『現代語で読む新島襄』より

公開日: 08/20/2010 13:19:26 | カテゴリ: 未分類
日本でこの先「徳育」の大切さにあらためて目が向けられる時が、はたしてあるでしょうか。

私は(残念な事に)神や造物主といった存在を信じる事ができず、信仰心を持ちませんが、しかし、教育と宗教(あくまで、キリスト教、仏教、イスラームなどの普遍的宗教)は、一体であるべきではなかったか・・と、この数年思うようになりました。
知育だけに偏らせず、徳育を充実させるには、それ以外に方法はないのではないか・・そして、徳育を怠った結果、人心と社会全体が壊滅的に荒んでしまった最悪の例が、現在の日本ではないか・・と、思っています。

この半年ほど、同志社女子大学宗教部の刊行物や、新島襄に関して書かれた書物を沢山読んでいるうちに、それは確信に近くなりました。
・・が、だからといって、私などに何ができるでしょう。
せいぜい、自分の職務を、良心に恥じぬよう誠実に行う事くらいです。
他に、何ができるでしょう・・。

 〜〜〜〜〜

今読んでいる本から、少し引用をします。


『現代語で読む新島襄』
 同志社『現代語で読む新島襄』編集委員会(出版社/提供元: 丸善) より

板垣退助への手紙(1883(明治16年)12.31に書かれた)から一部抜粋して引用
========================
・・・多言を費してキリスト教を説くのは決して文化を進める道具とみなすからではありません。むしろ逆でキリスト教に基づかなければ文化は興らないと信じています。文化の源泉なのです。それゆえに私はこの罪悪と汚穢が染みこんだ人類の心を一洗して、わが東洋に新民を隆興させようと存じます。
 新民とはすなわち新心をいだく人のことです。人間としてこの新心がなければ、西洋百般の技芸もなんの益するところがありましょうか。学術なり民権なり政治なりすべては私心私欲の奴隷となり、遅かれ早かれ腐敗に向かうのは歴史上明白なことです。
========================

・・・中略・・・(この後、板垣に対し、新心を持った新民になられよ、と熱した語調で説いています)

引用続き
========================
・・・・万一、閣下にして新民となることをお好みにならないのでしたら、願わくば私の言葉を友人や子供に伝え、百年の後、私の言葉が嘘でなかったことが明らかになるようにしてくだされば、はなはだ幸いです。
========================
引用終わり

 ~~~~~

127年経った現在、新島襄の『言葉が嘘でなかったことが』残念な方向で『明らかに』なっています。
たとえキリスト教でなくとも(新島襄は納得しないでしょうが)何らかの宗教的な背骨、源泉、核となる思想のもとに構築する「徳育」を「知育」と同じレベルで充実させるべきだったのに、それを怠ったこの国は、今や見渡す限り『学術なり民権なり政治なりすべては私心私欲の奴隷となり』腐敗しきってしまいました。