水燿通信とは |
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217号『聲のさざなみ』(道浦母都子著) |
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仕事を続けてすてきに年齢を重ねた女性たちに会いその声に学びたい、そんな思いを抱いた歌人の道浦母都子が、それぞれの分野で仕事を成し遂げ、すでに齢70から90代に達した女性たちにインタビューしたもの、それが本著である。インタビューの相手は社会学者鶴見和子、随筆家岡部伊都子、染色家志村ふくみ、日本画家秋野不矩、冷泉家24代為任夫人冷泉布美子、俳人桂信子、作家原田康子、作家大庭みな子、書家篠田桃紅、作家石牟礼道子の10人で、1998年4月から2001年6月の期間におこなわれた。なお本のタイトルは、道浦の短歌〈おみなよりおみなに渉る海原の虹のごとしも聲のさざなみ〉から取られたものである。 |
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本著では、インタビューの様は道浦自身の綴る文によって語られ、インタビューを受けた女性たちの言葉は随時その中で引用されるという文章構成を取っている。それらの文は、歌人としての著者の感性、体験、知識が存分に活かされたものであるだけでなく、インタビューの相手の言葉を絶えず自分の体験にひきつけて自らを省み、考え、学ぶという謙虚で柔軟な思考を持つ著者の人柄や、いくつものつらい体験をしてきた道浦の人生をもそこはかとなく感じさせ、心うたれるものとなっている。 |
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インタビューされた女性たちの話も、味わいのあるものばかりだ。たとえば初回の鶴見和子の場合。鶴見は、インタビューの3年前、1995年のクリスマスイブの日に突然倒れたが、その夜から身動きひとつ出来ない病院のベッドの中で、短歌が噴き出すように出てきたという。若い時分に一時作ったものの、その後50年も無縁だった短歌が……。インタビューは、鶴見の倒れたその時から現在に焦点を合わせている。「もう私が生きている世界は現実に生きている人の世界とは違うの。私は一度死んだんだから。……ものがとってもきれいに見えるの、欲望の膜を通さないで見えるから。……一度死んで、自然の中に入って、浮遊しているの」と語りつつ、自らの研究テーマである南方熊楠に話題が至ると、鶴見の言葉は急に熱っぽくなる。(かっこ内は根本の註) |
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(南方)曼陀羅は何も排除しない、配置換えするだけ。配置換えという社会変動。どんな憎いものでも排除しない、吸収するの。今いちばん強いものが真ん中にいるけれど、いちばん弱いものが真ん中に行くと、どういう社会配置ができるか、例えば沖縄がね、日本の萃点(すいてん。南方曼陀羅の中心点のこと)になったときはどういう日本になるか、水俣が日本の萃点となったときは……なんて、そんなことを考えてみたいと思うの。 |
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私は、身体が不自由になって、弱者の側になってとっても気楽、本当の自由を獲得したの。これからどうやってこの身体で自立していくか、そこからもう一度内発的発展論(鶴見の終生の課題)を考え直そう、そういうことなの。 | |
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こういうことを生き生きと語る鶴見和子を見ると、左半身不随の車椅子の生活を送っている人だなどということを忘れてしまう、と道浦は語る。 |
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脳梗塞で倒れ、やはり車椅子の生活になった作家の大庭みな子の場合もまた、深く考えさせられる。少女時代から読書好きで、将来作家になるという生き方しかないと思っていた大庭は、言葉とは「書こう書こうとしても駄目なときは駄目」で「向こうからやって来る」ものであり、「書き続けていらっしゃる方を見ると、ああ、このひとももうほかに方法がないんだなあと思う。だから哀れ深さが一番強い。選ばれた者というより、むしろ可哀相な感じ。道浦さんだって、そう」と語って道浦を一瞬涙ぐませる。それでいながら、書くことに対する意欲、作家としての使命感といったものには、驚嘆させられてしまうほどのエネルギーを示す。日常生活では、行動の細部にわたるまで夫に頼らなければならない体であるにもかかわらずだ(当通信206号で、夫である大庭利雄が著わした『終わりの蜜月 大庭みな子の介護日誌』という本を紹介しているので、参照してほしい)。 |
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高齢にしてなお元気で現役でありつづけている人たちの話もいい。「私やったら喜んで死にますけど」といって婚約者を戦場に送り出したという加害者の意識から、ずっと非戦を叫びつづけている岡部伊都子の激しい生き方、インドに魅せられた秋野不矩の自在な生きる姿勢など、小気味よく魅力的だ。また、染色家志村ふくみの工房に導かれて風雅な――というよりもむしろ豪奢な――色の世界を楽しんだり、800年の歴史を持つ和歌の冷泉家の持つ底知れぬ深さ、豊かさを垣間見るといった贅沢さも本書では味わえる。 |
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そして最後、水俣病のような重く悲惨な現実を描きながら、どこかあたたかくやさしく、豊かなものを感じさせる石牟礼道子の世界が、不知火の海の自然を背景に語られてこの本は終る。やさしくて少しかなしく、そして知的で豪華さも味わえる、いい本である。添えられているモノクロの写真も、味わいのあるものばかりだ。 |
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昨年の後半、私は深い精神的な落ち込みに襲われた。病気と向き合いながら生きることがつくづく嫌になったのがきっかけとなり、すべてのことが否定的にしか考えられなくなったのである。何もかもが虚しくつまらないものに感じられ、自分には楽しい日はもう二度と訪れないのではと思ったりもした。そんな状態から抜け出そうとして様々なことを試みたが、いずれも一時的な効果しかなく、すぐまた暗い気持ちに陥った。そんな時、ふとこの本を紹介した記事(「著者に会いたい」2002年11月10日付朝日新聞)のことを思い出したのである。これを読んだ当時は、有名人にインタビューした本ということでほとんど関心を持たなかった。こういった類いの本は、大抵インタビュアーが感銘を受けたことになっており、そこにいくばくかの嘘っぽさを感じることが多かった私は、あまり好きになれなかったからである。だがその記事には、要約すると次のようなことも書かれてあった。 |
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インタビューを行なっていた頃、道浦はこの年代の女性特有の体調の悪さを抱えていたらしい。そして全てのインタビューを終えて単行本化する頃になって、彼女は突然、言葉が出ず文字も書けないという状態に陥り、歌が作れなくなった。医師の指示で、締め切りと予定に追われる生活と縁を切った。ひたすら眠り、ぼんやり過ごした。そして長いトンネルに出口の光が差しはじめたのは1年後、ようやく「冬眠からさめたみたい」に、ゲラに手を入れる気力が出たという。 |
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さてこのことを知って本著を読んでみると、随所にさびしく心弱りしている著者が居り、その著者がインタビューを通して励まされ元気をもらった様子が窺えた。そしてそれを読んだ私自身もまた、読後大きな元気を授けられていることに気がついたのである。私もようやくトンネルから抜け出しつつあることを感じたのだ。 |
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これまですばらしい本には何冊もであった。しかしこんなに心慰められ元気づけられた本には、長いことめぐり合わなかったような気がする。 |
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この本は、誰にとっても読みでのある本だと思う。しかし私は女性、特にもはや若くない女性、病いを持つ人、つらさやさびしさを抱えている女性にぜひ読んでもらいたいと思っている。 |
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(『聲のさざなみ』2002年9月30日 文化出版局刊 1600円+税) |
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前216号で中村苑子の〈音なく白く重く冷たく雪降る闇〉を取り上げましたが、これに対して、中学時代同窓だった友人から、興味深い感想をもらいました。本人の了承を得て、ここに紹介したいと思います。 |
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……実はこの前の寝しなに、「三寒四温」ということをひらっと思い出し、山形の「三寒」は、あの降りしきる雪、三日三晩降り止まぬ雪だった、そういうことを忘れて暮らしていたと思ったのでした。 |
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大学の頃、綴り方のサークルが、慈恩寺(故郷にある名刹及びその周辺の地域名)観光会館で冬の合宿学習会をしたことがあり、その時降りつづく雪に、いたく感動した人が何人かいましてね、その人達は、他県の温暖な地に育った人達でした。自分があたり前として育ってきた雪の降り方を、改めて見直したことでしたが、音を立てて降りつもる雪の三日三晩が明けると、天はまっさおな空を見せてくれホッとしたものでしたね。 |
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降り続く雪は、時には恐ろしく感じることもあったし、振り返ってみれば、実に重たくて寒くて冷たくて、雪の境も分からぬ程にただただ真白なものが雪だったけど、「音なく」雪は降らないというのが、雪国育ちの人間の本音です。風の音ではない、雪の積もる音、降り落ちる音が、静かにカサカサとするものです。こんなことを言っても、雪国で育たなければ、あの雪の積もる音を聞き分けることは、そうでない人には無理かもしれませんね。 |
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音なく白く重く冷たく雪降る闇 |
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全く直截な表現で、苑子氏の作かと思うことでしたが、すべてを削ぎ落とすと、こんなに真直ぐな表現をするのかとも思いました。でも、それが、全て闇にかかる形容となると、ましてや辞世の句となると切ないなあと思います。死に向かう人は、雪を想うのでしょうか。兄もでした。 |
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この句の雪は降り続いている雪だと思いますが、空を見上げた時降り続く雪は、まるで現実を忘れさせるものがあり、どこまで続くのかという想いにとらわれたことが、何回もありました。降り続く雪は、命の永遠さや、輪廻を感じさせるようにも思います。私も死を迎えた時、故郷の雪を思うのかもしれません。でも人の一生が、これほど(句のように)切なく降る雪の闇だとすれば、言葉がなくなります。「あたたかさや安らぎ」を「峻拒」するかのようだという表現は、その通りだと思います。 |
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雪だって積み上げて穴にすれば、人をあたためてくれる、そういう思い方のできる強靭さを、日本海側の雪は教えてくれたし、自分の一生のしめくくりも、そうありたいと今は思います。…… |
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(2004年1月15日発行) |
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発行人 根本啓子 |