リチャード・バック
またヘッセ関連のお話ですが・・
ヘルマン・ヘッセ『ガラス玉演技』を読み返していて、ふと思った事がありました。
米国の作家リチャード・バックの有名な作品『カモメのジョナサン』は、ヘッセ『ガラス玉演技』の童話風リメイクだったのではないか・・と。
それに関して調べてもいませんし、何の確信もありませんが、ふと、そのように思ったのです。
リチャード・バックの青年期には、米国の、特に反社会的自由思想を信奉する若者、いわゆるヒッピームーブメントに関わった人々の間でヘッセが熱狂的に読まれ支持されました。
ヘルマン・ヘッセ『ガラス玉演技』と、リチャード・バック『カモメのジョナサン』。この2つの作品を同列に論じる様な事はしたくないのですが、私には非常に判り易いと思える共通点があるように思うのです。
・俗世と隔絶された場所に極めて高い精神性を追求する共同体があり、そこに於いて非常に優れた指導者となる者の人生を描く物語
・女性が(主要な役割としては)全く出てこない
・精神的完成に近付いた者は、その状態を表す表現として「光り輝く」
先に、同列に論じる様な事はしたくない、と書きましたが、それは、私がリチャード・バックを好きではないからです。
『カモメのジョナサン』と『イリュージョン』を読みました。
作者がどのような思想を信奉しているかは何となく解りますし、その思想には、私の愛するヘッセ文学の精神性にも通ずる、美しく尊い永遠なるものへの憧憬が含まれているという事も感じ取れます。
しかし、リチャード・バックの作品からは、カルト宗教団体のような、ある種の「いかがわしさ」が感じられてなりません。
『カモメのジョナサン』の訳者 五木寛之は、解説でこの作品を批判的に評しています。
その解説に若い頃の私は反発を感じました。が、その頃よりは物事を多面的に考えられる様になった現在、訳者の批評には一々頷けるように思うのです。
*初出:2003.11.13(加筆訂正して再掲)
https://kato-masaharu.asablo.jp/blog/2003/11/13/5633573
ヘルマン・ヘッセ『ガラス玉演技』を読み返していて、ふと思った事がありました。
米国の作家リチャード・バックの有名な作品『カモメのジョナサン』は、ヘッセ『ガラス玉演技』の童話風リメイクだったのではないか・・と。
それに関して調べてもいませんし、何の確信もありませんが、ふと、そのように思ったのです。
リチャード・バックの青年期には、米国の、特に反社会的自由思想を信奉する若者、いわゆるヒッピームーブメントに関わった人々の間でヘッセが熱狂的に読まれ支持されました。
ヘルマン・ヘッセ『ガラス玉演技』と、リチャード・バック『カモメのジョナサン』。この2つの作品を同列に論じる様な事はしたくないのですが、私には非常に判り易いと思える共通点があるように思うのです。
・俗世と隔絶された場所に極めて高い精神性を追求する共同体があり、そこに於いて非常に優れた指導者となる者の人生を描く物語
・女性が(主要な役割としては)全く出てこない
・精神的完成に近付いた者は、その状態を表す表現として「光り輝く」
先に、同列に論じる様な事はしたくない、と書きましたが、それは、私がリチャード・バックを好きではないからです。
『カモメのジョナサン』と『イリュージョン』を読みました。
作者がどのような思想を信奉しているかは何となく解りますし、その思想には、私の愛するヘッセ文学の精神性にも通ずる、美しく尊い永遠なるものへの憧憬が含まれているという事も感じ取れます。
しかし、リチャード・バックの作品からは、カルト宗教団体のような、ある種の「いかがわしさ」が感じられてなりません。
『カモメのジョナサン』の訳者 五木寛之は、解説でこの作品を批判的に評しています。
その解説に若い頃の私は反発を感じました。が、その頃よりは物事を多面的に考えられる様になった現在、訳者の批評には一々頷けるように思うのです。
*初出:2003.11.13(加筆訂正して再掲)
https://kato-masaharu.asablo.jp/blog/2003/11/13/5633573