すがるみ子ニュースNo.25 2005.夏(季刊)

女性の声、生活者の声を議会へ

草の根の会主催
第一回竜一忌「豆腐屋の四季の頃」開催

言動一致の生き方と松下文学を次世代へ


「いのちきしちょるよ」健一君遺影に報告

 昨年6月17日に他界した松下竜一さんを偲ぶ第一回竜一忌が6月18日、中津市内のホテルで開催されました。会員の一人として、私も準備の段階から関わってきました。
 この竜一忌を開くに当たっての基本方針は
一、松下さんの作品を通し て彼の考え、生き方、行 動を忘れずに学んでいき たい。
二、来年もまた集まりたい と思えるような楽しいも のにしたい。というものでした。
 前日には、一年がかりの追悼文集『勁(つよ)き草の根』の一部も届き、これも命日に間に合うように努めた新木安利(会員)さんの労作『松下竜一の青春』(海鳥社)、昨年8月1日の「松下竜一さんを偲ぶ集い」を記録したビデオテープといっしょに受付に並べることができました。
 案内状は「偲ぶ集い」のとき同様『草の根通信』の読者だった1300余名の方々に送りました。「偲ぶ集い」には全国から800を超える人々が参集したのでしたが、今回はまあ100名かなというのが仲間内の予想でした。
 ところが、新聞で知ったという方などの飛び入り参加も10名以上あり、参加者総数は170を超えました。 遠く千葉県や長野県からの方、中には韓国から参加された大学の先生もいました。
 宿をとった人たちや、場所を変えて二次会をやった人たちがいましたし、開催にあたって、いくつかの業者に発注したものもあって、代表の梶原さんは、これを「松下竜一の経済効果」といいます。
 30年を超えて続いた『草の根通信』の発行、その間に何度か開催した、周年記念パーティー、「松下竜一その仕事展」などを含めて考えると、松下竜一の地元経済への貢献度もなかなかのものだといっていいでしょう。
 しかし、なんといっても死後ますますその思想、生き方が光を放ち、時代の道標ともなっていることに感動します。参加者のリレートークの中にもそのことに触れたものが少なくありませんでした。
 「竜一忌」は、梶原代表の挨拶のあと柳井達生さんのギター弾き語りとトークに進みました。柳井さんは生前の松下さんには一度も会っていないそうですが、見事なまでに松下作品の叙情性とその深部に横たわる堅い信念を自作の歌詞とメロディーで歌い、そのテナーはとても感動的でした。 会場にはハンカチを目に当てた女性もたくさんいて、泣かせる松下作品そのものでした。
 そのあと梶原玲子さんが23年前に松下さんが読売新聞に寄せたエッセー「青春紀行」を朗読、バックのスクリーンには宇佐市在住の写真家石松健男さんがこの日のために撮影した山国川河口の風景を映しました。 ここまでが今回のメインイベント。私は、飲食しながらの第二部の司会を務めました。リレートークのスピ−カー13人のお話はどなたも印象的でしたが、そのうちの二人だけ紹介します。 一人は「松下竜一その仕事」全30巻を編集された長田洋一さんは「もっと広く次世代に向けて松下文学を伝えていきたい。それだけの価値がある」と話されました。
 また地元からの異色の発言者花畑昭一郎氏(松下さんの母校中津北高の名物教師)はこんなことを言って会場に笑いを誘いました。「私は柔道の教師でした。松下君は体育の授業には出たり出なかったりしていたようですが、人間の強さは柔道とか空手とかでなく性根です。松下君は性根のある人でした」
 あっというまに3時間が過ぎました。
 この日に新刊本『松下竜一の青春』を出した新木安利さんは宮沢賢治と松下竜一を尊敬する椎田町図書館の司書(別名松下オタク)ですが、「松下竜一の思想を支えているのは子供の目、詩人の目、いつ死ぬかわからぬ末路の目、社会に開かれた目の四つの視点である」と指摘しました。
 最後に遺族挨拶。長男健一君は「お父さん、しっかりいのちきしちょるよ」と語りかけました。
 洋子さんは「夫は幸せ者です」と涙ぐんで話されました。
 地元では知らぬ人のない花畑先生が開口一番、私に「ここには地元の人が少ないですね」といったのが印象的でした。
 追悼文集は中津市立図書館にも入っています。三光堂書店でも販売していますので是非ご一読ください。 新木さんの新刊本を読めば松下文学の真髄がわかります。お薦めの一冊です。 竜一忌はどなたでも大歓迎です。毎年6月に開催しますので、来年はぜひ、地元の皆さんも多数ご参加ください。