ガッシュとの出会い

前・札幌芸術の森美術館長
笹 野 尚 明

 昭和20年、敗戦の色濃く、3月の東京大空襲の頃から國民学校(今の小学校)への登校は週一回半日だけとなった。師範学校出立ての担任の先生は朝、1時間目は健康や生活について尋ね、続いて国語と算術が各1時間。3、4時間目が図画工作に当てられた。先生は明日の命に保障もない私達を不欄に思われたのであろう、この2時間に心癒されたのである。教え方も斬新であった。リンゴ、3つを教卓に並べ、前に進んで好きな方向、好きな色で描けとおっしゃる。教科書をただ写す臨画教育は個性も楽しさもないと‥・。
 話替って翌年終戦、旧制最後の募集となった男ばかりの中学校に進んだ。そこでの「美術」の時間は大変な様変り。不透明水彩絵具(ガッシュ)が登場。水に溶ける油絵の具と思って使うのが良いと指導される。だが誰の作品も絵具厚く、絵は濁ってごわごわと重たい。透明水彩の爽やかさを思い出し、2時間続きの美術は苦痛になっていったのである。「水に溶ける油絵を考えたなんて大馬鹿だな!」と言って大笑したのを覚えている。更に誰かが小声で「教え方を知らないんだ。不勉強だな」と皆ニヤニヤしたのである。
 昨年7月、八木保次先生の作品展を拝見した。すべてが水溶性の絵具、その色の重なりが新な世界を奏でる。その間隙から垣間見る白地との響鳴、水彩という地味な描材が繊細でありながら力のある空間を見せたのである。
 再び話跳んで…最近、とある所で水彩の「バラの花」に惹き付けられた。光を透過する可憐な花びら。水彩を知りつくした画家の一点、八木伸子先生の作品であった。伸子先生は今、油彩しか手掛けない。描く冬枯の花は生きている。春の野の花びらは水彩以上に透明で微風に躍っている。描材の特質を徹底して究める一途な努力の結果だろう。
 会の幾人かの中堅画家には、一枚の紙の上にアクリル、ガッシュ、透明水彩を重ねて塗り込んでいく、いわゆるミクストメデイアを見る。しかし溶剤は水。色の重なりが見せる効果、その隙間に覗く「地」との関係も見逃さない。絵は奥行きを増す。
 良き指導者を載く道彩展の画家であればこそ、油彩では表現し得ない絵画世界を開いてほしいのである。



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