水燿通信とは
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71号

この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉

三橋鷹女(『魚の鰭』昭和15年刊)

 馬場あき子著『鬼の研究』(1971年刊)を読んだ時の深い感銘は、20年以上経った今でも忘れられない。だが、冒頭の句に初めて出会った時、私は『鬼の研究』の内容を一句に凝縮したようなこのような作品が、同著の出版に先立つ30年以上も前に既に作られていたことに、それに劣らぬ大きな衝撃を受けたものである。そして私はこの後、鷹女の世界に大きくのめり込んでいくことになった。
 『鬼の研究』の中で、馬場あき子は鬼の説話の宝庫ともいえる『今昔物語』などを丹念に調べて、鬼の実態を王朝繁栄の暗黒部に生きた反体制的破滅者の中にみるという、独自の視点をうちだした。さらに著者は、古典に対する深い教養と、長年にわたる仕舞、謡の修練から得られた豊富な経験を駆使して、能の鬼、特に女の鬼について考察し、中世の鬼とは、あまりにも人間的であるが故にかえって人間としての生からはみださざるを得なかったものであるという視点を導き出した。卓越したこの視点は、一貫して鬼の側に立ってその心情を探るという姿勢と、豊かな感性からつむぎ出される美しい文章と相俟って、圧倒されるばかりの深い感動を私に与えた。
 民俗学者谷川健一によれば、それまでは被害者の立場から加害者としての鬼を見るのが一般的であり、馬場のような視点から鬼を論じたものは皆無であったという(ちくま文庫『鬼の研究』解説)。『鬼の研究』から何箇所か引用してみよう。
*般若と小面(共に能の女面、前者は鬼女の面、後者は若い女の面 根本註)という両極は、表現としては遠くはなれたものにみえながら、じつはそれ程距離のあるものではなく、むしろまったく表裏の関係にある女の姿であった。……それは中世というひとつの時代の真実であったのであり、女性の苦しい生きざまを典型的にうかがいうる資料でもある。
*〈鉄輪の女〉は、夫の愛の裏切りに報いるためには、女として美しくあることも、理性も、人間であることをも捨てて、無明の闇に永遠に棲む〈鬼〉となることをえらんだのであった。そしてまさに〈鬼〉となって夫への生殺自在の力を握った時、いかに夫への愛執が深かったかを改めて知ったのである。許容範囲の乏しい独占的な愛が、中世という時代のなかではさながら破滅へむかうみちにほかならないとしても、このような捨て身の愛憎を行動することによって、はじめて回復しうる人間性があったことも事実であった。(「鉄輪」は能の曲名)
*三従の美徳に生きることを強いられた女が、あらゆる現実の条件を捨てて〈鬼〉となることのなかに、もっとも複雑に屈折せざるを得なかった時代の苦悶を象徴的に見てとることも可能である。謡曲のなかに定着された〈鬼女〉変貌の心情には、このような日常のなかで鬱屈する内面が、しだいに破滅にむかう経路がある。
 ここに述べられているのは、中世という時代のことである。しかし、無力にしか生きることのできない現実から逃れて、生殺与奪の力を有する存在(つまり鬼)に変貌したり、現実の柵から解き放たれて遥かな空の彼方に飛翔したいという願望は、中世に典型的にうかがい得るとしても、決してそれに限ったことではなく、いつの時代にも存在する、人間の普遍的な願望ではないだろうか。とくに女性においては、この希いはより切実なものであろう。男女平等が叫ばれ、女性の社会進出が著しいといわれている現代においても、依然として女性は、様々な側面において行動を規制されているからである。
 冒頭の〈この樹登らば〉の句は、そのような、女性が普遍的に持っている鬼女変貌の願望を、天への志向と共に夕紅葉を背景として、じつに美しく描いている。
 “身も透くほどの明るさの中”(馬場あき子「鬼女となるべし夕紅葉」 『三橋鷹女全集』付録)で梢を見上げた女は、あるいは鬼女に変貌した己れを一瞬幻視(み)たのかもしれない。しかし、願望は所詮願望でしかない。梢から目を離した女は、いつの間にか夕日も沈んで薄暗くなった中で、実際はこれまでと何ひとつ変わっていないことに気づく。そして深い吐息とともに帰路につく。だが『鬼の研究』の著者はこうも歌っているのだ。
胸乳など重たきもののたゆたいに翔たざれば領す空のまぼろし『桜花伝承』
 鬼女変貌が成らずとも、女はその苦患を糧に、これからもしたたかに生きていくことだろう。
(1993年11月1日発行)

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発行人 根本啓子