水燿通信とは
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173号

水原紫苑歌集『客人』(1997年刊)から

太陽を犯せし遠き兄おもふめざむればひとと湖底に居りつ
 水原紫苑(昭和34年生まれ)という歌人に関心を持つきっかけになったのは、その経歴にある。水原は早稲田大学大学院修士課程仏文専攻の時、春日井建の第一歌集『未青年』に出会い、歌人としての道を歩むようになったという。私自身、かつて同歌集に深く魅せられた時期があり、今でも好きな歌集といわれたらすぐに頭に浮かぶのがこの『未青年』というくらいだから、水原紫苑が気になるのも当然だろう。
 春日井建の歌に馴染んだ者には文頭の歌〈太陽を犯せし遠き兄〉の上の句にすぐ連想される作品がある。もちろん『未青年』所収の作品だ。
太陽が欲しくて父を怒らせし日よりむなしきものばかり恋ふ
太陽を恋ひ焦がれつつ開かれぬ硬き岩屋に少年は棲む
 〈太陽を犯せし遠き兄〉には紛れもなく春日井建が居る。美しい相貌の若き日の建が。十代で華々しく歌壇に登場し、三島由紀夫をして“現代の定家”と言わせ、19歳で三島由紀夫のすばらしい序に飾られた第一歌集『未青年』を出し、そしてあっという間に歌壇から去っていった(後に復帰)春日井建。そんな建の、女よりも男を愛しそうな不思議な魅力を湛えた美しい顔。
 その建の恋い焦がれる〈太陽〉とは一体何なのだろう。熱く激しくそして限りなく遠い太陽。その太陽によって表現されようとしたものに、私は禁忌の匂いを感じる。近親相姦の雰囲気も漂っているようで、建の作品の中でもとくに好きなものだ。
 さて文頭の水原の短歌である。兄はその後、禁忌を犯した。そしてそれから長い時間が経った。今わたしは湖底に居てその兄をおもっている。太陽から湖底までの距離も、兄が太陽を犯した時からも、そして兄とわたしの距離も限りなく遠い。
 ここに描かれているのは、この世ともあの世ともいえない不思議な世界だ。湖底に一緒に居る“ひと”とは一体誰なのか。わたしは生きているのか、死んでいるのか。すべてはとらえどころなく漂っている感じだ。なにかしんとした寂しさ、美しさの感じられる作品である。
*
みづうみの蛇口光れり逢はざりし観世寿夫が手を洗ふなり
 この歌に最初に出逢った時、頭の中が真っ白になり、しばらくは何も考えられなかった。もう20年以上も前に亡くなった観世寿夫が、私の頭のなかでは死者としてもはや動くことのなかった彼が、生きているように動くのを感じた。
 私には、大学生のころ観世寿夫の能にひかれ、その舞台ばかり追った時期があった。彼に謡と仕舞を教えてもらいたいと強く願ったが果たされなかった。そして訳あって、大きな未練を残しながら能楽界を去った。それから何年かが経ったある日、私は観世寿夫の死を新聞で知った。胃癌だった。53歳。彼が病いの床にあることなど知る由もなかった私にとって、それはあまりにも早い突然の死だった。勧世寿夫の舞台に接することはもうできなくなったと知った時のあのショックを何にたとえようか。
 私には、観世寿夫の名を聞くと今でも心の奥がせつなく痛む。
 そんな観世寿夫をこんな風に詠んでいる水原紫苑って、一体何者なのだ。〈逢はざりし〉といっているけれど、彼女は歌人として歩むようになってから(いつ頃からかはよく知らないが)謡と仕舞の勉強を始め、能舞台にもたびたび接して能に対する傾斜を急激に深めているのだ。きっと何か特別のことがあるに違いない。
 かすかな嫉妬と羨望を抱きながら私はこの歌の作者に、なぜ観世寿夫のことをとりあげたのか、あなたにとって観世寿夫とは何なのかと尋ねずにはいられなかった。
 手紙による私の問いかけに対して、水原紫苑からの返事は次のようなものであった。
……私はもちろん寿夫先生の舞台を知りません。ただ、高校生の時に行った能の鑑賞教室のプログラムを見て、「船弁慶」の地頭が寿夫先生だったのをあとで知ったぐらいです。でも、寿夫先生のお能を見られなかった無念の思いが憧れと結びついてあの歌になりました。じゅうぶんご覧になれてお幸せですね。……
 何か特別の出逢いがあるのではと思い込んでいた私は、これを見ていささか肩すかしを食った感じだった。しかしよくよく考えてみれば、この程度の関わりで前記のような作品を生み出すのだから、水原紫苑という歌人もたいした才能の持ち主だと改めて感じ入った。
 作品に戻ろう。蛇口という題材の選定が見事だ。どこにでもあるごくありふれた小物。だが、ふっと異界への通路のように感じさせるときがあると思うのは、私だけだろうか(註)。
 私の思い描く景はこうだ。観世寿夫が蛇口から水を出して手を洗っている。何か儀式めいた行為。そのむこうにはハレーションを起こしたように白々と明るく光る湖がある。それは確かに我々生者の世界ではない。ひどく明るく、何かさらさらと乾いた感じの世界だ。どこか不安定で微かにこわい雰囲気もある。そのしらしらした明るさを受けて寿夫の片側も明るく光っている。だが、それを見つめるわたしの居るこちら側は暗い。そして明るい向こう側と暗いこちら側を分けているのが蛇口という訳だ。
 寿夫はこの世の人間ではない。むこうの明るい世界に属している。にもかかわらず確かに動いている、まるで生きているかのように。
 もはや生きている観世寿夫を見ることなど叶わないと思っていた。だが、この歌のなかで彼は確かに動いている。私にとって、それはたまらなくうれしく懐かしい。
(註) たまたま新聞で次のような作品(第十五回朝日歌壇賞受賞作)をみつけた。
古びたる蛇口がひとつ夕暮の壁にありけりここはいずこや山城千恵子
……無機質の日常の「物」が、ある時非日常の光をたたえて生きていた。街の中には、遠い国が隠れている。そこがどこで、私はどこに立っているのか、本当は未だにわからないのです。……(作者の言葉)
(1999年10月10日発行)

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発行人 根本啓子