トランジスターアンプ対球アンプ


もう30年以上前から、”トランジスターアンプは球アンプを越えた”と言われ続けてきました。でも管球アンプは音楽的にはトランジスターアンプより優れていると、いまだに根強い人気を保っています。トランジスターアンプにはトランジスターアンプの良さがあり、管球アンプには管球アンプの良さがあります。私は仕事でトランジスターアンプを設計していて、家では趣味として管球アンプを弄りまわしていました。そこで何時も驚かされたのは管球アンプの敏感さでした。球アンプは抵抗一本でころころ音が変化するのです。その変化の大きさはトランジスターアンプの比ではありません。それだけ音楽を聴く為の素子としては明らかに球のほうが優秀と言うことなのでしょう。 トランジスターアンプで音楽を聴いていると、すぐに飽きてしまうことが多く、球アンプはなかなか飽きが来ないのです。球アンプの方が音楽の様々な表情を引き出してくれるのだと思います。

トランジスターはPNPとNPNで対照的な回路が組める合理的な素子なので、トランジスターアンプの方が音が良いと断言している人がいます。合理的な回路が組める素子という意味合いではトランジスターは優秀ですが、だから音が良いんだという単純な論理には驚かされます。音が変化するファクターは無限にあるんですけど・・・・・・その中の、回路が合理的に組めるという理由だけで決め付けるのはどんな物でしょう。実際問題、半導体アンプでは、PNPとNPNの特性を厳密にそろえて使うと、綺麗な音がします。けれども、ペアーの片側を殺してDC動作だけにしてやったほうが音はある意味で、劇的によくなるのです(その音がよくなった分、電圧歪みは悪化するのは皮肉です)。つまり合理的な対象回路が組めても、不合理な非対称回路の方が音は良いのです。すこしそこいら辺のことを実験してみたら、トランジスターはPNPとNPNで対照的な回路が組めるから球アンプより音が良いという根拠は無いことに気がつく筈なんですけど。

私が驚くのは、優秀な回路技術者ほど、確認をしないで決め付けてしまう事が多いということです。例えばですが、パワーアンプの出力には位相補正コイルを入れるのが普通ですが、音はかなり劣化します。この劣化を防ぐには”位相補正コイルも負帰還のループに入れてしまえば劣化を防げる”とか言っている人とか、”トーンコントロールを入れて音が変化してはならない”とか言っている人がいます。こんなことはあり得ない或は出来ないことです。静特性の良い負帰還たっぷりのアンプで試聴したために、音の変化は判らなかったんでしょうかね。

トランジスターアンプと言えば、私が今でも思い出すのは、トランジスターアンプ初期の製品で、サイテーションのプリメインアンプです。シングルのエミッター接地を重ねて、一段ごとにカップリングコンデンサーで直流電圧をカットし増幅するという球アンプの回路をそのまま当てはめたような回路でした。このアンプは面白かったです。音は荒れていたのですが、野放図とも言える、力強いエネルギー感を感じさせる音で、聴いていて本当に楽しい音でした。それからトランジスターアンプでいまだにあんな生命力を感じさせる音には出会っていません。欠点だらけの音でもあったので、今は あんなアンプを出したら、叩かれることは必定ですが、あの音には今のアンプにない生命力がありました。

今のトランジスターアンプは音場の再生に優れやさしい綺麗な音がするアンプが多いのですが、間違った方向に進んでいるような気がしてなりません。もう1年程前になりますが、とある中小オーディオメーカーの試聴室で音を聞かされたことを思い出しました。スピーカーはB&WのNautilus、アンプはマークレヴィンソン、CDPがそのメーカーの自信作というものでした。音が出た瞬間、私は試聴室から飛び出たくなりました。評論家のお墨付きと言う、その音はなんとも薄気味の悪い物でした。音場の再現については文句のつけようがなく、美しい音色で、高音低音のバランスも申し分ない音でしたが、生のピアノは絶対にこういう音はしないという音がでていました。あそこまで鈍重なアコースティックな楽器は存在しないし、ピアノなどは何時も不自然な音色が付きまとい、和音がはっきりしない、しかもピアノの場合、基音に、倍音が綺麗に重なってくるのが魅力なのですが(Duplex Scale、デュプレックス・スケールによる音)、基音がちゃんと聞こえないのです。まるでデュプレックス・スケールによる音しか鳴っていないような音なのです。そのピアノの音がとろりと美しく鳴っているのです。気持ちが悪いと言ったらありませんでした。あの音では演奏者の良し悪しの区別はつかないでしょうね。三度の飯よりオーディオが好きで何時も生の音に接していると言う人が音出しをしてくれたんですけれども・・・・・・。オーディオも、ここまで狂ってきているのかと寂しくなりました。何時も生の音に接っしている人ならこんな音は絶対に我慢できないと思うのですが。

そう言えば、某国産スピーカーのメーカーでおなじような体験をしたことがあります。私は楽器を弾くとか、何時も生の演奏を聴いているとか、音楽には造詣が深いとか、散々自慢していた人達が、アコースティックな楽器は絶対にこんな音はしないと言うような音を出して平気な顔をしていたのです。全ては宣伝文句のはったりで、ほとんど生の音を知らないのは明らかでした。あの時は、おまえらにスピーカーを設計する権利は無いと叫びたくなりました。しかしユーザーがこういう音を望んでいると言われると、それ以上何もいえませんでした。

じゃあ、おまえが設計したアンプはどうなんだと言う声が聞こえてきそうです。私が設計に携わったアンプも色々な賞をもらったことがありますが、土俵にも乗らすに消えていった物が多いです。でも本当の価値を判ってくれた評論家もユーザーもいました。例えば、何時も生の音に接しているプロのミキサーのお宅で試聴をしてもらった時のことです。試聴後に常用しているアンプ(よく知られている高名なアンプです)に戻して音出しをしたとたん、”アーもう駄目だ、こちらのアンプは立ち上がりが悪くて、もう聴く気になれない、”と嘆いたのです。今まで聴いていたアンプは綺麗な音はするが生の音とは違うと言うのです。何時も現場で生の音に接している人ならではの感想でした。設計の狙いもそこにあったので、的確にそのことをわかってくれると嬉しいものです。

中には、批評記事の中でエールを送ってくれた方もいました、ブランド名を変えたらヒットしただろうと言ってくださる方もいました。 残念ながら、私の設計したアンプは、より生に近い音なのですが、音色はもっと優れていたアンプがありました。より豊かな表情を引き出すために音色より立ち上がりの良さとか音ノビの良さなどを優先していました。(私は、美しい音色ではなく汚れていない音を目指していました。これはまた難しい問題をはらんでいるのでまたの機会に説明したいと思っています。)やはり大半のユーザーは家でくつろいで美しい音を聴きたいのでしょうね。その気持ちもよく理解できるのです。トランジスターアンプ対球アンプ、音楽を真剣に聴く場合球アンプに利があるのは明らかです。でもトランジスターアンプは音場や定位の再現に優れています。そして、よく出来た管球アンプと言うのは強引に感情を揺さぶるような生命力のある音を出します。場合によってはそれが煩わしい時があります。何を望むかによって良いアンプと言うのは違ってくるというのが結論になるのでしょうか。

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