神奈川を出て、新潟で暮らし始めて11ヶ月。
この1年は、ゆっくりとぬるい湯につからせてもらったと思う。
カリソメの「安定」とともに。
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社会人は今年で5年生。
社会に出て初めて、
ぬるい湯につかることを是とする「子供達」を見た。
または、つかっている湯のぬるさすら認識していない者を見た。
その中で、俺はどう振る舞うべきか?
同じ子供として振る舞い、見て見ぬフリをするか?
大人として振る舞い、損をするか?
答えは出ないまま。
子供になりきれない自分を見た。
大人になりきれない自分を見た。
でも、答えは出なくていいと思った。
行動していれば、後から答えはついてくるのだと思った。
思いこむことにした。
俺は損を好まないが、
得にならない時間をもっと好まない。
損にも得にもならない「安定」に、なんら価値はなかろう?
それが、ぬるい湯から上がる動機となり得るだろう。
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ところで、彼女ってどうやって作るんでしょうね?
一番の問題なのは、
自分の持っている時間の中に
女性を滑り込ませる発想がないこと。
俺が格好つけてよく口にする
「しあわせになる」の要素に、
女性が含まれていないこと。
それが、この10年以上改善されない問題。
これは相変わらず改善する気がない。
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ぬるい湯につかりだしてから、
なんだか、生活にある種の「厳しさ」が無くなったように感じる。
時間に追い込まれてモノを作りだす感覚、
あの「ひねりだす」感覚を感じる日常が無くなってしまってから、
結果的に、生活も仕事も
ダラダラ度が増してしまった気がする。
そうだったのか。今気づいた。
時間と気分に余裕があるのは、
時にモノを作りだすことにマイナスに響くことがあるようだ。
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では、
そろそろ、もう少し自覚的になることにしよう。
足を止めてはいけない。
ぬるい湯はラクだが、
カリソメの安定を得ることは簡単にできるが、
決して俺を満足させるには至らないことがわかった。
それを、この11ヶ月の収穫と捉えよう。
新しいことが始まる。
その準備はもうできてる。
あとはそっと、離陸するための一押しを加えてあげるだけでいい。
2007/5/1
新潟市中央区の自室にて
エス佐藤(27)
おきば