水燿通信とは |
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199号これの世にわがまだ知らぬ親ありて 野を漂泊ふと思ふ夕ぐれ岡野弘彦(『滄浪歌(そうろうか)』昭和47年刊) |
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初めてこの歌に接した時、イメージの美しさ、さびしさ、せつなさに強く魅かれた。同時に深いかなしみと何か心の奥処を揺り動かされるようななつかしさをも感じた。このかなしさとなつかしさは一体何なのだろう、そう思ってから長い時間が経ったように思う。 |
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第52回ベルリン国際映画祭で、宮崎駿監督のアニメーション「千と千尋の神隠し」がコンペティション部門の最高賞である金熊賞を受賞した。この賞をアニメ作品が獲得したのは初めてとのこと。暗く不愉快な出来事の多い最近の日本で久々にもたらされたうれしいニュースで、2月18日の新聞(朝日)朝刊では一面のトップを飾る大きな扱いだった。偶々私はその前々日の16日この映画を観て深く感動し、その興奮がまだ覚めやらぬときだったので、殊の外うれしい思いでこの報道に接した。 |
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この作品には、醜悪なもの、汚れたもの、凶々しいものまで貪欲に取り込んで醜く肥え太った人間に、余計なもの、醜いものはみんな吐き出してすっきりした姿に戻ろうではないか――そこにはバブル経済に対する批判もあるように私には感じられたのだが――という制作者側のメッセージがあるように思われた。また、これは何々の比喩ではないか、これはあのことを暗示しているのではないか、と思われるものも沢山あった。だが全体として、あまりそういったことにこだわらず、不思議の町で次々に直面する事柄に、主人公千尋(不思議の町では千という名になる)と共に、驚いたり怖がったり問題解決に必死になったりまた感動したりしながら、その世界の雰囲気を体験し味わうのが大切なのではないかという気がした。 |
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私がこのアニメ作品で楽しんだり感動したりしたものは数多くあるが、その中でとくに魅かれたのは千とハクとの出会いと別れであった。ハクは不思議の町での千を助けてくれる頼もしい味方だ。彼は初めて千に出会ったとき「私はそなたのことを小さい時から知っている。自分は人間の時の自分の名をどうしても思い出せず、そのため人間界への帰り道が判らないのだ」と語る。 |
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この物語の終わり近く、千が竜の姿のハク(ハクは男の子の姿だったり、竜の姿だったりする)の背に乗って飛翔している時――それは千が人間の世界に戻れることを予感させるシーンなのだが――彼女はふと小さい頃川に落ちたときのことを思い出す。その時、川は千尋を浅瀬に運んで助けてくれたのだった。その川の名前はコハクがわ……。 |
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そう千尋が言った途端、竜はキャラキャラと光りながら鱗が剥がれていき、少年の姿のハクになっていく。この作品のクライマックスともいうべき場面だ。 |
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人間界への境界に立った千尋に、ハクは「千尋はもと来た道をたどればいいんだ。でも決して振り向いちゃいけないよ。トンネルを出るまでは」と言う。ハクはどうするのか尋ねる千尋に、彼は仕残した仕事をやってから元の世界に戻る、でも本当の名を取り戻したから大丈夫だとこたえる。 |
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| 「また何処かで会える?」 |
| 「ウン きっと」 |
| 「きっとよ」 |
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そんな会話を交わした後、千尋は人間界の方に向かって駆け出す。 |
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元の世界に戻った千尋を待っていたのは、これまでと変らない父や母であり、周囲の光景であった。あの不可思議な世界での出来事は束の間の夢だったのだろうか……。 |
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だが、ほんの一寸のあいだ離れていただけの筈なのに、車には木の葉がいっぱい積もっており、中もほこりだらけだった。あの町でのことは、かりそめのことでも夢でもない、確かに存在したことだったのだ! |
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千尋とハクとはこの人間界で再び会うことはないような気がする。私たち観客はそのことを確とした理由も持ち得ないままに感じる。だからこの話にかなしさとせつなさと、そしてなつかしさをも感じてしまうのだ。 |
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冒頭の歌に戻ろう。〈これの世〉というのは、未生以前の世界とかあの世のことでないのは勿論だが、しかし人間界そのものでもないと思う。おそらく私たちのこの世界のすぐそばにぴったり貼りついたように存在していて、何かちょっとしたきっかけでこの現世から移行してしまうもうひとつの世界のような気がする。あたかも千尋がトンネルをくぐることによって不思議の町に迷い出てしまったように。そんな世で、自分の親が今、野をさすらっているのだ。かなしくてせつなくてそしてなつかしくもあるのはそのせいだろう。 |
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上五七五をそのように解釈することによって、この作品の世界は重層的な雰囲気を持った深みのあるものとなる。今自分の居る現世の絶対性が薄らいでいき、この世を生きていく辛さや困難さが和らいでくる。そしてこの世に訣別することもそれほど特別なことではないような気がしてくるのである。 |
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(2002年3月15日発行) |
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発行人 根本啓子 |