2001.03.17
◆◇◆ 2月14日 〜後半戦のその裏側で〜
◆◇◆
「なら、代表して一つだけなら食べられるだろう。他は無理だ。これで満足か?」
ナルは麻衣の目を覗き込み、焦って弛んだ手を解いて素早く部屋にその身を滑り込ませた。そいして急いで椅子の所へ行く。椅子に着くなり『それ』はやって来て、ナルはその唇に笑みを刻んだ。

ナルが日本と云う国に来てから2年になる。
ナルは研究対象とならないものには極端に感心が薄い。
別段、それが原因で生活等苦労した覚えが無いので直そうとも思わなかった。が、ナルの認識を新たにしなければならない状況が発生した。
アルバイトに雇った谷山麻衣は生っ粋の日本育ちの純血種だった。考え方、行動、全てが日本式。現在ナルが生活をしている場が日本なのだから当たり前といえば言えるのだが、それまでの生活面
で接触があるのは自分と同じ、所詮他国人のリンだけだった。二人揃って日本と云う国の年中行事やらしきたりなど殆ど分からない。
だから、バレンタインと云う行事は知っていても、本国のそれと日本のそれとは、多少、意味合いが違う事なぞ知りもしなかった。
麻衣を雇ってそろそろ一年になろうかと云う時(正確には約10ヶ月程)のこと、バレンタインはやって来た。
本国にいる時ですらこの手のイベントは無視して来たナルである。日本に居ようともその姿勢は変わらなかったが、事務所に出入りする面 々は別だった。何事かイベントがあれば必ずと云って良い程、事務所に現れては騒ぐ。イベントが無ければ口実を見つけてでも騒ぐ。
その一因は件の少女、谷山麻衣が関係している。
麻衣は孤児だ。家族はとっくに他界しており、親族も居ないので天涯孤独と云うやつだ。始めてあった時から人懐っこく、1人きりにされるとそれまでの明るさが嘘のように息を潜めて塞ぎ込む。彼女が本当はとても寂しがりやなのだと云う事は直ぐに分かった。……いや、分かってしまった。
彼女は自分の感情を隠すのが下手で、分かりやすいのだ。
きっと、ナル以外の者達もすぐ気が付いたはずだ。
事務所に訪れる招かざる来訪者達は家主のナルよりも、バイトの麻衣とお喋りを楽しむ事がメインで訪れるから。すべては麻衣の為なのだ。
そしてどうした事か、ナルは麻衣の押しに勝てない自分を知っている。
本来知る必要の無い事だと思っていても、麻衣が絡むと覚えておかなくてはならないような気がしてくるし、覚えておかないと困る事もあるのだ。
今回のように。
昨年、麻衣は日本における当然の風習として「バレンタインチョコ」をナルに押し付けた。ナルの認識(アメリカやイギリス)では本気の告白かと焦った覚えがある。だが、同じようにリンや滝川が貰っているのを見て、やっと納得した。
納得はしたが、不快感が残った。
訳の解らぬ不快感を抱えたまま、無理矢理押し付けられたものを捨ててしまおうかと持ち直した時、『それ』はやって来た……
ナルが他人を極端に避ける理由の一つ。
持ってうまれた特異能力。サイコメトリー。
これは手にした他人の持ち物から、持ち主の過去の記憶を読む力だ。
対象の感情が強ければ強い程、無防備であればある程、同調しやすいと云う特徴があった。そして麻衣はそのどちらにも当てはまるのだ。
感情過多で、直ぐに他人にのめり込む。
身の危険さえ感じなければどんな相手だって懐に収めようとする。
それが通りすがりの人物でも。
麻衣の感情はストレートに流れ込んでくる。
色々悩んで、考えて、迷った挙句に取り敢えず行動する事に決まるのだ。
後先考えずに行動に出て、先走る事が間々ある。
目が離せない。
そんな彼女が迷った挙句に型に流し込んだチョコレート。包みを手にしただけで同調してしまうそれを、今度は慎重に口にした。
味わうより、いきなりシンクロしないように気を使う方が大変だったけど。その後、滝川からホワイトデーなる謎の習慣も教えられたが、麻衣が見返りを期待している訳では無いのは分かってしまっていたから、知らない振りを決め込んだ。なにより、麻衣のハッキリ決めかねている心情までも読めていたから。麻衣の感情は恋をしていると言うより、恋に恋しているようだと思った事を覚えている。だから、麻衣のうきうきとした楽し気な感情はナルの不快感を鎮めても、それ以上の効果
はもたらさなかった。
でもここまでは去年の話。今年は事情が違う。
日本へ来た理由、ジーンの遺体を見つけた後、ナルはイギリスへ帰国したのだけど、本国にいるにも関わらず何かが足りないと思うようになっていた。研究の為、もう一度日本に「戻って」図らずも気が付いてしまった。
その声、纏う空気。
存在が、そこにいる事が当たり前になっていた事に。
彼女の中にいるのがジーンでも構わないと思える程に、その存在に捕われはじめている自分に。
ナル自身、その感情をどう定義つけるべきか分からなかったけれど、すでに彼女はナルの「環境」の一部だった。
ハッキリ言ってしまえば、昨年有って今年は無いはずが無いと踏んでいた。バレンタインのチョコレート。そしてあのお節介は他人のチョコレートまでナルに受け取るように言ってくれたのだけど……
目的のモノは一つだけ。
ナルが受け取ったチョコレートに紛れ込ませようとして、松崎や真砂子が来た為に混ぜ損ねた麻衣のチョコ。ナルは本を読む振りをして、ジッとその行方を追っていた。
だから、麻衣が自分の所へ来るように、わざと突き放してみた。
麻衣を納得させる振りをして、麻衣の手の中のモノだけを選び取る。
本当は手にした瞬間にも、同調しそうだったので急いで自分の部屋に逃げ込んだ。知らず、笑いがもれる。
声を出さないように笑うのは大変だったけど、1人、ナルは慌てふためきながらケーキを焼いている麻衣を感じる。
麻衣の気持ち。
「うれしい、たのしい」
それにナルの気持ちも同調する。
うれしい、たのしい
そして、ナルは心の奥で人生最大のライバルに舌を出した。
―――これは僕だけの特権。お前には出来ないだろう?
……ザマーミロ!

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