禅と日本文化
世阿弥
世阿弥の能は「道」
世阿弥の生きざま
禅は、自分とは何か、いかに生きるかを追求する。絶対平等の自己、無相・無位の自己、慈悲・光明の根源たる自己、それに目覚め、その本質になりきり生きようとする道である。苦を持つ者は、まず、それを解消する。苦の解消なしに、本格的に修行はできないからである。自分勝手な見方、エゴイズムの眼を捨て、エゴイズムの行動をやめる。
世阿弥は、禅を究めたため、世阿弥の能にも、また生きざまも、禅の精神が現れている。
日常生活の中で常に禅の工夫を
世阿弥は『花鏡』の中で次のように述べている。
「いろいろな技芸はつくりものにすぎない。それを支えて生かしているのは心なのだが、この心の存在をひとに見せることがあってはならない。万一、見せてしまえば、それは操り人形の糸をみせてしまうような失敗である。−−−−
さらにいえば、舞台に出て演戯をしているときだけのことではない。夜も昼も、日常生活のあらゆる瞬間に、意識の奥底の緊張を持続して、すべての動作を充実した心の張りでつなぐべきである。このようにつねに油断なく工夫しているならば、そのひとの能はしだいに向上して行くいっぽうであろう。この条項は、秘伝のなかでもとくに最高の秘伝である。ただし実際の稽古にあたっては、こうした不断の緊張のなかで、おのづから締めつゆるめつの呼吸があるべきである。」(1)
「この条項は、秘伝のなかでもとくに最高の秘伝である。」と書いている。つまり、これは書かれている秘伝である。書いているのに、「秘」とはどういうことか。書いているのであるが、容易に理解、実践されないという意味で「秘」という。法華経も禅を織り込んでいる、つまり文字に書いているのであるが、それを多くの人が見抜くことができない。
世阿弥が教えている秘伝は、能の役者は常に日常生活の中で禅の実践工夫をせよ、ということである。世阿弥が、日常生活において常に工夫するといっているのは、禅である。禅者は世阿弥がいうような工夫を常にしていくのである。
人は自覚せずに、考えを常にめぐらしている。そんな妄想をせず、いつも、自分のなしていることを自覚している。正念である。また、熱心な禅者は、おごらない、名誉欲・財欲・権力欲に執着しない、無私、無恐怖、悪をなさない、他人の評価を気にしない、などの独特の生き方になって現れる。一休、芭蕉、良寛などを見ればおわかりであろう。世阿弥もそれを秘伝中の秘伝というのである。そうすれば、無心の能、上三位の能を舞える名人になるというのである。秘伝中の秘伝という意味がわかるのではないだろうか。このような工夫を能の関係者は実践しておられるのだろう。「公開された秘密」、それが禅であり、法華経であり、私たちの心である。みな、こころ、仏を見ているのに、こころ、仏がわかっていない。
無欲、正直
こういう禅の生き方が世阿弥にも現れている。「欲心に住するな」「正直円明」であれという(2)。
権力、金、名誉を求めず、ただ、そのものの最高の境地だけを求めていく。世阿弥なら、最高の能である。金や名誉ではない。学者なら学問的真理であろう、自己の名声や金であってはならないはずだ。ビジネスマンはそれぞれの仕事の品質であろう。宗教者なら、すべての人々の救いであろう、自己の名声や金や権力であってはならない。
おごらない、無私のこころ
自我の空虚なことを自覚するので、世阿弥は自分の才能を威張らない、誇らない。『花伝書』(『風姿花伝』という)に書いたことは、自分の才覚ではなく、父のものだと自分を謙そんしている。
「全く自力より出ずる才学ならず。−−−私あらんものか。」(3)
どの分野でも、上には上があるもので、それを知らず、井戸の中の蛙が、自分は最高を極めたと、威張って、それ以上の境地へ向上する努力を怠るものらしい。法華経では、頭での理解とか、信じただけではだめだ、それでは、すぐ死ぬ「草」だ、千年も万年も生きる「大樹」になれ、という。世阿弥はそんな法華経を引用して能の役者に、低いところで自己満足して低いことを自覚せぬ役者を厳しく注意している。
「法華にいはく、未得為得、未證為證。心得べし。」(4)
(まだ得ていないのに、得たとなす。このような誤りを犯さないよう心得よ。)
配流の地も吾が光明の世界
世阿弥は、七十二歳の時、足利将軍義教(よしのり)から佐渡島に追放された。世阿弥の芸を極めた元雅は先に死んでしまった。義教の命令で醍醐寺清滝宮楽頭職をとりあげられて、観世流は世阿弥の甥が将軍からとりたてられた。
晩年に佐渡島に配流になったのは、将軍の命令に屈せず、芸術の純粋性を守ろうとして、伝書や口伝、秘伝などをその器でなかったものに伝えようとしなかったからであろう。
佐渡島に配流になったが、世阿弥は絶望しなかった。配流の中で書いた『金島書』に、絶望せず、今を生きる世阿弥の心境がうかがわれる。平塚らいてふの本の題が『私は永遠に失望しない』である。こうありたいものである。
「遠くとも、君の御蔭のもれてめや、八島の外(ほか)も同じ海山。」(5)
どんなに遠くても、真の自己にもれることはない。どこでも海山と一如の自己がある。
「げにや罪なくて、配所の月を見る事は、古人の望みなるものを、身にも心のあるやらん、身にも心のあるやらん。」(6)
世阿弥は無実の罪で配流となったことがうかがわれる。
「薪こる、遠山人は変えるなり。里まで送れ、秋の三日月も雲の端に、光の蔭の憂き世をば、君とても逃れたまはめや。さてこそ言ふならく、奈落の底に入りぬれば、刹利も首陀も、変らざりけるとなり。げにや蓮葉(はちすば)の、濁りに染まぬ心もて、泉の水も君すまば、涼しき道となりぬべし、涼しき道となりぬべし。」(7)
承久の乱で配流になった順徳院の居所を世阿弥が訪れた。貴いおかたでも、転落の底は同じ。しかし、いつも濁りに染まない自己の心であれば、いつも清い水を生む泉のようで、極楽浄土の道となる。世阿弥は少しも絶望していない。
「そもそもかかる霊国、かりそめながら身を置くも、いつの他生の縁ならん。よしや我、雲水の、すむにまかせてそのままに、衆生諸仏も相犯さず、山はをのづから高く、海はをのづから深し、語りつくす、山雲海月の心、あら面白や佐渡の海、満目青山、なををのづから、その名を問へば佐渡といふ、金(こがね)の島ぞ妙(たえ)なる。」(8)
これも島流しになっても、その境遇をそのままに受け入れて、佐渡が島の風光を我がものとして楽しんで生きている世阿弥の境地である。
俊寛との違い
世阿弥の長男元雅の作といわれる『俊寛』では、僧侶・俊寛が島流しになって、嘆く。都にしか生きがいがない僧侶は、島にいることを嘆く。他の二人を赦免する使節が来た時、俊寛は自分の赦免も泣いて頼む。しかし許されない。
世阿弥、法然、親鸞は配所にあれば、配所の生活を大切にし、その地の人々を教化する良い機会ととらえた。俊寛は、僧侶であるが、そんな人々と大きい違いがある。僧侶でも、自分一人を救えずして、誰を救えようか。『俊寛』は人々を救えない仏教者の批判の曲である。
世阿弥は禅の正門を表現したが、元雅は、禅を裏から表現したようだ。
(注)
- (1)『花鏡』中公バックス、188頁。
- (2)『風姿花伝』新潮社、67頁。
- (3)『風姿花伝』新潮社、68頁。
- (4)『至花道』中公、208頁、新潮社、107頁。
- (5)『金島書』岩波書店『世阿弥・禅竹』より。
- (6)同上。
- (7)同上。
- (8)同上。
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