水燿通信とは
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46号

『スペイン辛口案内』

(野々山真輝帆著 晶文社)

───バルセロナ・オリンピックによせて───

 十数年前、夫は友人に誘われて、初めてスペインを訪れた。以来、彼はイベリア半島を独りでよく訪れるようになり(3年前からは、病状が上向きになった私や娘も一緒に行くことが多くなった)、それにつれてスペインに関する本が、我が家の本棚に急速に増えていった。それらはガイドブックや、同国に長く住んでいる人、度々訪れている旅行者などの書いたものから、経済や歴史に関するもの、料理の本、美術書、果ては豪華な写真集と多岐にわたった。そんななかで、旅行者や企業の駐在員といった人々が体験したカルチャー・ショックなどについて書かれたものは、最初はとにかく面白かった。一度でも訪れたことのある者には、「そうなんだよ」と思わず膝を叩いてしまうような話がいくつもあり、夢中で読んだ。だが、こういった類いの本に対する興味は長続きしないものだ。やはり、洞察力や文学的センスのない人が書いたものはつまらない、最近そんなふうに思うようになってきていた。
 そんな訳で、夫が『スペイン辛口案内』というタイトルの本を買ってきた時も、ちょっと切り口を変えただけの案内書だろうと、さして興味もわかなかった。だが、この本はこんな予想とは全く無縁のものだった。以下に目次を紹介してみよう。
T弱者にやさしい社会Uマチズモvs女性
浮浪者施設
麻薬問題
職業学校
老人ホーム
老人里親制度
同棲
教育と性差別
セクシャル・ハラスメント
中絶
Vゆれる民族問題W政治・産業改革のゆくえ
ジプシー
カタルニア
バスク
産業再編成
大土地所有
観光地
ゴンサレス政権
 この目次からも分かるように、本著は現代スペイン社会を様々な角度から切り込んでみせた、しっかりと硬派の本なのだ(本のタイトルは必ずしもこの実態を反映していない)。
 この本を大きく特徴づけているのは、“町の浮浪者から政策担当者まで、幅ひろい人々の生の声をききとり”(本著カバーの文)、それを調査による多くの数値、事実と共に呈示するという、実証的で説得力のある方法でまとめている点である。しかも研究者にありがちな(著者はスペイン現代史・文学専攻の筑波大学教授)論文調の殊更に親しみにくい文体ではなく、わかりやすい血の通った文章で書いている。だから、読者である我々は、極めて真面目な内容であるにもかかわらず、興味をもって楽々と読めてしまう。
 そんな中でも私にとって、全く知らなかったスペインの一面を知らされたという意味で特に興味深かったのは、「第U章 マチズモvs女性」である。マチズモとは、男性優位の考え方。現在の社会労働党、ゴンサレス政権が誕生して今年で10年になるが、1975年まで40年近く続いたフランコ独裁政治によって培われた強固なマチズモは、スペイン社会に深く浸透しており(それでなくても、スペインは中世ルネサンスの頃、男は罰せられることなく、妻、子供、召使いを殺せたという、伝統的にマチズモの強い国柄である)、社労党政権下の民主的な社会になってからも、女性の解放はなかなか進んでいない。とくに法曹界に依然として残る強力なマチズモによって、裁判に持ち込んでも女性に有利な判決が出ることは、非常にまれだという。旅行者の私には、人間らしく生き、生活をエンジョイしているかに見えたスペイン女性の多くが、学校では差別的な扱いを受け、家庭では夫の暴力に耐えさせられていたとは、意外であった。しかし、そのスペインのマチズモも変わりつつある。とくに社会福祉省とその管轄下にある女性局が設置され、職場や家庭でマチズモとのきびしい戦いを挑んでいる女性たちを全面的に支持していることは、女性解放にとって大きな力となっている。
 「スペインに関する本はしばらく必要ないな。これ以上の本は当分出ないだろうから」
とは本書を読み終えた夫の感想だ。
 時あたかもバルセロナ・オリンピック開催直前である。地中海寄りでフランスと国境を接しているカタルニア地方の人々は「我々はカタルニア人であってスペイン人ではない」と公言し、スペインからの独立を希望する風潮が強い。そんなカタルニア地方のバルセロナで開かれるオリンピック大会に対して、首都マドリッドを中心とするカスティリァ地方をはじめスペインの他の地方の人々は、極めて冷淡な対応をしており、マドリッドの中央政府はセビリアで開催される万博にばかり肩入れしているときく。一方、やはりフランスと国境を接しているバスク地方にもいくつかのナショナリストの政党や組織があり、その中で最も過激なテロリストグループETAは、オリンピックをターゲットにし、テロ攻勢を強めている。
 このような中で、先日スペインを代表するフラメンコのダンサー、クリスティーナ・オヨスのオリンピック開会式出演が決まった。カタルニア地方ではこの地に古くから伝わるサルダーナこそ自分たちの踊りであるとし、フラメンコをジプシーの踊りだといって嫌う傾向があるが、オヨスのバルセロナ・オリンピック開会式出演は、国全体の行事として盛り上げる機運が漸く出てきたということなのだろうか。しかし、5月にスペインを訪れた夫の話によると、国際便の発着するマドリッドのバラハス空港には、オリンピックに関するポスターなどの類いは全く無かったし、市内でもある銀行の前で一度見かけただけという状態で、この祭典に対する熱狂などまったく感じられなかったという。またイベリア航空の機内で配られた砂糖の袋にはセビリア万博のマークが印刷されていたが、オリンピックのものは、一度も配られなかったという。
 こういった状況の中で、オリンピックは一体どのように始まり、どのように進められていくのであろうか。私には競技そのものよりも、そういったことの方がはるかに関心のもたれるところである。
(1992年7月1日発行)

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発行人 根本啓子