水燿通信とは |
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65号中村苑子作品鑑賞(2) |
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浜木綿や兄は流れて弟も | (『水妖詞館』昭和50年刊) |
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作者自身によれば、この句は、かつて八丈島を訪れた時、大時化(しけ)に遭って3日程動きがとれなかった時にできたものだという。この島では、ほとんどの家が時化で働き手の男を海に奪われているが、そんな中の一軒に泊めてもらった時聞いた、女達の涙ながらの話に触発されてできたものらしい。 |
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だが、浜木綿(はまゆう)と結び付いて一つの句の形になった時、この話は時化とは直接関わりのない、文学の中の真実に変貌する。 |
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篠原鳳作の句に〈浜木綿に流人の墓の小ささよ〉というのがあるが、浜木綿とは流人にいかにもふさわしいイメージを持つ花である。 |
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兄弟は、なぜ、どこに流れたのだろうか。冒頭の句はそういったことに関しては何も語っていない。だが、浜木綿をもってきたことで、流人として遠い島に流されたということを、私達は自然に納得する。“流れた”ということは、つまり“流人として流された”ことでもあるのだ。そしてそれはとりもなおさず、海を渡ってまたの世に去っていくことをも意味している。 |
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健康な精神の持ち主だった中村草田男はこう詠んだ。確かに、海の向こうには未来や希望があるのかもしれない。だが、それはまた、陸にある人間の世界からの訣別であるかもしれず(註2)、死であるかもしれないのだ。 |
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冒頭の句は、草田男の句の雰囲気にもどこか通じる、来世への希望をかすかににおわせていながら、全体として悲しみの情が句を覆っている。これは、兄弟の死が暗示されているからだろうか。 |
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(註1) | 「■瑰」の「■」の部分は原句では「攻」の偏の部分を王にした漢字である。2文字で「はまなす」と読む。 |
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(註2) | 前田愛『都市空間のなかの文学』(筑摩書房)165頁 |
| ルネサンスの訪れにあわせて復活したユートピア文学は、ふつう語り手である航海者が大洋のただなかにある未知の島を発見するところからはじまることになっている。この島は堅固な城壁で囲まれていて、その内側には理想の都市のすばらしい景観がくりひろげられるというわけだ。いかにも大航海時代にふさわしい導入部だが、海中に孤立した黄金の島そのものが、牢獄ないしは流刑地を逆転したイメージではないのか。事実、法外な成功とロマンチックな冒険への期待でバラ色にそめあげられた新世界の黄金郷(エルドラ−ド)は、同時にまた旧世界から追放された重罪犯人がおくりこまれる暗鬱な流刑地でもあった。 |
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(1993年7月20日発行) |
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最近になってこの句に〈浜木綿へ兄は流れて弟も〉という形が存在することを知った。はじめは単純な誤植かと思ったが、様々な資料にあたり、関係者にも尋ねてみた結果、必ずしもそのようにいえないことがわかった。中村苑子氏は直しの多い作家だったので、後に変更した可能性もある。いずれにせよ、作者が亡くなった今、確かめる術はなくなった。ここでは、私が初めてこの句に接したときの形であり、長年親しんできた形でもある〈や〉を採ることにした。 (2001年3月13日) |
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発行人 根本啓子 |