禅と日本文化

柳宗悦と民芸運動

 今では「民芸」というと当たり前の言葉になっているが、名もない民衆が無造作に作った工芸品に美を発見し、「民芸」という言葉を作り、「日本民芸館」を創設した柳宗悦(やなぎむねよし)。彼は、陶芸家バーナード・リーチ、浜田庄司、河井寛次郎と民芸運動を推進し、版画家棟方志功を育てた。民芸、宗教、禅、茶道についての深い考察がある。

宗悦の民芸と宗教

 民芸は、陶磁器、染物、織物、金工、漆器、木工、竹工、石工、絵画(民間の無名の)、紙工、拓本、彫刻、硝子、革工、編組品、人形などのうち、次の特徴を持つ品である。  それでいて、天然の美をもつ。「ここで民衆と美との厚い結縁が見られます。これは凡人すらなお美しい品を生み得る証拠ともなります。」「それが他力的性質を持つことを示します。職人たちは自力で立てる境遇にはいないからであります。」
 これらの特質は、禅や念仏の信者にも通うものがある。だから自然に、民芸と宗教が結合する。柳はそう言う。禅や念仏は決して、頭の良い一部の学者や僧侶のためのものではない。ただ学問的に理解するものではなく、実生活の真っ只中で活かされるものである。自分や自我に重きをおかず、自己を超えた大きなものに任せることが、かえって自己を超えた働きを生み、大いなるものに包まれた救いの中にいる安心を得る。禅は一般には、「自力」といわれているが、実践してみると、「自力」も「他力」も区別はないことがわかる。禅も他力の域に達して、意識せずして、しかも、今のことになりきっていく他力的境地になったとき、やはり、向こうから(自分の知性によらず)自己の真相が開けてくる。

柳の民芸

 「民芸」の美を発見したのは、柳である。柳は、陶芸家の河井寛次郎、浜田庄司らとともに、民芸運動を発足させ、柳は、その中心の指導者として理論と実践の両分野に活動した。「民芸」という言葉は、大正十四年に、この三人が相談して作った言葉であり、その前にはなかった。柳によれば、民芸は次のようなものである。
 柳によれば、民芸は、このような特質をもつ。そのような民芸を生むのは、無名の人による、無心の域に達した反復の動作から生まれる。禅や念仏にもそういう性格がある。名誉や権力を持つ僧侶や学者ではなくて、大地にねざした無名の僧侶や庶民の中に、禅や念仏の本物の実践がある。智に走らず、名誉に執著せず、黙々と反復実践する念仏や禅が、無私の人間の心の完成に誘う。そのようなものに似た民衆の生活の中の反復から美が生まれる。 (注)
 
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