水燿通信とは |
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151号中村苑子作品鑑賞(14) |
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〈鵺、死〉と並び、〈侍る〉という古典語が用いられれば、作者が『平家物語』巻4に出てくる逸話を意識していることは、明らかであろう。平安末期、王朝文化の瀾熟期に、源三位頼政が紫宸殿で鵺(ぬえ)という怪獣を退治したという有名な話である。 |
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そもそも鵺とは何か。頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎に似た伝説上の怪獣と言われているが、そんな細部はどうでもいい。私には鵺という正体不明の動物に仮託されたなにものかがあったのではないかという思いにとらわれることがある。もしかしたら当時の誰でもが知っていたもの、しかし誰も敢えてその何たるかを決して言おうとしなかったもの……。王朝文化の瀾熟期の闇に沈んで、今ではその正体は杳としてわからないが、こういったものの存在はその文化を否が応にも奥深く魅力的なものにしている。 |
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しかもこの鵺を射取ったという源頼政。77歳で以仁王を奉じて平氏追倒を図り、破れて宇治平等院で自刃した武将である。だが優れた戦略家であった頼政には、この謀反の無謀さは戦う前からわかっていたと思われ、にもかかわらず何故そのような企てをし、選び取ったように死んでいったのか、様々な想像をかきたて、今でも人々を魅了してやまない人物なのである。 |
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冒頭の句の〈春の闇〉に、私はそのような豪華な王朝文化、その華やかさの裏で葬られていった何か得体の知れないもの、はたまた人間のかなしみ、そういったものがぶあつく混然と存在しているように感じられてならない。 |
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そして作者は“死んだのは誰なのだろう、鵺なのだろうか”と問う。だが、問いかけの形をとっていながら、ここで作者は実は“死んだのはそういった諸々を含んだ豊かな日本の文化、情緒なのだ”と言いたかったのではないだろうか。 |
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しかしそれらを哀惜しつつ、ここには嘆きのトーンがあまり感じられない。“歴史とは生とはそういうものなのよ”と静かに佇む作者にはある種の余裕すら感じられる。作者の年齢の重なりを感じさせられる句である。 |
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豪華で美しくて蠱惑的で、作者の豊かな教養も感じられる、私の大好きな句である。 |
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〈付記〉 | 鵺とは何か、鵺の正体は一体何なのか、この問いは多くの人を惹きつけてきたようだ。馬場あき子は『修羅と艶』のなかで、世阿弥作の能「鵺」について“世阿弥はこの鵺を、くっきりと反逆者として描いている。……鵺はつねに勝者の得意の中に、にがく、にがく敗北をかみしめるほかない立場に立たされている。……敗者としての妖怪鵺が、まったく人間として扱われ、その心情の表現に、きわめて多くの恋の歌が援用されている”などと述べている。 |
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また“あの鵺というのは、人の心にうごめく欲望というものの化身した姿ではなかったか”(野川純平「古典への誘い」)といった見方もある。 |
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(1998年4月4日発行) |
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発行人 根本啓子 |