世阿弥の足跡を訪ねて-田原本町


補巌寺跡

「歴代住職の墓地」
寺は何度か衰亡したため、住職の墓も全部そろっていない。
正面の三基は、文字が磨耗して誰の墓かわからない。その右に並ぶのは、九代目以降の墓である。世阿弥が参禅し、悟道の印可を与えた二代目竹叟智巌の墓は、この三基のうちの一つである可能性はあるが、文字が磨耗しているので断定できない。




住職の墓地の隣にある墓石群。
世阿弥の墓は不明である。




上記の墓石群のうちの右の部分。
世阿弥は、罪を得て佐渡に流されていたが、晩年に許されており、京都に戻った可能性が高い。この寺の納帳に世阿弥の供養が行われた記録があるので、墓がこの寺にあった可能性も強いが、どれか断定できない。
こういう墓石が、墓地にあるが、このうちの一つだろうか。


   
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