水燿通信とは
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83号

いまは老い蟇は祠をあとにせり

三橋鷹女(『■(註)』昭和45年刊)

 長年住み慣れた祠を後にして、蟇は何処かへ行こうとしている。そしてそれは老ゆえにだと作者はいう。だが、ここには老いて追われる惨めさも、老いて去るしかないと諦観するさびしさも皆無である。あるのは、何かを悟り自らの意思で祠を後にしようと決意した蟇の、神々しいまでに厳粛な姿である。
 俳人の永田耕衣は、この句に「卒塔婆小町」(老年の小野小町を主人公にした能楽の曲名)の妖気を感じるといっている(「鷹女窮達談」)が、著しく老いて零落しながらも、僧との宗教問答に勝つ才気と気力を有し、ある意味で老いを敖然と生きているどこか達観した感じの小町の姿に、この句の蟇と相通じるものを感じたのであろう。
 橋掛りを静かに去っていく老いた小町の姿に、祠を後にして歩み去る蟇の姿がオーバーラップする。そしてその行く手はるか彼方に、私たちの存知せぬある確かな世界の存在することを、私たちははっきりと感じるのだ。
 三橋鷹女(明治32年〜昭和47年)。老いや死を女性独自の鋭い感性や情念で歌い上げた俳人である。代表的な作品をいくつかあげてみよう。句集名下にある年齢は、収録作品製作時の鷹女のそれである。
かたげこぼす壺の水より秋のこゑ『向日葵』(昭和15)
夏藤やをんなは老ゆる日の下に26〜42歳
秋風や水より淡き魚のひれ『魚の鰭』(昭和15)
うつし世に人こそ老ゆれげんげ咲く
椿落ち椿落ちこころ老いゆくか『白骨』(昭和27)
白露や死んでゆく日も帯締めて43〜53歳
焚火する孤りの影をたきしろに
鴨翔たばわれ白髪の媼とならむ『羊歯地獄』(昭和36)
薄氷へわが影ゆきて溺死せり54〜62歳
消炭を夕べまつかな火に戻す
 初期の『向日葵』『魚の鰭』では、老いを取り上げても、それはまだ遠い未来のものであり、『白骨』に至ってそれは漸く深みを増してくる。
 この『白骨』上梓後、鷹女は句風の大転換を図る(この経緯については通信63号参照)。年齢的にも老いというものに真正面から取り組む時期に来て、老いの恐れや死の予感、さらに変身の願望といった傾向が出てくる。その結果出来上がったのが『羊歯地獄』である。
 そしてその10年後の昭和45年、鷹女63歳から72歳までの作品を収録した最終句集『■(註)』が刊行されるわけである。この句集には、冒頭に掲げた句の他、次のような作品が収録されている。
啼鳴や運河も昏れて哭くときあり
死ぬも生きるもかちあふ音の皿小鉢
老鶯や泪たまれば啼きにけり
悔恨の羽毛となりて浮寝せり
貝眠る重いなみだをあまた溜め
椿落つむかしむかしの川ながれ
 率直にいって『■(註)』は決して読みやすい句集ではない。永田耕衣が“鷹女さんは苦吟型の俳人である。……苦吟型俳人には秀作はとびぬけて秀でるところがある代りに、時に苦吟の妖気が空転しやすい一面があるのだ”(「鷹女窮達談」)と述べているように、難解なもの、作者の意図が空転りしているようなものも少なくない。しかし、そのような作品の中に、ここで取り上げたような心魅かれる味わい深い佳句がちりばめられているのだ。これらの句には、たそがれにも似た淡く静かで寂しい、そしてこれまで生きてきた人生がしみじみといとおしくなるような、そんな老いの姿が描かれている。そこにはもはやこの世になかば訣別してしまったような、あの世的な不思議な雰囲気すら漂っている。多分、老いて初めて知り得る世界なのであろう。
 これが老いというものを見つめ続けた鷹女のいきついた世界である。円熟などという境地とはまったく無縁の世界であるが、老いというものを扱った俳句のひとつの到達点を示しているといえよう。
(註)ここで取り上げた句が収録されている句集名は「ぶな」といい、木偏に無の字をあてたものである。表記できないためここでは■で代用している。
(1994年6月10日発行)

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発行人 根本啓子