水燿通信とは |
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141号中村苑子句集『花隠れ』(花神社刊) |
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昨年11月下旬、中村苑子句集『花隠れ』が出版された。氏の“生前における最後の句集”(覚え書)である。表紙は全体に桜の花びらを浮かし彫り風に配した白地。その中央上段に“花隠れ”の白の文字を暗い灰赤紫(えび染)で囲み、その左脇に灰色で中村苑子句集と印字した、品のいい瀟洒な装丁。帯は金地の処々に銀をぼかし気味に散らしたもので、本自体に華やかさを添えながら品位をさらに上げるという、心憎いばかりの効果をあげている。 |
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今回はこの句集を通して俳人としての中村苑子を紹介し、併せて収録作品のいくつかの寸評を試みたいと思う。 |
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中村苑子は、昭和19年、報道班員としてフィリピンに赴いていた夫の戦死に遇っている。その遺品のなかに句帖があったことから、初めて亡夫が俳句に深く関わっていたことを知り、複雑な思いにかられる。それ以前から俳句には関心があったが、そのことが直接の動機となっていくつかの句会に出た後、昭和24年「春燈」(久保田万太郎、安住敦の結社)に入会、以後徐々に俳人としての地歩を固めていく。 |
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句集『花隠れ』は2部構成になっており、第1部には「初期句編」として習作時代(昭和17〜19年)及び「春燈」時代(昭和24〜32年)の作品が収められている。このうち「春燈」時代の作品からいくつか引用してみよう。 |
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ふるさとに来て旅愁はも菜の花黄 |
野火哮るくらやみに帯解きをれば |
夏蝶はおほむね白し汚れやすし |
身のなかの一隅昏らし曼珠沙華 |
野分来て黙つて足を拭いてをり |
残菊の枯るるいのちを束ねけり |
人泣かせて黙つて牡蠣を食べてゐて |
触れしよりやり場なき手の炭をつぐ |
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あえかに美しい女性の、身内に熱いものを持ちながら、どこか寂しげにひっそりと過ごしている様子が伝わってくるような作品が多い。自伝的な文章「ある女の風景」(昭和64年に「俳句」誌に一年間にわたって連載。後、散文集『俳句自在』に収録)によると、この時期の中村苑子は、俳句に本腰を入れる決意をし多くの俳人、文人との多彩な交流もあったようだが、未亡人として生きる戦後の日々はやはりそれなりの苦労もあったのだろう。 |
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さて、昭和30年代に入り、中村苑子は新興俳句の中心的存在だった高柳重信と出会い結婚する。昭和32年「春燈」を退会、翌年「俳句評論」の創刊に参画し、高柳と共にその発行に尽力するが、高柳は昭和58年に急逝する。この後何年もの間、苑子は高柳亡き後の整理としての用事に忙殺されることになる。そして“十年の忌日を迎えて、やっと本来の自分に還った思い”(句集『吟遊』あとがき)になった平成5年、『吟遊』が刊行されるのである。『花隠れ』第2部は「花隠れ 『吟遊』以後」として平成5〜8年の作品が収録されている。つまり『花隠れ』の1部と2部は“高柳重信がそこにいなかった時代”(大岡信「中村苑子 とつおいつ」同句集解説)ということで共通しているのである。第2部の中からいくつか味わってみよう。 |
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縄とびの輪のなか大き入日かな |
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| 縄の輪に縁どられて、入日の大きさ、見事さが更に増した。『吟遊』に〈縄とびの縄に搏たるるおのが影〉というのがありこれもいい句だが、〈大き入日〉のほうはこれに比べるとゆったりとした余裕が出てきている。 |
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滴りの奥の灯明一つ消ゆ |
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| 中村苑子の作品の中には、時々どきっとするような怖い情景を描いたものがあるが、これなどもその範疇に入るだろう。日々の生活のすぐ隣にぴったりとはりついたように異界がひそんでいるのではないかと思ってしまう。 |
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闇のなか牡丹鬱々目覚めをり |
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| 〈闇、鬱々〉という負のイメージを持つ語を用いることによって、豪華な牡丹の開く予感を巧みに描ききった。 |
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■瑰や裏口に立つ見知らぬ子(註) |
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| この子はもしかしたら、海を渡ってまたの世から来た子なのかもしれない。 |
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生前も死後も泉へ水飲みに |
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| 水を飲む行為をうたった作品には心惹かれるものが多い。 |
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山川に水のみゐたりみづ飲みてかへり見る景色いまいつの世や | 前川佐美雄 |
ここ去りて漂いゆかん道もなし膝つきてひくき水飲みにけり | 馬場あき子 | |
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| 水を飲む、特に泉の水を飲むことで、人は何かが変わってしまうようだ。作者はそれが生前だけでなく死後もあるという。未来永劫、水を飲んで変貌を繰り返しながら、人はどこに流れていくのだろうか。 |
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満月を来てあをあをと黙しをり |
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| 〈満月の今を往きたき岬あり〉を思い出した。作者の目の前に広がっているのは海のような気がする。〈あをあをと黙し〉ているのは、想い深き故か。 |
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車椅子ぽつねんとあり死後の秋 |
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| 不在の感じがとてもリアルに表現されている。 |
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海鼠噛むそれより昏き眼して |
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| 〈昏き眼して〉の用語がいい。海鼠の居た海の深い色や食べ物としての海鼠の新鮮さを連想させる。 |
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音なく白く重く冷たく雪降る闇 |
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| 句集掉尾の作品。大岡信は解説「中村苑子 とつおいつ」のなかで、この句について、“創造力の働き遊ぶ余地を、……実に無愛想にしめ殺し、目に見える物すなわち降りしきる雪だけを直叙しようとしている”と述べている。しかし雪国に育った私には、むしろ雪にあまり縁のない地方に育った人の思念の世界の雪という感じがする。それにしても、何と静かで冷たく誘惑的な闇であろうか。 |
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(註) | 「■瑰」の「■」の部分は「攻」を王偏に変えた漢字である。2文字で「はまなす」と読む。 |
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(1997年8月30日発行) |
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発行人 根本啓子 |