もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー本来の仏教を考える会
第一部
第三部
仏教学・禅学の批判
初期仏教の解脱・悟り

仏教や禅が、知的に論理的に思惟・理解できるものとする傾向が学者の間で信じられているような昨今である。だが、釈尊の時代の仏教は、そんな論理的な思惟・理解するものではなかったのであって、後世の仏教教団、セクトが自派の優位性を主張せんとして「思想」を説くことに力を入れたために、現代の学者は、思想面のみが仏教であるかのように誤解しているように見える。
仏教の大きな目的は、迷いの自己を解脱して、自己の実相を知り、それを標準として生きていくこと、といっているように見える。そのいずれも、教理、思想を思惟・理解することだけではなくて、「解脱」「悟り」という宗教経験がある。それがなければ、迷いを解脱し、他者を害する煩悩障を捨棄していない。そういう思惟によらない体験のあることを肯定する研究者と、否定する研究者がいる。
初期仏教において「解脱」を肯定する説は、後世(および現代の)の禅の「悟り」を肯定する説を補強するものとなる。もちろん、初期仏教の「解脱」と、禅の「悟り」が、同じであることを立証しなければならない。体験者には、自明のこととなるのであるが、学問的に立証するとすれば、かなり、困難である。その証拠に、初期仏教の分野でも、禅の分野でも、体験的な「悟り」を否定する研究者が多い。このような混乱が、伝統仏教の魅力を失わせている大きな要因となっているであろう。国民がカルトなどの宗教に搾取されないためにも、すみやかな研究解明が要請される。
ここでは、そもそも釈尊、および釈尊に近い初期仏教にも、思惟によらない体験のあることを肯定する研究者と、否定する研究者の言葉を概観する。もちろん、ここには管見にはいったうちの、ごく一部しか掲載できないし、その説の詳細にも立ち入る余裕はない。
A)解脱・悟りの体験を肯定する研究者ー原始仏教の領域
B)解脱・悟りの体験を否定する研究者ー原始仏教の領域
A)解脱・悟道体験を肯定する研究者ー原始仏教の領域
A-1)森章司氏
森章司氏は、初期仏教の「般若」を研究された西義雄氏のあとを受けて「仏教の教えの根本は何か」を考察したという(1)。森氏は、原始仏教は、如実知見する般若の智慧を得て、「解脱はこの世において実現すると同時に、それが証明されなければばらないということになる。」(2)とされた。森氏の結論は、こうである。
「原始仏教の教説は、現実の「あるがまま」なる真実を、真実のままに「あるがまま」に知見することこそが悟りであるという基本理念に基づいていた。したがって説一切有部や南方上座部などの部派仏教の修行道体系は、四諦や「無常・苦・無我」説の現観を中心に据えて形成されたのである。」(3)
(注)
- (1)森章司「原始仏教から阿毘達磨への仏教教理の研究」東京堂出版、1995年、3頁。
- (2)同上、699頁。
- (3)同上、700頁。
A-2)三枝充悳氏
初期経典では、悟りの境地を「ニルヴァーナ」といい、「涅槃(ねはん)」「(絶対の)やすらぎ」などと訳される。三枝充悳氏は、初期経典から、「ニルヴァーナ」について考察し、それは「実現」「完成」「体得」であるとされる。
「ブッダになる、すなわち覚者となる、さとりをひらく、道を成ずる、そのことがとりもなおさず、ニルヴァーナの獲得・実現・確保、否、完成にほかならぬ、とわたくしは主張したい。」(1)
「ゴータマ・ブッダが、当然のことながら、すでにニルヴァーナを体得していて、それを弟子に、また問うものに、答え、教えた、と見るのが至当である。ゴータマ・ブッダには、その成道のとき以来、ニルヴァーナに関して確然たる体得が存在していた。」(2)
その体得の内容として、「渇愛の棄捨、渇愛の捨断、内なる渇愛の制御、欲望と貪りとの除去、世のなかの何ものにも執著しない、欲望と貪りを離れて智慧があるなどをあげる。また、不死・寂静・不滅、虚妄ならざるもの、真実、など。これらを体得していた、というのが、三枝充悳氏の初期経典の読み方である。
私(大田)の思うには、このうち、「不死・寂静・不滅」は、どうしても、思想を論理的に理解するのではなくて、体験的に自覚するものとしか解釈できないはずだと思う。初期仏教経典の言葉を独断的に否定せず、素直に読むならば、縁起説だけ、坐禅だけからは、どうしても「不死、不滅」は出てこない。自内證する体験内容からの言葉であろう。
三枝氏は「たんなる道を説く実践哲学や、また形而上学的背景をもつ理論哲学では、決してなかった。」(3)という。一度は「日常的・自然的な世俗の消えた場所」を「発見」しなければならない、という。この場所とは、もちろん、精舎という物理的な場所ではなく、物理的には、日常の場所であって、実存の根底の場所であるはずである。
「ここに明らかに、日常的・自然的な世俗の消えた場所に、真の意味の生きた現実がひろがって、現実を支える中道がひらかれ、現実の基盤である法の立場が鮮明となる。
いいかえれば現実そのもは、決して否定も排除も超越もなされない。そして一言であらわせば日常的・自然的な世俗の撥無された現実のなかに、自己は生きる場所、むしろ生きるべき場所を発見して、実践にいそしむ。このニルヴァーナの主導する現実にこそ、中道が説かれ、また教えの法の真実が具現される。」(4)
このようにして体得されるニルヴァーナは、初期仏教から大乗仏教まで通貫してあったはずである、という。
(大田=それは、中国、道元、白隠の禅にも通貫しているはずであるが、まだ禅学は解明しきっていない。否定する研究者がいる。三枝氏に私も賛同する。大乗仏教の般若経、法華経、華厳経、唯識説、如来蔵、中国禅にも通貫している。しかし、もちろん、その一派、あるいは、その論書などで、そこをはずれたものも多い。それは、三枝氏が下記=注6=に指摘するとおりである。)
「ニルヴァーナは、そのような意味において、ゴータマ・ブッダの成道の当初すなわちブッダ(覚者)の誕生から、初期仏教全体を通じて、そして、のちに、また随所で、変貌や発展をつづけて行く仏教(思想)史全体を貫いて、強く、鋭く、透明な、堅固な、しかも自由な、無礙の根本であった。」(5)
しかし、歴史的に発展した仏教の中には、この肝心な体得、実践から離れたものがある。それは、煩悩障の捨棄などせず、人々を浅い段階に抑圧し、空理空論に堕するものもあれば、むしろ堕落である。三枝氏は、それを具体的にはあげていないが、インドの密教の一部、中国の華厳宗の一部、日本の天台本覚思想など、明らかに、体得、実践が後退している。
「しかしながら、ニルヴァーナとのつながりが薄れ、弱まり、ニルヴァーナへの強固な志向を喪失して、たんなる形式的な惰性のみ、あるいはたんある道、たんある理論、たんなる観念、特殊な目的のためのたんなる手段、その他のものへと変貌したあとには、それらがいかに壮大、壮麗・緻密・巧妙なものと見えようとも、すでに空虚で盲目で無内容な抜けがらにすぎないと評されよう。」(6)
以上のように、三枝氏は「ニルヴァーナ」(解脱、涅槃、やすらぎ)の考察の個所でも、体得、実践が本来の仏教であることを確認されている。
(注)
- (1)三枝充悳「初期仏教の思想」(下)レグルス文庫、』第三文明社、1995年、742頁。
- (2)同上、743頁。
- (3)同上、760頁。
- (4)同上、756頁。
- (5)同上、756頁。
- (6)同上、762頁。
A-3)渡辺文麿氏
仏教思想第八巻「解脱」は、仏教を通貫して主張された「解脱」について諸研究者が論じているが、渡辺文麿氏は、パーリ仏教経典における「解脱」を論じている。この中から、「解脱」が、理による理解ではなくて、定によるものであることを論じておられるのを、二、三確認しておく。
心解脱と慧解脱
初期経典には、「心解脱」と「慧解脱」とが多く見られるが、当初は、区別はなかった(1)が、後には、区別されるようになった(2)。「倶解脱」という語も生まれ、その場合、「寂静解脱」という体験が解脱について重要な条件になっている。
「慧によって煩悩を断じた者が慧解脱者であるのに対して、寂静解脱を得たものだけが、倶解脱者とみなされ、慧解脱の上位に倶解脱が置かれたのである。
寂静解脱とは「色を越え、無色なるものを身をもって体験する」と、説明してあるから、八解脱と同様に、禅定によって滅尽定を得ることを言うのであろう。この場合、寂静解脱は心解脱、即ち、定による解脱を意味し、慧解脱、つまり慧による解脱と対比されているのである。」(3)
(注)
- (1)渡辺文麿「パーリ仏教における解脱思想」(仏教思想研究会編「解脱」平楽寺書店、1982年)129頁。
- (2)同上、130頁。
- (3)同上、130頁。
定による解脱
「概して、種々なる心解脱は、定による解脱を意味するところの心解脱であると言えるであろう。」(1)
しかし、「定による解脱といっても、禅定の深浅によって、心解脱にもいくつかの段階が生じている」(2)
(注)
- (1)渡辺文麿「パーリ仏教における解脱思想」(仏教思想研究会編「解脱」平楽寺書店、1982年)132頁。
- (2)同上、133頁。
七種の聖人
パーリ経典には、七種の聖人が区別される。仏教の聖人を、随信行、随法行、信解脱、見到、身証、慧解脱、倶解脱の七段階に区分する。
「倶解脱は、寂静解脱を体得し、慧によって煩悩をすべて断じて解脱したものとあり、七種人の中では、いまだ寂静解脱を体得しない慧解脱よりも上位にみられている。身証は、寂静解脱は体得しているが、慧によって煩悩をすべて断じ尽くせないということで、寂静解脱をいまだ体得していない見到よりは優れるが、慧解脱に劣ることは言うまでもない。」(1)
(大田)このように、七種人説では、「身証」すなわち、「寂静解脱」という体験が区分の条件になっている。禅における「見性体験」でも、それだけでは、ある種の煩悩が断じられておらず、自在を得ていないことが体験者(道元、白隠、盤珪、鈴木大拙など)から告白されている。慧による解脱も重視されていることは、たとえ、寂静解脱の体験(禅の見性体験と同一かもしれないが、学問的にはいまだ解明されていない)がなくても、重要な煩悩障は、智慧によって断じている人であるから、他の宗教にも現れると考えられる。だが、寂静解脱の体験が言われるのは、仏教特有の体験かもしれないが、禅でも、見性体験しても、それをほこる慢心や、体験を対象化して自在でない者がいたりするので、寂静体験だけでよいとはされなかったのは理解できる。しかし、とにかく、「寂静解脱」という体験が最高の聖人、倶解脱に要求されていたことは、パーリ経典で確認される。
(注)
- (1)渡辺文麿「パーリ仏教における解脱思想」(仏教思想研究会編「解脱」平楽寺書店、1982年)134頁。
静慮解脱
渡辺氏は、小部経典の「無碍解道」に出てくる「静慮解脱」という語について考察している。
「出離が熾然するが故に静慮なり、欲を焼尽するが故に静慮なり。熾然するに依りて解脱するが故に静慮解脱なり。焼尽するに依りて解脱するが故に静慮解脱なり。熾然するは諸法なり。焼尽されるは諸煩悩なり。熾然すると、焼尽する所を知るが故に静慮解脱なり。」(1)
という説明がある。
「つまり、禅定によって、すべての煩悩の滅却を了知することが静慮解脱であると、理解することができる。」(2)
「無碍解道」には、「明解脱」の語もあり、「明解脱とは、出離を知るが故に明なり。欲より解脱するが故に解脱なり。知りて解脱し、解脱して知るが故に明解脱なり」(3)とする。渡辺氏は、「無碍解道」において、静慮解脱を明解脱との関係で論じようとする試みを、次のように評価する。
「静慮解脱を明解脱との関係で論じようとする試みは、定による解脱には慧の裏づけがあり、慧による解脱には定の裏づけがあるということを物語っていると理解することができるであろう。」(4)
(大田)このように、「無碍解道」では、定と慧の両方が重要視された。この定は、静慮解脱という体験であり、単なる禅の行ではないだろう。禅の行だけでは、出離を知るわけでもなく、欲より解脱するわけでもないからである。出離を知り、、欲より解脱したことを知り、諸法が熾然し、諸煩悩が焼尽されるような「静慮」という語で示される定でなければならない。そうすると、修行のあかつきに、そのような定を体験することが「静慮解脱」とされたと理解してよいであろう。そういう体験が重要視されたと理解すべきであろう。
(注)
- (1)渡辺文麿「パーリ仏教における解脱思想」(仏教思想研究会編「解脱」平楽寺書店、1982年)141頁。
- (2)同上、141頁。
- (3)同上、142頁。
- (4)同上、142頁。
B)解脱・悟道体験を否定する研究者ー原始仏教の領域
体験的な解脱、悟りを否定する人は、道元研究分野には多いが、初期仏教の研究領域では、少数である。松本史朗氏(駒沢大学)がおられる。

B-1)松本史朗氏
解脱・涅槃は仏教ではない
松本史朗氏は、「解脱と涅槃」を論じて、これは、仏教ではないと断じている。結論としてまとめているので、そこを引用する。
「一 ”涅槃”の言語である”nibbana"は、”消滅”ではなく、”離脱”または”除覆”つまり”覆いがとりのぞかれること”[”覆いがとりのぞかれて解放されること”]を意味する。”nibbuti"または"nibbuta"(skt.nirvrta)がこの語の意味を明示する。
二 ”涅槃”という考え方の基本的構想は、”アートマンの非アートマンからの解脱という解脱思想の根本論理に一致する。従って、”涅槃”も”解脱”も、ともに我論に立脚する。この明瞭な我論は、後に仏教的無我説の伝統によって、たとえば"attan"(我)の言語を"citta"(心)に代替するなどのやり方で、曖昧化されたが、その根本論理が我論であることに変りはない。
三 アートマンは、しばしば光に譬えられる。あるいは、アートマンは光をもつと考えられる。このアートマンにある光を障ぎる覆いをとりのぞけば、光は対象に到達して闇を破壊する。従って、”光の消滅”が我論にもとづく”解脱”と”涅槃”の思想において、理想と見なされることはありえない。
四 解脱及び涅槃の根本論理は、”アートマン(A)の非アートマン(B)からの離脱、脱却である。このAとBは、端的に”精神”と”肉体”と考えられる。従って、完全な解脱は肉体の捨離によって始めてもたらされるから、一切の解脱思想の唯一の理想は”死”である。」(1)
松本史朗氏の方法は、伊吹敦氏が、下記のとおり、厳しく批判するように、上記の「解脱と涅槃」も、経典の資料に基づいて、真意を理解しようという態度が弱く、自分の仮説、哲学を設定して、独自の意味づけをして、「解脱」「涅槃」を我論だとして、仏教ではないとしている。三枝充悳氏や森章司氏など、他の研究者が「解脱」「涅槃」を経典の文字をなるべく否定せず、その当時の意図を理解しようという態度があるのに、松本氏にはその態度が弱い。
(注)
- (1)松本史朗「縁起と空」大蔵出版、1989年、219頁。
松本氏への批判
駒沢大に「批判宗学」を提案している学者とは、松本史朗氏や袴谷憲昭氏である。彼らは、仏教は縁起を思惟するのみであるという説を激しい論調で主張される。そのような学者を伊吹敦氏(東洋大学助教授)が、「極めて独断的、恣意的なもの」と全面否定している。
「こうした状況への反動と見なすことができるのが、近年、駒沢大学の一部の学者によって展開された「批判宗学」である。彼らは中国仏教、特に禅が中国的な思想の影響を多分に受けていることに着目し、それに対して厳しい批判の眼を向ける。しかし、禅に代表される中国仏教がインド的ならざるものであることは、今さら言うまでもない自明のことであって、その主張自体は何ら新しいものではない。そればかりか、その議論を見るに、資料の分析から議論を展開しようとせず、極めて独断的、恣意的なものとなっている。
従って、彼らの主張の多くは学問的にはほとんど評価すべきものを含んでいないのであるが、こうしたものが現われた背景には、仏教研究が実存の問題から切り離され、学問のための学問となってしまっているという現実に対する不満があるように思われる。実際、彼らの主張には現在の仏教をいかにすべきかという視点をしばしば窺うことができるのである。しかし、彼らには伝統的な禅修行に基づく人格の陶冶も社会的な実践も見られず、その主張もインド仏教を正当とする一種の原理主義に基づいており、現実に存在している仏教との接点を欠いているため、教団内では多少は注目されているものの、社会的影響力は皆無といってよい。」(1)
(注)
- (1)伊吹敦「禅の歴史」法蔵館、2001年、309頁。
自分の仮説・理解の方を重視し、経典を否定する
松本氏は、自分の仮説に合わないから、次のように、縁起説まで、「致命的な困難を内含している」と否定する。縁起説については、三枝充悳氏、森章司氏などが、否定せずして、その意義が解明されつつある。松本氏が「致命的な困難を内含している」と感じるのは、自分の「縁起説」や「無明」の解釈や仮説がおかしいからとは思わないのだろうか。それほど、自分の仮説に執著し、経典を軽んじていいのだろうか。経典の文字の選択的抽出、独自の解釈によって、新興宗教を起こすのならやむをえないが、それが、正当な学問なのか。
「しかし私はその後”無明は縁起(縁起説)に対する無知である”と明確に規定せざるを得ないことになった。(中略)しかし、それによって私は、一種奇妙な困難に直面することになった。それは、”縁起”の第一支は”無明”であり、その”無明”とは”縁起”に対する無知でなければならない(さもなければ、仏教思想[縁起説]の独自性を保つことはできないから)、と考えることにおける困難である。すなわち、”縁起”の第一支が”縁起”それ自体に対する無知であるということは、奇妙なことではなかろうか。”縁起”の第一支を同じ”縁起”という語を用いてしか語れないとすれば、これは一種の循環論法とは言えないであろうか。つまり、縁起説といえども、ある致命的な困難を内含しているのではなかろうか。そして、私が以上のような考察、おそらくは、どこかに誤りを含んでいるかもしれない考察から導き出した結論は、縁起説とは要するに、一個の哲学であり、信仰であり、あるいはひとつの明確な生きる態度とでも言うべきものにしかすぎないということであった。」(1)
松本氏は、初期仏教経典のあちこちを矛盾として否定する。次のように、「わが心解脱は不動なり。これは最後の生なり。最早、再生はなし」という言葉は、釈尊を粉飾したものだと松本氏は、いうのである。あるいは、確固とした證得されたものを、釈尊の「信仰」におとしめる。自分の仮説(仏教は縁起説のみ)に合わない経典の言葉は、みな、否定していく態度である。これでは、仏教はあきらかにならず、松本氏の仮説にあうもののみを肯定し、合わないものは、経典にも致命的な欠陥がある、仏教ではないものがはいりこんだもの、あるいは、信仰、哲学ということにしてしまう。このように、自分の仮説を重視し、資料自身を軽視する方法では、伊吹敦氏から「社会的影響力は皆無」と酷評されるように、おそらく、誠実な研究者からは、相手にされないだろう。
「結論より言えば、”我論”に基づく解脱思想(これは当然、”渇愛の滅尽”をその本質的要請としている)によって釈尊を粉飾する以外、つまり、「わが心解脱は不動なり。これは最後の生なり。最早、再生はなし」と釈尊に語らせる以外には、方法がなかったのである。あるいは、釈尊自身、これに類した言葉を発したことがあったかもしれない。しかし、それは釈尊自身の教え、”仏教”とは、一個の知的な哲学あり、信条であり、信仰に他ならないという点を特に強調しておきたい。」(2)
(注)
- (1)松本史朗「縁起と空」大蔵出版、1989年、158頁。
- (2)同上、160頁。
松本氏の解釈には、多くの独断、恣意を感じるが、今は、一々、批判する余裕がない。他の研究者が、縁起説の偏見がある、という形で、批判している。
解脱とは、無我の認識である、「我論」ではない
資料からは、松本氏のような解釈が出てこないことは、多くの初期仏教の研究者の成果のとおりである。二、三確認しておく。
「般若」は、解脱した人が得る智であるが、初期仏教でも、西義雄氏らの「般若」についての詳細な研究がある。平川彰氏は、般若は、無我の認識だという。つまり、我の否定である。解脱して得る智慧も、実体としてのアートマンの否定では貫かれているが、それを思想や文字でいわず、ある種の定体験によって、證得することを「生が尽きた」という言葉で表現している。「生が尽きた」というのは、信仰や哲学ではない。
「般若は無我の認識であり、立場を持たない認識であるので、執著のない認識である。後世、大乗仏教で般若は空の認識であると説かれたのも、般若が無我の認識であることと関係がある。このことが、般若が先入見や偏見等から離脱した認識であることを示している。」(1)
何から解脱するかということについて、たとえば、雲井昭善氏は、「原始仏教における解脱」を論じて、資料に基づいて、次のように考察する。
「このように見てくると、何からの解脱か、という設問に対する答えは、ほぼ、次の如く整理される。すなわち、
一、三漏や四漏と言われる漏からの解脱であり、そのための
二、漏に対する無取著が強調されていたことになる。」(2)
このように、経典をすなおに読めば、仏教は、非アートマン、我論などを論理的に理解するというものではなくて、人格的な向上、すなわち、偏見、先入見などを含む漏(煩悩)からの解脱である。それには、自我に執著する漏からの解脱のために、ある思想などに固執して他者を害する先入見も捨棄されるべきである。そのためには、「生が尽きた」つまり、我がないという定を證得することが必要とされた。それによって、思想の執著もなく、人格的な煩悩もなくなるからである。寂静解脱、滅尽定、想受滅などと表現される定によって、「生がつきた」という証明になり、輪廻するアートマンがあるのではないかという苦悩という漏からも解脱する。そのことを表すのに、最初期仏教では、思想的には説かれず、「滅尽定」「寂静解脱」「生が尽きた」という体験的な表現が多い。後には、無我、アートマンの否定の言葉の形で多く説かれる。
従って、初期仏教の「解脱」は、アートマンの否定、無我という側面をも通貫している。しかし、苦悩、害する心を捨てること、人格的な側面、漏からの解脱という側面で多くの言語表現がある。松本氏の「解脱」の定義、解釈は、初期仏教の経典を離れて、先入見を持ち、氏独自の哲学、解脱論になっている。だから、三枝充悳氏、伊吹敦氏のような、辛らつな批判が出るのである。
(注)
- (1)平川彰「法と縁起」春秋社、1997年、388頁。
- (2)雲井昭善「原始仏教における解脱」(「解脱」平楽寺書店、1982年、102頁)

第一部
第三部
このページのHP素材は、「てづくり素材館 Crescent Moon」の素材を使用しています。
「てづくり素材館 Crescent Moon」