西尾亮平先生の思い出

公開日: 12/19/2007 00:00:00 | カテゴリ: 未分類

ヘボ(地蜂)愛好家の間では広く知られた研究家。
http://www.h2.dion.ne.jp/~takabu/tushin.nishio01.html

私が郷里の岐阜県立中津高等学校に通っていた27年前、クラスの副担任で、世界史の先生でした。
ふと思い出して検索した所、昨年の正月に亡くなったとの事。
多くの人達から慕われていたようです。
・・・そう、こういう時にもネットの恩恵を感じます。

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黒板に F D R と板書し
「誰か、これが何の略か解る人、おらんか」
と、西尾先生。
私は、たまたま片岡義男の米国現代文化史論考『僕はプレスリーが大好き』を読んだ直後だったので、なんとなく覚えており、オズオズと手を上げ
「フランクリン・・デラノ?でしたっけ・・ルーズベルト大統領の事・・です」
と答えた所、とても感心してくださったので、その瞬間から世界史が好きになりました。
子供ってそんなモンですよね。
他にも、紅茶の起源についてとか、先生の質問に良いタイミングでたまたま答えられた事から、何かと気にかけてもらえるようになりました。

ある時の中間試験で勉強を怠り(・・試験前日にギターアンプが届いてしまったので・・)欠点スレスレだった時にはものすごく叱られ、私も大好きな先生を落胆させたのを反省して、期末試験で挽回すべく勉強しました。
試験範囲の中心がロシア革命だったので、当時のガールフレンド( = 妻です)の勧めで池田理代子の漫画を読んだり(笑)・・いや、これが効果満点で、事件や政治家の名前など、覚える気がなくても頭にこびりついて、満点近い結果を出せたのは、まあ、私にしては珍しい事でした。
試験後、何かの用事で職員室に行った折、先生は「おい加藤、ところで他の科目はどうだったんだ?」と、嬉しそうに話しかけて下さって、ホッとしたのも覚えています。

品行方正な先生が殆どだった中で、色んな点でかなりアナーキーな先生でした。
机の下には常に焼酎の一升瓶がありましたし、先生が入ってくると教室が一気に酒臭くなりましたし・・。

田舎の高校では、卒業時には必ず進学か就職か、むりやり決定させられます。
アルバイトしながら、好きな道を目指す・・などという事は許されませんでした。
それで、私も京都室町の繊維問屋に一応就職を決め、寮生活をしながら音楽学校に通う事にしたのですが、昔気質の会社でそんな事が許されるはずはありません。
半年を経ずに退職し、工場のアルバイトで生計を立てながら学校に通う生活へと切り替えました。

その直後、帰省して母校へ顔を出した際の先生の言葉。
「好きな道を追求するか・・。それも良いだろう。殆どの者は自ら望んだわけでもない仕事を受け入れ、そこそこの幸せで満足して生きていく。そういう生き方を受け入れない、お前のような奴がいても良い」

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教員は人に対し大きな影響力を持っています。
その責任を、あらゆる点に於いて、軽く考えてはいけない、と、改めて思いました。