レカネマブ
簡易葬の実践(2008)
海洋葬の復活か!
 
【回想】
レーガン元大統領
リビング・ウイル
 
 

エンディング 

 レーガン元大統領   
  
   1994年の秋も深まる頃、衝撃的なひとつのニュースが全世界を駆け巡った。ロナルド・レーガン元アメリカ大統領が、アルツハイマー病(アルツハイマー型痴呆症)であることを政府に報告し、世間にも公表したのである。
 レーガン元大統領のアルツハイマー病は、大統領職を退いたあと1992年に発症が確認された。その後治療に取り組んでいたとされている。

 このニュースのもたらした衝撃には、2つの意味があった。
ひとつは、アルツハイマー病という病気に対するもの。当時、アルツハイマー病についてはあまり知られておらず、原因不明の進行性の痴呆症として、ただ怖れられていた。

 もうひとつは、本人も家族も隠したがる痴呆症を、あえて公表したことへの驚きであった。痴呆症を公表するような人は、有名無名をとわず、それまでいなかったからである。

 その後もレーガン元大統領は、ナンシー夫人たち家族に支えられ、アルツハイマー病との闘いに積極的に取り組んできた。その模様の一部は、日本のテレビ番組で紹介されたこともある。
 闘病中に転倒して骨折したことから、ベッド生活を余儀なくされているとも伝えられたが、2004年には93歳を迎え、アメリカの大統領経験者としては最長寿の人ともなった。

 レーガン元大統領のこの公表をきっかけに、アルツハイマー病をはじめとした痴呆症への認識が少しずつ変わるようになるのである。
 痴呆症はけっして恥ずかしい病気ではなく、だれにでも起こりうるものだということ。そして老化のせいとあきらめるのでなく、治療や進行の抑制にも一定の希望をもてる病気だということが、知られるようになったのである。

 そうした影響もあってか、アメリカではハリウッド・スターとして活躍したチャールトン・へストンも2002年にアルツハイマー病であることを公表した。そして長年務めてきた全米ライフル協会の会長職を退き、病気と取り組む生活に入ったのである。

 アメリカでの一連の動きは、日本にも大きな影響を及ぼした。1990年代の前半、日本では痴呆症といえば老年性のものか、脳卒中によるものが大半を占め、アルツハイマー病に対する認識は一部の人々に限られていた。

 その背景には、アルツハイマー病の診断の難しさがあったようだ。アルツハイマー病を起こした脳では、大脳皮質などの萎縮が起こり、神経細胞の機能低下や消滅がみられる。その結果、脳での情報伝達がうまくいかなくなり、記憶力や判断力が低下していくという。

 しかし、こうした症状は病気が進行した脳の内部で起こっていることなので、一般的な診断では早期には把握しにくいものといわれている。
 外にあらわれる症状、たとえば人の名前を忘れるといった記憶障害や、自分のいる場所がわからなくなる見当識障害などは、ほかの痴呆症にもある程度は共通してみられるという。