聖書朗読/TwitterとかSNSに関して
聖書朗読のPodcastをいくつか聴いてみました。
その中で、特に素晴らしいと思ったのが、この方の朗読です。
(Podcastからだと、最新の10ファイルしか表示されないようなので、この方のブログの方へリンクさせていただきました)
文字を読む場合、ある文節ごとまとめて目に入るので、簡単に読み飛ばしてしまう事もありますが、朗読を聴く場合は言葉を順番に摂取するしかないのですから、書物を深く理解し、味わいたい時には、読むだけでなく朗読を聴くというのも、とても有効である事に気づかせてもらえました。
ちょっと聞いただけで「この方はプロ、またはアナウンスの訓練をした方だな」と判ります。
ツィートを読んだところ、音訳をされているとのこと。
静かで深みのある声、決して感情過多ではない、適度な「圧力」を持った抑揚・・。
このような素晴らしい朗読を、こうしてダウンロードして聴かせて頂ける事の御礼を言いたいのですが、私はTwitterを利用していませんので、ここで御礼を申し上げるに留めておきます。
で、よく質問される(笑)「Twitterを利用しない理由」についてですが・・。
まず断っておきますが、Twitter利用者を批判する気なんて毛頭ありませんからね。
何人かの知人のツィートはいつも楽しみに読んでいます。
でも私は加入したくありません。
何人フォローしているとか、されているとか、その「フォロー」というのが、どうしても嫌です。
身も蓋もない言い方をしますけど、それって人間の価値を評価したりされたりして、いちいち数字で表すようにして、それをユーザーに競わせる機構ですよね。
こういう事を言うと「まあ、そう言ってしまうとそうだけど・・まあまあ、有益な部分もあるんだし・・」となりますが、でも私はどうしても嫌です。
テレビや新聞や雑誌などのマスメディアを一切拒否しているのと同じで、有益な部分があろうが何だろうが、嫌なものは嫌。
SNSも嫌いです。
友人の近況等が読めるという事で勧められて入会したSNSを、その目的以外では全く利用せず、お互いに登録し合う仕組みに関しては、リクエストを頂いてもお断りする旨を表記していました。
(元生徒さんや学生さん達から大勢連絡をいただいたのに申し訳ありませんでした)
で、これは退会しました。
そのSNS運営者達のユーザーをナメきった姿勢が、ログインする度に目について堪え難くなったからです。
友人の日記が読めなくなるのは残念ですが、以前のようにメールなどで連絡し合う事にします。