PRISM

77年のファーストアルバム「PRISM」を聴いた中学3年生の時から、和田アキラ氏は私の神様で目標でした。絶対にこの人のレベルにまで到達するんだ、と自分に誓ったのです。
当時、和田アキラ氏のテクニックは世界的に見ても驚異的なレベルでしたが、それ以上に作曲能力の高さは恐ろしいほどで、ご存知の方もいるでしょうが、ファーストアルバムのA面(Soft Side)のメローな曲も、B面(Hard Side)の凄まじい曲も、作曲したのは彼がまだ10代の頃だったそうです。
私は高校へ入ってからも、2nd以後のアルバムはもちろん、NHK FMで放送されたスタジオライブも、音楽雑誌の付録のソノシートでだけ発表された曲も、全て聴き込んでコピーし、フレーズのニュアンスを真似していました。
当時、和田アキラ氏のテクニックは世界的に見ても驚異的なレベルでしたが、それ以上に作曲能力の高さは恐ろしいほどで、ご存知の方もいるでしょうが、ファーストアルバムのA面(Soft Side)のメローな曲も、B面(Hard Side)の凄まじい曲も、作曲したのは彼がまだ10代の頃だったそうです。
私は高校へ入ってからも、2nd以後のアルバムはもちろん、NHK FMで放送されたスタジオライブも、音楽雑誌の付録のソノシートでだけ発表された曲も、全て聴き込んでコピーし、フレーズのニュアンスを真似していました。

PRISMのライブを初めて見られたのは、アルバム「VISIONS」が発表された直後なので、たぶん82年でしょう。京都 BigBang でした。
田舎から都会へ来て2年目、遂にPRISMのライブを、和田アキラのプレイを目の前で聴ける・・。SEが流れる中、メンバーがステージに登場した時は体が震えました。
・・で、会場の雰囲気が独特なんですよ!(その話をしたくて書き始めたような感じです )
ほぼ満員なんですが、普通のジャズやロックのライブのように「ヒュー!」とか「イエー!」とか言う人は一人も居なくて、誰一人喋らず、静まり返ってピーン!と張り詰めた空気で、息をするのも憚られる程なんです。
PRISMのファンというのは、それぐらい真剣に聴くんですよ。
1曲終わる時にも、次の曲へ続ける演出的アレンジが無い事を感じ取ってから、盛大な拍手が鳴り、またすぐにピーンと張り詰めた空気に戻るのです。
私は、周りのお客さんみんな、私と同じようにPRISMの音楽を、この人たちを崇めているのだ、と感じて誇らしく思いました。
2度目は、たぶん次の年だったと思うのですが、磔磔でした。この時には、たぶん客層が違った(マニアックなPRISMファン以外のお客さんも多かった)からでしょう。普通に和やかで、渡辺健さんもMCで冗談を言ったりしていました。


3度目は深町純が参加したアルバム「NOTHIN' UNUSUAL」「DREAMIN'」発表後なので、たぶん86年頃、近鉄劇場(・・大阪厚生年金会館ではなかったと思う・・)でした。
この時のチケットは、京都の老舗ロックバー『Jam House(ジャムハウス)』の、当時のマスター Hiro氏から頂きました。
仲間内で「みやび」と呼ばれていた常連の私に「みやび君が絶対喜ぶもの、あげるわ」とカウンターごしに渡してくれた封筒の中身は、PRISMの、それも今回はホールでのコンサートチケットです。
もちろん椅子から転げ落ちるくらい喜びました。
常連さんの中の音楽雑誌関係者の人から回ってきた招待券だったようです。

4度目は、私が、祇園の割と大きなキャバレー「シスターハウス」専属バンドのギタリストとして働いていた頃。PRISMが環境問題をテーマにした三部作の一枚目「MOTHER EARTH」を発表した直後でした。
京都でのライブは確か MUSE HALL だったと思うのですが、専属バンドの演奏の仕事は月に2日しか休みが無く、もし休み以外の日に見に行くのなら自腹でトラ(代わりの演奏者)を頼まなければなりません。それで京都のライブは諦めて、たまたま仕事休みの日だった 名古屋 Electric Lady Land のライブを見に行きました。
この時の客席の雰囲気が、また例の、ピーンと張り詰めた「PRISMの客、特有の雰囲気」だったのです。ただ、この日は2〜3曲演奏されてから、ドラムの木村万作さんのMCで雰囲気が和みました。
「・・PRISMのファンの皆さんは、とても真剣に聴いてくださるので嬉しいのですが・・・、あの、どうでしょう、もう少しこう、和んでみませんか? テーブルの相席の方と、ちょっと雑談を交わしてみるとか・・。そ、そうそう、そこの方、そんな感じに、ね、皆さんちょっと和みましょうよ・・」
こんな感じのMCで少し笑いが起き、私も同じテーブルの同年代らしい男の人と少し会話しました。ああそうそう、殆どの人が一人で来ていて、二人連れは2組くらいしかなかったんじゃないかと思います。
アンコールで演奏される事の多い名曲「Karma」は、この時はアレンジが凝っていて、最初はそれと判らないけれど少しづつ琴線に触れるような感じで『あ・・これは・・カーマ・・カーマだ!!!』と喜ばせる、絶妙な演出でした。実際、あちこちのテーブルで、さっき初めて言葉を交しあった人たち w 同士が「あ、これ・・」「カーマじゃないですか?」「カーマ、カーマですよ!」などとヒソヒソ言い合っていました。
きっと皆、私同様、全身鳥肌立てて感動していたでしょう。
和田アキラ氏の体調が思わしくなかったのは、もう何年も前から知られていた事でしたから、残念ながらその日が来た時も、私は『ああ、ついにきたか・・』と思いました。
一度もお会いできなかったけれど、心の中では弟子のつもりでしたし、あの方のおかげで、私は中学生の頃からもうすでに、音楽に真剣に取り組む姿勢を持てたのですから、とても感謝しています。