信仰心が持てたら・・

公開日: 11/27/2012 17:20:46 | カテゴリ: 未分類

私は神仏(の存在)を信じられませんが、神仏を信じる人を信じています。


信仰心を持つ人、人知を超えた存在に対して畏敬の心を持ち、それに恥じぬよう「良く生きる」事を追求し、教え伝えてきた人達を尊敬し、信じています。


自分も、少しでも、そうした人達に近付きたいと思って生きていますが、自分には信仰心が無い事を、時折、非常に悲しく感じます。


この溝は、埋まりませんか?


どうやっても駄目でしょうか?


無神論者っていう表現は少し抵抗があって・・唯物主義・・てのも変だし、実証主義?(他に良い表現が見当たりません・・)から離れられない人間は、心の平安を得る事はできないのでしょうか。




*ここで私が言う「信仰心」とは普遍的宗教や土着信仰などに於ける信仰心の事です。そこらの汚らわしい拝金偽善宗教法人営利団体やカルト宗教の事ではありません。・・と毎度おなじみの注釈(笑)




自分に信仰心があれば、どんなに良かったろうと、思います。甘ったれた言い草だと思いますが、正直な気持ちとして、それはあります。


先週、自分としては人生で最大レベルの苦難がありました。


(・・ああ、比較はお止め下さいね。みんなそれぞれの状況で、それぞれの苦難を抱えていますもんね。若い世代の方は、私の言わんとしている事がおわかりでしょう。でも頑に「解ろうとしない世代」もいて・・でもちゃんと説明しようとしても「解りたくない」状態に閉じこもっているので・・苦労しますね(笑))


そう、自分としては、本当に大変だったのですけれど・・


もし、神でも仏でも、絶対的な存在を信じていられたなら、全ては御心のままに・・と静かな心で受け入れる事ができるかもしれません。


しかし、そうした信仰を持たない者は、自分の行動によって得た結果は、殆ど全て、他の誰でもない「自分のせい」と考えざるを得ません。


自分の手の届きようもなかった事が原因で、不本意な結果となる事だってあるわけですが、そういった事・・手が及ばなかった事も含めて、自分の力が足りなかったと思うしかありません。


いえ、私は・・そう考えるしかありませんでした。




あれえ?何を言いたかったんだっけ?


すいませんね。ここまで読ませといてごめんなさい(笑)


まだ頭の中が落ち着いてなくて、何か吐き出さずに居られなかったみたいです。


二日間、朝方に雨で、走れなかったせいでもあります。


明日の朝は晴れそうです。


気温が下がってキリっと寒い中を走るのって、やりなれると止められないんですよ。