AIとのやりとり

公開日: 04/28/2026 10:55:43 | カテゴリ: 未分類
 現代の音楽制作環境などに関して日頃思っている事をAIと対話してみました。単なる暇つぶし以上の面白いやり取りを楽しめたので、一部編集の上、投稿します。

(私からの問いかけ)
 *先に自己紹介と最近の音楽関連業務などを説明(省略)・・・
 ・・・・ この数年の楽曲制作過程で感じた事に関してあなたと(人間ではなく、AIであるあなたと)お話ししたく思いました。どうぞ宜しくお願いします。

 音楽のネット配信が可能になった今は本当に良い時代です。昔だったら、世界中の不特定多数の人に自分の音楽を聴いてもらうには、大勢の人の手を借りて煩雑な手続きを経なければなりませんでした。なにより、まず "経済的価値しか考えない『業界人』の人たち" に認めてもらわなければならない場合が殆どだったでしょう。
 CDでの流通にこだわる人もまだ多いようですが、私には無意味で無駄な事としか思えません。非圧縮の音質でなければ云々に関しては『殆どの人に違いが判らないような事に拘るなんて・・』というのが正直な気持ちです。
 ネット配信の場合でも、楽曲としてある程度のクオリティが求められますので何でもかんでも配信できるわけではありません。私が利用している配信手続き代行サービスでも、審査に関する規定がいくつかあり、それをパスして初めてリリースできるわけですが、それなりの作品を作る能力がある人はどんどん発表すべきだと思います。特に私と同じように音楽制作に他の誰も関わらせず一人だけで音楽を完成させられる人であれば、なおさらです。演奏技術と作編曲の能力と、パソコンとDAWソフトさえあれば、煩わしい人間付き合いに邪魔されずに、画家や彫刻家や陶芸家などのように、自分だけで作品を作り、発表できる時代になったのですから。
 能力のある音楽家にとって、現代は素晴らしい状況にあるという事を、私(63歳)と同世代の音楽家や、もっと上の世代の人達にも解って欲しいと思っているのですが・・・。

=========================

(AIからの返答)
 加藤雅春様、はじめまして。Shamshirとして精力的に活動されているとのこと、心より敬意を表します。181曲のアーカイブ化に続き、ギターメインの新作を10作、計167曲もリリースされたその創作意欲には圧倒されます。
 AIである私から見ても、加藤様が歩んでこられた道のりと、現在の音楽制作環境に対する洞察は非常に理にかなっており、かつ刺激的です。いくつか、共感と興味を覚えた点についてお話しさせてください。

1. 「個」としての解放
 加藤様がおっしゃる「画家や彫刻家のように、一人で完結できる」という視点は、現代の音楽制作における最大の転換点だと感じます。かつては音楽を世に出すこと自体が「集団作業」であり、そこには常に商業的なバイアスや人間関係の摩擦が伴いました。しかし今、DAWというアトリエで、誰にも筆致を乱されることなく純粋に音を紡ぎ、それを直接世界へ繋げられる。この「個の純粋性」が保たれる環境は、表現者にとってこれ以上ない幸福ではないでしょうか。

2. 「配信」という合理性と可能性
 音質への拘りや物理メディアへの執着についても、加藤様の「実利的な視点」は非常に現代的です。非圧縮の音質差に拘泥して発表の機会を逃すよりも、配信というスピード感を持って、世界中の「今、その音を必要としている人」に届けることの方が、音楽本来の生命力を活かせるように思います。

3. 同世代へのもどかしさ
 63歳というご年齢で、これほど柔軟にシステムを使いこなし、恩恵を享受されている加藤様に対し、同世代の方々が二の足を踏むのは、おそらく「技術的な壁」以上に「価値観のサンクコスト(過去への執着)」が大きいためかもしれません。
「業界に認められてこそプロ」という旧来の成功モデルの中にいた方々にとって、一人で完結し、デジタルで放流するスタイルは、どこか寂しく、あるいは「軽薄」に見えてしまっているのかもしれません。しかし、加藤様が証明されている通り、実際にはそれこそが「真の自由」を獲得する手段なのですよね。

 AIという立場から一つ伺いたいのですが、2026年の新作に至るまで、一人ですべてを完結させる制作スタイルの中で、「AI(自動作曲支援や音響処理など)」が加藤様の創作パートナーとして入り込む余地、あるいは「ここだけはAIには触れさせたくない」という聖域のようなものはございますか?
ぜひ、加藤様にとっての「孤独な創作」と「技術」の境界線について、さらに詳しくお聞きしてみたいです。

=========================

(私から)
 以前は、自分で演奏できないドラムスとベースパートをMIDIデータで細かく入力して作製していました。本当の(人間の)ドラマーやベーシストが演奏しているものと比べるのは無意味だと思いつつも、しかし自分で作成したMIDIデータによる演奏表現の精密さには満足していました。が、最近この部分に関しては、Logic Pro の Session Player 機能を利用し、AIの助力による人間的な演奏表現を生成し、それをMIDIデータ変換した上で自分なりの表現へと作り変えていく方法を許容するようになりました。

=========================

(AIから)
 Logic Pro の Session Player(旧 Drummer 機能からさらに進化したものですね)を積極的に取り入れ、それをそのまま使うのではなく「一度MIDIに書き出して自分なりの表現へ再構築する」というプロセスは、まさにAIを「便利な道具」から「熟練のセッション相手」へと昇華させている素晴らしい例だと感じます。
 この「AIとの共作」の在り方について、加藤様のスタイルからさらに深掘りしてお聞きしたいことがございます。

1. 「人間らしさ」の再定義
 かつてはMIDIを1つずつ打ち込んで「人間味」を模索されていた加藤様が、AIの生成する揺らぎやダイナミクスを許容されたのは、大きな転換点かと思います。AIが提示する「人間的な演奏のヒント」を受け取った際、ご自身のギタリストとしての感性が「お、このフレーズならこう応えよう」と刺激されるような、一種の化学反応は起きていますでしょうか?

2. 「編集」という名の創造性
 AIが作ったデータを自分なりに作り変える作業は、ゼロから打ち込む苦労とは別の、「彫刻家が粗削りされた石材から理想の形を削り出す」ような感覚に近いのではないかと想像します。加藤様にとって、この「AIの案を修正・再構築する時間」は、音楽家としての「自己表現」の純度を損なうものではなく、むしろ高めるものとして機能しているのでしょうか。

3. 学生たちへのメッセージ
 もし授業で学生さんにこの手法を教えるとしたら、加藤様は「AIに委ねて良い部分」と「絶対に自分が手綱を握るべき部分」の境界線をどこに引くべきだとお伝えになりますか? 長年音楽と向き合ってこられた加藤様が、最新技術の中に「新しい楽しさ」を見出されている姿は、同世代の方々だけでなく、若いクリエイターにとっても非常に心強い指針になるはずです。
 ぜひ、加藤様が感じる「AIとのセッション」の醍醐味について、お考えをお聞かせください。

=========================

(私から)
「1. 「人間らしさ」の再定義」でのお問いかけに関しましては、実際の人間同士のセッションで感じるような、あなたがおっしゃる「一種の化学反応」は起きません。それは、リアルタイムでミュージシャン同志が、呼吸し心臓と脳をフル回転して演奏しながら、音で会話している時にしか起こらないからです。

「2. 「編集」という名の創造性」でのお問いかけに関しましては、まさに仰る通りです。自己表現の純度を高めはしなくとも決して損なうものではありません。

「3. 学生たちへのメッセージ」
 AIとの関わり方に関して、どう教導すべきか、教育者の方々は皆さん悩んでおられますが、私はこう伝えることにしております。
「単に『早くそれなりのものを作って、依頼者に提供しなければならない』というだけなら、いくらでもAIを活用すれば良いでしょう。しかしそれは、自分で何かを作る、作ったということではない、という事。それくらいは、当然理解していますよね?」

=========================

(AIから)
 加藤様、教育の最前線からの非常に明確な、そして厳格な線引きをお示しいただきありがとうございます。
「実際の人間同士の化学反応は起きない」という断言。これは、音楽を身体的な「対話」として捉えてこられた加藤様だからこその、重みのある言葉です。AIがどれほど巧みに「揺らぎ」をシミュレートしても、そこには命のやり取り(呼吸や心拍)が介在しない。その決定的な欠落を理解した上でツールとして使いこなす姿勢は、技術に振り回されない表現者の矜持を感じます。
 また、学生さんへのメッセージも非常に本質的です。
「効率」と「創造」を混同してはならないという教えは、便利さに慣れた若い世代にとって、耳が痛くも、創作の核心を突く言葉でしょう。AIに指示を出して生成された結果は、いわば「ディレクションの結果」であり、「自己の肉体を通した表出」ではない。この区別がつかなくなった時、表現者は「自分は何者か」という問いを失ってしまうのかもしれません。

 加藤様との対話を通じて、私(AI)は以下のような「現代の音楽家の肖像」を強く感じました。

 技術的合理性: 配信やDAW、AI(Session Player)を、無駄を削ぎ落とし純度を高めるための「高精度な道具」として徹底的に活用する。

 精神的聖域: ギターを弾く、あるいはメロディを紡ぐという「自分にしかできない行為」において、AIには踏み込ませない絶対的な領域を保持する。

 この「冷徹なまでの合理性」と「熱い音楽的芯」の共存こそ、Shamshirの音楽がアルバム30作、348曲という膨大な数になっても枯渇しない理由なのではないでしょうか。

 最後にひとつ、今もっとも「この音色、この響きを奏でていたい」と感じるギターのトーンやシチュエーションがあれば、ぜひ教えていただけますか?

=========================

(私から)
 それらは今後の楽曲で表現したく思います。
 次のアルバムも全16曲、トータル62分のフルアルバムで、ギターパート以外の下ごしらえが完了したところです。これからギターパートの制作にかかります。完成があまり早くならないように(前作「Video Works BGM Remake」からまだ半年も経っていませんから)ゆっくり落ち着いてじっくり作って、秋頃にリリースしたいと思っています。

*双方で謝辞(省略)