微笑し、それから間もなく昏睡に陥ちた。
(註1)関川夏央は『現代短歌 そのこころみ』の中で「「読み」は、他者による詩の物語の「発見」でもある。本人の「つもり」より、当然のことながら、本人の気づいてない物語のほうがおもしろい。「自解自注」はつまらない。短歌に限らず、言語表現とは本来そういうものなのであろう」と述べている。ということは私が述べたようなことは俳句に限らないのだろうか。
(註2)『現代俳句案内』(飯田龍太、大岡信、高柳重信、吉岡実編 昭和60年 立風書房刊)所収。初出は同4人の編集による『現代俳句全集』全6巻(昭和52年9月〜53年3月 立風書房刊)で、同全集のために書き下ろされたもの。
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 新五千円紙幣の図柄に樋口一葉の肖像が採用されたということで、このところ何かと一葉が話題になっているが、私にとって一葉というとまず『日本文壇史』(講談社文芸文庫)を思い出す。当通信121号(1996年7月10日発行 当HPに掲載)でその書評を試みたが、そこで私は〈金を借りるために見知らぬ山師のところに身体を張って出掛けていくといった話は、一葉の思いがけない一面を語って憐れにもおかしく、まことに興味深い〉と書いた。他にも一葉にまつわるさまざまな逸話――時に生々しく、時に憐れで、また時にはおかしくもある――が第2、3、4巻に数多く載っている。本著は、一葉だけでなく文学を志した多くの人物の人間模様をも生き生きと描いて秀逸である。この機会に、改めて読み直そうかと思っている。
(2004年12月15日発行)

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発行人 根本啓子