仏教学の再検討
仏教は縁起説のみ=坐禅は仏教でないという説への批判
仏教は縁起説のみという説がある。あるいは、仏教は、「アートマンを認めない」という。「縁起説」のみ、あるいは「非アートマン論」のみ仏教である絶対条件とする研究方法がある。その仏教者が、何をしたか、その説法で何をさせようとしたかなど全く顧慮せず、思想的な言句だけで、裁断する研究がある。行為によって仏教とされず、言葉によって仏教とされる。
三枝充悳氏などによれば、縁起説もアートマンも種々の解釈(経典、論書にも、現代の学者の解釈も)がある。ある解釈(学会の統一見解とはなっていない)を根拠にして、禅者の一言半句の言葉をとらえて、坐禅を仏教ではないという。この方法で、臨済、道元、白隠を完全否定しようとする研究がある。
説法の中にある、一見、因果を否定するかのような言葉とか、アートマン(それさえ種々の解釈ができるのに)らしく見える言葉があるので、それだけで「彼は仏教ではない」と、その人、その思想(たとえば如来蔵思想)を全面的に仏教ではないと決めつける学問方法がある。彼が人生を通して何を実践したか全く顧慮しない研究がある。因果(縁起)も、仏教では、一律の意味であったのではなく、異なった意味づけがあった。禅者が因果を超越するようなことや、肯定する自己をいうのは、原始仏教経典にも、違背していない解釈ができる。
仏教は縁起のみとか、禅は仏教ではない、という説は、次のような研究者から表明されている。(今、掲示しているのは、一部である。)
- 袴谷憲昭氏。
「縁起の時間を考えることだけが仏教の智慧であり」(1)
- 松本史朗氏。
「悟りとか体験とか瞑想とか、はたまた禅定とか精神集中とか純粋経験とか、これら一切は仏教と何の関りもない。宗教において言葉とは、絶対的に与えられるものだ。十二支縁起は、我々に与えられた仏の言葉、仏語なのであって、その言葉なしに仏教はありえない。」(2)
仏教研究者に独断、偏見があると三枝充悳氏(つくば大学)や伊吹敦氏(東洋大学)が書いておられる。「悟りとか体験とか瞑想とか、はたまた禅定とか精神集中とか純粋経験とか、これら一切は仏教と何の関りもない。」という松本氏の主張は、そういう経典の一部だけを自己の解釈で新興宗教を起こす宗教者ならば、やむをえない。信じる者だけがついていくであろう。しかし、学者ならば、「偏見」といわざるをえない。平川彰氏、三枝充悳氏、森章司氏などの研究を見れば、松本氏の、この言葉を強く主張できるほどには、まだ学会の賛同は得られていない。いや、むしろ、学会の研究成果は、松本氏の主張とは逆の方向の成果を蓄積しつつある。
私も、仏典、論書、語録(禅を含む)の中には、釈尊の真意から逸脱した偏見ある思想(たとえば修行しないで煩悩そのままで悟りとする日本天台の本覚思想)が混入した経典類もあることは承知している。最近の道元の研究書(それも一種の論書)も釈尊や道元の真意を逸脱しているものがある(たとえば、坐禅=四禅が解脱・悟り、とみなす)と考える。
しかし、「禅定」などは、そういう類とは異なる。禅定は、釈尊によって、重視された。道聖諦の重要な部分である。禅定は、仏教である。
私ごとき素人が言うまでもなく、三枝充悳氏、森章司氏、田中教照氏の研究によれば、初期仏教経典には、「禅定」(この用語や「正定」の語がある)や「精神集中」(「心を集中」などという用語がある)といってよい修行が多く出ている。これらは仏教とは何の関係もないと断定するのは学会の現状を無視した独断・偏見であろう。深く経典などを読む時間をとれない一般社会人、まだ批判能力のない学生(将来、僧侶になって仏教を布教してもらうはずの)に、仏教に偏見を持ったままで仏教に絶望してもらいたくない。詳細はこれらの研究を読んでいただければよいのだが、忙しい人々のために、ここで、二、三紹介する。
瞑想、禅定、精神集中
初期経典に「瞑想」も出てくるが、「瞑想」は、四聖諦の中の八正道の修行と実質は同じである可能性が高い。初期経典に修行として「気をつけている」「念」「正念」も出てくる(3)が、これは言葉を言い換えれば「精神集中」と言えないこともないであろう。最も初期の頃の経典である「スッタニパータ」に実際「心を集中する」という語が出ている(4)。
「禅定」
原始仏教経典には、四聖諦を重視しており、そのうち道諦は「八正道」であり、その中に「正定」が含まれている。これは、別の解釈の余地もなく、参考文献を示す必要さえないほどの常識であろう。また経典には「禅定」の言葉も多い。「禅定」は、修行そのものではなくて、修行の結果の心の状態を示す経典もある。いずれにしても、阿含経などの初期仏教経典にあり、修行道の研究成果からみて、俗の習慣などが混入したたぐいではなくて、仏教そのものである可能性が高い。こういう状況から、「禅定が仏教と何の関係もない」というのは、学問を無視した暴論であろう。
正定を含む八正道、それを含む四聖諦は初期仏教経典できわめて重視されたものである。禅定が仏教と何も関係がないというのは、学界の現状から見れば、まだ断定できる段階ではないであろう。
「純粋経験」
「純粋経験」は、定義によるが、初期仏教でも、寂静、涅槃、ニルヴァーナ(5)が自内證するものとも解釈できる余地があるので、現代用語で言えばそれに該当する可能性がある。「身証」という智慧によらない解脱をいう経典もあり、四聖諦に三転説があり、その「証転」も、ある種の分別を超えた経験をさす可能性もある。まだ、学問的には、こういう内容さえ定説に至っていない。「純粋経験」は、定義次第では、初期仏教の「生が尽きた。再生はない。」という経験の、現代的な言語表現とみなしえる可能性がある。なぜなら、「生が尽きた」という表現からは、「生きていると錯覚している自我がない」という意味にとれるので、禅の見性体験(道元のいう「自己を忘れる」「身心自然に脱落」)と同じである可能性がある。言語表現が異なるだけで、心的経験は同じである可能性がある。大乗唯識では「真見道」「根本無分別智」の詳細な言語表現がある。このような、ある種の「身における経験」と思われる言語表現が、初期仏教経典にも多いのであるから、まだ、仏教とは関係がない、と言える段階ではないだろう。西田幾多郎、西谷啓治などは、哲学者であり、しかも、禅を行じた。言葉と事実の関係、自己をみつめることでは、仏教学者を超えるかもしれない。
仏教は思想のみか
初期仏教経典には、貪瞋痴などの煩悩(偏見もその一つであることは言うまでもない)の捨棄の「言葉」も多いが、言葉を理解したからといっても、現実に捨棄しないのであれば、それは、仏教経典の趣旨にそむく。現実に捨棄するのが、言葉の理解だけでなく、体現する一例である。
仏教は思想の思惟だけではないだろう。むしろ初期仏教は、「生が尽きた」という輪廻からの離脱が目標であったはずである。「生が尽きた」という経験は、思想ではなく経験であるがゆえに、後世に種々の言語で表現される余地があったと考えられる。仏教が経験の裏づけのない言葉だけの思想ならば、別な言語表現にはならないが、言葉によらない経験を仏教が含んでいたために種々の言語表現がなされたと考えられる。初期仏教経典でさえ、同じことを種々の言葉で表現している。
縁起説も種々で解釈も未解明の段階
平川氏、三枝充悳氏、森章司氏などの研究によれば「縁起説」にも種々あり、初期仏教の十二支縁起の順観、逆観でさえ、その意義がまだ解明されているとは言えない。森氏は初期仏教の「十二支縁起」の逆観は、後世の縁起思想の眼で解釈すべきではなくて、逆観は、十二支の滅、十二支縁起の超越であると解釈すべきであるという説を発表された。初期仏教における「縁起」「因果」を、そのように解釈できるのであれば、禅者が似たような言葉を言っているのも、あながち、仏教ではないと断定できないことになろう。禅と初期仏教の十二支縁起の逆観と同じことを言っている可能性がある。
縁起説でさえ、統一見解が定まっていない学界の現状であれば、「縁起説のみが仏教」「禅は仏教ではない」と断定できる段階ではなかろう。
三枝充悳氏が仏教研究者に独断、偏見があると憂えるのは、こういう態度なのであろう。松本氏は、自分の独断(主観的という)を肯定する研究者である(6)から、大変危険な研究態度である。カルト教団の教祖も文字を主観的に選択し、主観的に解釈するからである。多くの仏教系の新興教団も自分のものが仏教だと主張している。学問が、悪しき現状、堕落した仏教とはいえない仏教を批判できない。
縁起説偏重、思惟研究偏重、坐禅偏重、信偏重、面授偏重みな、偏見
仏教学、禅学、道元学に種々の偏見がある。自分の快とする思想のみを選択抽出して、それのみを偏重する学者の態度。これは、仏教が厳しく批判してきた偏見である。このような偏見があれば、自分では苦しむのである。幸いに偏見を貫ぬいても自分では苦しまないですむ職業、組織、制度、親の名誉などによって苦しまないですむ境遇にある者(学者、僧侶)は自分では苦しまないが、他者を苦しめ、社会に害をなすのである。このことは、仏教学、禅学(もちろん教団内では当然であるが)という学問の世界でさえも、起こっている。学問の世界に偏見、エゴイズムのある学説を強く主張し、結果として、仏教が社会の信頼を失い、地獄にある人々を仏教から遠ざけて、社会に害をなしている。このことを、仏教経典、偏見なき研究者の研究、心理学などをもとに、あきらかにしていきたいが、ここでは、一つだけ、初期仏教経典から、「偏見」にたいする批判を述べておく。「スッタニパータ」の「八つの詩句の章」の一節である。最も古い仏教経典にあたるといわれている。
自分の見解で選択し、つくりあげた解釈は「汚れた見解」すなわち「偏見」である。それを偏重しているのは、執着であるから、如実知見できず、その偏見を人々に強制するから、人々を苦しめ、社会に害をなす。
「汚れた見解をあらかじめ設け、つくりなし、偏重して、自分のうちにのみ勝れた実りがあると見る人は、ゆらぐものにたよる平安に執着しているのである。」
(7)
「欲にひかれ、好みにとらわれている人は、どうして自分の偏見を超えることができるだろうか。かれは、みずから完全であると思いなしている。かれは知るにまかせて語るであろう。」(8)
仏教や禅には、縁起、教説の思惟研究、信、師にあう大事(面授)、坐禅、自分の苦の滅、悟道、他者の救済、のすべてが説かれている(それを少しづつ出版やHPにて指摘していきたい)。だが、そのどれか一つ(または、二つでも)のみを偏重するのは、「汚れた見解」になるのである。仏教も禅も、このすべてを説き、実践し、超えていくことを説いている。それなのに、自分の「好み」(快・不快)によって、このどれか一つを偏重する(たとえば、縁起説のみが仏教という説、面授時脱落説、坐禅即悟り説など)学説を強く主張する学者が非常に多い。こういう学問態度では、上記の経典が指摘するように「偏見」であり、どれほど、社会に害をなしているか、はかりしれない。学問の名においておこなわれているので、みのがされやすい。種々の領域で、エゴイズムが表面化されてきたのに、それを批判する仏教の学問において、追求されてこなかった。
(注)
- (1)袴谷憲昭「道元と仏教」大蔵出版、1992年、134頁。
- (2)松本史朗「縁起と空」大蔵出版、1989年、56頁。
- (3)田中教照「初期仏教の修行道論」山喜房佛書林、平成5年。
- (4)「スッタニパータ」962偈、975偈。田中教照著、18,21,23頁。中村元氏(「ブッダの言葉」岩波文庫)は、「心を安定させ」「心を統一して」と訳されている。これらがあるので、「精神集中」も現実の修行は同じでないとは断定できない。これらが初期経典にあるのであるから「仏教とは何の関係もない」というほど学界は松本氏の主張を認めていない。
- (5)たとえば、(3)三枝充悳「初期仏教の思想」レグルス文庫、第三文明社、1995年、741頁。
- (6)「私にとって学問とは、根本的に主観的であり、それ故、価値から自由ではありえない。」松本史朗「縁起と空」大蔵出版、1989年、99頁。
- (7)「ブッダの言葉」岩波文庫,
177頁。784偈。
- (8)同上、176頁。781偈。
(余談)
政治、医療、教育、ビジネス、マスコミなどの領域ではエゴイズムが指摘され、批判される。しかし、仏教、禅の学問領域においては、自己への厳しい洞察批判がなく、他者批判ばかりが激しい。こんな自己中心の行為、偏見は、消費者相手、顧客相手の厳しいビジネスなどでは通用しない。社会にエゴイズムが渦巻くのは、それを批判すべき仏教学・禅学に、それが広範におこっていて、自己批判されず、いつまでも是正されないのも一つの因であろう。仏教学者だけの間で、かばいあい、なすりあい、攻撃しあう議論をしている秋ではない。学問における「偏見」をあかるみにだして、社会全体で、議論していくべき秋ではないだろうか(9)。
偏見ある眼で断定した学問的裏づけのある見解とされたものが社会に害をなして、後に批判された歴史が多い。考古学における捏造、医療事故における医者をかばう鑑定をするのも学者、エイズやハンセン病にまつわる医学的見解を主張したのも学者である。それが後に、くつがえった。仏教学もある種の偏見があれば、その説は正しくならない(10)。それは仏教が教える通りである。偏見等の煩悩に汚染された意識は、如実知見できない。すなわち、学者が偏見をいだいて仏教の資料を見れば、資料選択と資料解釈が汚染されたものとなり、仏教の学問でも如実知見にならない。
いかに緻密な論文を発表されようとも、仏教、非仏教の判定の根拠として、ある解釈による縁起説(しかもその解釈が学会で揺れている)のみを選択する方法が正しいかどうか学会の賛同を得られているわけではない。縁起説には、森章司氏の新解釈もあって、その内容の解釈が変わる可能性がある。そうすれば、違う定義、違う解釈による縁起を根拠にして、「何々は仏教ではない」と断定した論文はすべて反故となる。
もし、そのような学説で、実際糾弾された人々の人権回復はどうなるのだろう。新興宗派を起こす僧侶なら、やむをえない。しかし、大学の学問研究というのであれば、慎重に発言してもらいたい。
(注)
- (9)力のない私一人では、大きなものは動かず、どうしようもない。しかし、非力の者でも、大勢が共感するのであれば、社会が動く可能性がある。学会も動くかもしれない。一人でも、この問題に関心をもっていあただくことをお願いしたい。
- (10)竹林史博氏の「昭和正信論争の新資料(3)」は、滑谷快天氏が大正十二年に発表した「道元禅師聖訓」について論じている。(「宗学研究」第44号、2002年,193頁所収)
それによれば、「道元禅師聖訓」は「正法眼蔵」の中の言葉を選択してつなぎあわせて滑谷氏が「聖訓」とした文である。読む者に、全体として道元禅師の思想であると思わせる結果になる。これに対して、このような選択的抽出によって作成された文は道元の真意を誤るものという批判が当時もあった。
宗門が道元の言葉を集めた「修証義」も、最近まで道元の思想と主張する学者もいたが、平成13年には、道元の「正法眼蔵」とは、思想構造上、明白な相違があると、宗門が認めた。
ある目的や先入見を持っていて、それに都合のよい文または言葉のみを経典や語録から選択抽出すれば、元の文意からは離れたものになってしまう例である。以前には、「修証義」が道元の真意をあらわすと主張した学者もいたが、それが誤っていたことになる。
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