もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー本来の仏教を考える会
禅と文学
夏目漱石
『草枕』を読む
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。」という言葉で知られている夏目漱石の『草枕』は、文芸評論家からは、重視されていないようだが、漱石の意図は理解されているのでしょうか。人間一人一人が「世界を描く」「世界を作る」ことが『草枕』全体の底にある。「人は世界を作る」という人間の創造的側面を描く。
この小説を詳しく読んでみます。
風変わりな小説『草枕』
『草枕』では、画家(小説では画工と書かれている)が、山里の温泉に行って、宿にしばらく滞在する。宿の主人の娘が、一度結婚して離婚して戻ってきていたが、彼女の言動が画家を驚かす。村の人々は彼女は頭がおかしいと思っている。画家と、村の床屋、寺の和尚など登場するが、事件らしいこともおこらず、風変わりな小説である。
評論家の柄谷行人氏は、『現在からみると奇妙なこの小説は、その当時も奇妙にみえたのであって、漱石自身これを「天地開闢(かいびゃく)以来類のない」小説だと語っている。』といっている。
漱石は、この小説の主人公を必ずしも肯定していない。
「ただきれいにうつくしく暮らす、即ち詩人的にくらすという事は生活の意義の何分一か知らなぬがやはり極めて僅少な部分かと思う。で『草枕』のような主人公ではいけない。あれもいいがやはり今の世界に生存して自分のよい所を通そうとするにはどうしてもイプセン流に出なくてはいけない。」 (明治三十九年十月、鈴木三重吉あて書簡)
漱石が、主人公を否定している。しかし、これをもって、『草枕』そのものを否定したわけではない。『草枕』は当時の大衆には喜ばれたが、文壇の専門家からは馬鹿にされた小説である。しかし、漱石自身はそれに反論している。
「あるものは人間交渉の際卒然として起る際(きわ)どき真味がなければ文学でないといふ。あるものは平淡なる写生文に事件の発展がないのを見て文学でないといふ。しかして評家が従来の読書及び先輩の薫陶(くんとう)、もしくは自己の狭隘(きょうあい)なる経験より出でたる一縷(いちる)の細長き趣味中に含まるるもののみを見て真の文学だ、真の文学だといふ。余はこれを不快に思ふ。」(『作物の批評』)
つまり漱石の言いたいのは、エセインテリが、自分ではわかっていないくせに、たかだか自分の浅い経験を基準として、それを越えた人のことを理解もせずに、馬鹿にする態度を不快だと言っているのだ。低俗なインテリが誠実な人を理解せず馬鹿にする、大衆はそれにならう。本当に正しいのは後者であるという、このようなことが、漱石の時代もそうであったが、太平洋戦争の時もそうであった。誠実な人々の声を無視し弾圧して、愚劣な思想にかぶれた人々が日本を不幸な戦争に導いていった。同様のことは現代でも、種々の組織に於いておこっている。
非人情で見る
上記のようなことを漱石が言うから『草枕』は、別な理解ができるかもしれない。漱石は、禅をかなり研究していた。そこで違った側面から眺めてみた。
主人公は画工(画家)である。旅をしながら、「非人情で見る」決心をする。
漱石は草野心平あて書簡で「非人情で見る」ことを説明している。
「『草枕』の主張が第一に感覚的美にある事は貴説の通りである。感覚的美は人情を含まぬものである(見る人からいうても見られる方からいうても)。
(一)自然天然は人情がない。見る人にも人情がない。双方非人情である。ただ美しいと思う。これは意義がない。
(二)人間も自然の一部として見ればやはり同じ事である。」
自分の目にはいってくる人を、俗人情、先入観をもったり、我意でみず、能やお芝居を見るような態度で見ることである。
漱石はなぜこんな風変わりな主人公を作ったのだろうか。結論をいえば、「一人の男、一人の女も見様次第で如何様とも見立てがつく。」(一章)、すなわち、事実はひとつの真相しかないのに人間は自分の経験や我見によって様々に違って見る、という人間の心、ものの見方、世界観までも違っている、ということを知らせたい、というのが漱石の意図ではないか。その目的達成のために変わった主人公を設定したのだと思う。もし、そうであれば、禅や仏教が、文字によらず、実際を見ないと、真相はわからない、というのと似たようなことを小説で表現しようとしたようである。
主人公が環境や人間関係に巻き込まれて動き回っていたのでは、人間の真相がわかりにくくなるため、主人公を「不動」にしたのである(実際には相当、頭が動いて読者や評論家をまどわしているが)。「不動」の主人公の心の上で、次々と人や自然が動く。道元禅師の『現成公案』にこんな一節がある。
「人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむをしるがごとく、身心を乱想して万法を弁肯(はんけん)するには、自心自性は常住なるかとあやまる。」
(注)弁肯(自己の問題として納得すること)
自己、魂は不動(常住)ではない、動きづめに動いて(無常)いる。
同じ女性を様々に評価
山里の見方も人によって様々なのだが、漱石が特に書いたのは、宿の女性「お那美」のみかたである。那美の評価が人によって、様々である。
村人は、みな那美を「狂人」、つまり頭がおかしい、と思っている。確認してみよう。
(1)茶店の婆さん
「世間では嬢様の事を不人情だとか、薄情だとか色々申します。もとは極々内気の優しいかたが、この頃では大分気が荒くなって何だか心配だと源兵衛が来るたびに申します。」(二章)
(2)床屋
「なぜって、旦那。村のものは、みんな気狂だっていってるんでさあ」
「和尚さんが、何ていったって、気狂は気狂だろう。」(五章)
(3)源兵衛
「あの志保田の家には、代々気狂が出来ます」
「しかしあのお袋様が矢張り少し変でな」(十章)
(4)小説家読者
普通の小説家はどう見るだろうかということを『草枕』の中に書いている。
「普通の小説家の様な観察点からあの女を研究したら、刺激が強すぎて、すぐいやになる。」(十二章)
この『草枕』は、当時の文壇からは評価されなかったのだから、彼らの見る目は、村人と変わらないだろう。あなたは、どうですか。読者に多いのは「村人」に近い評価をすることであろう。那美は、頭がおかしい女だと思うだろう。
(5)評論家
インテリや国民は、嫉妬、我利我意のため、自分の地位、面子をおびやかす偉人を生前は認めないという傾向があった。後世の人々が偉大さを認めるのである。道元禅師、松尾芭蕉、良寛さま、(漱石より、後の人には、宮沢賢治)など当時の人々より後世の人々が尊敬している。
『草枕』の那美を、現代文学の専門家である文芸評論家はどうみているのだろうか。
a)亀井秀雄氏
亀井氏は、こういう。
「自嘲」
「この土地の自足しきれない」
「自分の在り方に安んじられない」
「当時常識の枠からはみ出した女が与える言説のパターンといえよう。那美はそれに抗しうる自己の言説を持たず」
(学燈社、『夏目漱石の全小説を読む』)
b)柄谷行人氏
柄谷氏は、こういう。
「村人から畸人とみなされながら固く精神的に武装している那美が、別れた夫が旅立つときに一瞬みせた〃現実〃性は、画工によって〃想像的なもの〃に回収されてしまう」(新潮社文庫解説)
このように、評論家も、彼女が精神的に安定していない、おかしいと思っている。以上の人々は、那美を否定的、あるいは悪意的に見ている。
逆の評価
しかし、不思議なことに、逆な評価をする人がいる。
(1)画家
『草枕の主人公』は、彼女を肯定的に、良いところを評価している。
「余のこの度の旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、若くは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。この覚悟の眼鏡から、あの女を覗いて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せるという気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。」(十二章)
(2)和尚と、その弟子
村の高台にある禅寺の和尚とその弟子は、那美を力のある者だと評価している。村の人が、彼女を「きじるし」というのに反論して、こう言った。
「狂印(きじるし)は来んが、志保田の娘さんなら来る」
「あの娘さんはえらい女だ。老師がようほめておられる」(五章)
寺の和尚は、那美を昔は精神的におかしくなったことがあったが、坐禅をするようになって禅の境地がすすんできた者だと評価している。
「志保田のお那美さんも、嫁に入って帰ってきてから、どうも色々な事が気になってならん、ならんというて仕舞いにとうとう、わしの所へ法を問いに来たじゃて。ところが近頃は大分出来てきて、そら、御覧。あの様な訳のわかった女になったじゃて」(十一章)
人の見方は様々
このように、人の評価は様々である。小説の評価も様々となる。自分の経験や価値観に縛られて見る。『草枕』が評論家から種々違って評価されれば、漱石は、笑っているであろう。「西洋人にかぶれて」知性でもてあそんでいては、漱石から『草枕』はわからないと言われる。東洋の叡知、知性や言葉が生まれる以前の心の根源の世界、桃源は言葉では到達できない。その世界を描いていることに気がつかなければ『草枕』は理解できないよ、と漱石は言うのではなかろうか。
那美の本当の姿
「一人の男、一人の女も見様次第で如何様とも見立てがつく。」(一章)といっているように、小説の中の人や読者、評論家は那美という一人の女性を様々な見方で見ている。どれが正しい見方だと漱石は言っているのだろうか。実は漱石は読者、評論家が思いもしなかった落とし穴を設けていて、みなそれにひっかかっているようである。
先に紹介したように評論家でさえ、彼女を精神的におかしいと受け取っているが、和尚や画工以外の那美に対する評価は誤っているようある。
私の見方を言えば、彼女は、禅僧の大徹和尚に参禅して相当の境地にすすんだ者である。
「どうも色々な事が気になってならん、ならんというて」いたのは、離婚直後であり、その後、坐禅して近頃は大分出来てきて、あの様な訳のわかった女になった、といっているように、禅の境地が相当すすんでいる。
本人はこう言っている。
「なあに何処に居ても、呑気にしなくっちゃ、生きている甲斐はありませんよ。」(那美) (十二章)
これは評論家がいう「自嘲」ではなく、どこでも自分がいるところを極楽(桃源)として安住することを言う。画工からみれば、那美は「自然天然に芝居している(=作為がない)」と見える(十二章)。作為がなく、自由自然に生きていく人に見えている。「何処に居ても、呑気に」というのは、親鸞聖人や良寛さまに似た心境であると思えばよい。
不可解な言動
漱石が読者や評論家をひっかけている(ためしている)のは、那美の不思議に思える言動と、それを見て画家に色々考えさせているところである。
彼女に恋文を渡した小僧に、本堂で和尚さんとお経を読んでいる時、「そんなに可愛いなら、仏様の前で、一緒に寝ようって、出し抜けに、泰安さんのくびったまへかじりついたんでさあ」(五章)というのは、禅の語録に出てくる女性に似た話がある。彼女は正気であって、修行すべき僧侶が言い寄ってきたのを、きっぱりと拒否した禅者らしい働きである。
その他にも那美の奇妙な行動を画家に観察させて、画家に盛んに妄想させているのが、漱石が作った落し穴である。禅者らしい働きを画家が理解しない場合か、単なる画家の妄想である。那美は昔は気の小さい女性だったが、坐禅によって主体的に生きるようになり、村人や画家を振り回すほどの力量がついたのである。
画家は「非人情」という見方を心掛けているため、禅の「無心」と似ているので、二人はよく理解しあえるところがあり、画家は彼女を「狂印」とは思っていない。
一休や良寛なども時には奇矯な行動をしており、狂人と見た人も多かったであろう。道元禅師でも、「仏を殺せ」とか「山や川、すべてが自分である」などと言えば、当時の人には頭がおかしいのではないかと思われたであろう。
俗人たる村人や禅について知らない評論家は、一見奇妙な言動が禅機(働き)であることが見えないから、漱石の『草枕』の価値そのものを見誤ってしまう。もっとも、そんな難解な小説ならば価値がないというのならやむを得ないが。それならそこを言うべきであろう。
漱石に興味のある人は漱石の「試し」に挑戦してみられるべきである。那美の奇妙な行動や言葉は心の病気から来るものではない。では、どんな意味があるのかということを考えるのである。
また、こんな一節がある。
「御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟の衝動で、この情があの女の眉宇(びう)にひらめいた瞬間に、わが画は成就するであろう。然しーーいつそれが見られるか解らない。」(十章)
そして、最後の場面に次の一節があるのであるが、これはどういうことか考えてみる必要がある。
「その茫然のうちには不思議にも今までかつて見たことのない「憐れ」が一面に浮いている。」(十三章)
漱石の真意
言葉以前、非人情で見る時、苦のない境界を追求しようとするのが漱石の意図である。それは西洋では触れられておらず、東洋(本当の禅が伝わったインド、中国、日本)において発見されていた人間の真相である。
京都大学の久松真一博士は「東洋的無」といったが、漱石が書こうとしたのは、これであろう。「桃源」とは、空間的な山里の桃源境ではない。人間の心の根源である。人間の根源に溯って追求しようとする者がほとんどいないと漱石は嘆いている。不思議なことに、たいてい評論家は、次のようにはっきり書いてあるのに、「空間的」な山里とだけ解釈してしまっている。先入観がわざわいしているのである。
「惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざのんきな扁舟(へんしゅう)をうかべてこの桃源に遡るものはない様だ。」(一章)
自己は世界を創造する
同一の女性、那美を人々が様々に見た。那美の事実はひとつの真実しかないのであるが、人々は全く違うみかたをしている。これが人間の現実である。仏教、禅の主張は、みな人は転倒したみかたをしている。人間の真実の姿が見えていない。心がわかっていない。人間観、世界観が間違っているというのである。だから人が憎み合い、殺し合い、だまし合い、我利を優先するのである。
あの村を、村人は「狂人がすむ俗世界」と見るが、那美自身は「極楽世界」と見れるようになったであろう。
画家は心を表す対象を選ぶ、画家は自分の心を描く、禅僧は芸術家である、という論法から漱石のいいたいのは、人(特に禅僧と画家)は自然を自己の心とみるといっている。(六章)
- 「色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここに居たなと、たちまち自己を認識する様にかかなければならない」(六章)
- 「生き別れをしたわが子」が「あっ、ここにいた」(六章)は法華経の「長者窮子」(ぐうじ)のたとえがある。本来の自己を見失って諸国を遍歴して、元の父親のもとに帰る話。
- 禅僧は、「芸術家の資格がある」といって、この画家は禅を高く評価している(十二章)
「人間を離れないで人間以上の永久という感じを出すのは容易な事ではない。」(十章)という。永遠絶対なるもの、すなわち、仏、本来の自己(法華経でいえば久遠実成の釈迦牟尼仏)は、この私を離れては存在しない。仏とは自分と一体である、という仏教をふまえている。禅者、松尾芭蕉が「不易流行」というものと同じであろう。
人はみな同じ世界に住んでいながら、違う世界を描いている。
「車輪が一つ廻れば久一さんは既に吾等が世の人ではない。遠い、遠い世界へ行ってしまう。」
「やがて久一さんの車室の戸もぴしゃりとしまった。世界はもう二つになった。」(十三章)
この「世界」とは、別れていく人と、残る人が、それぞれの世界を持つことをいうのである。今まで、対面していた人は互いに相手を自己の心に映すので、ひとつの世界を作る。しかし、戸がしまると、それぞれ別の世界にある。ひとつの世界に、二人の人と汽車、戸があるのは死んだ物理的世界観である。しかし、人が生きているということは、一人一人が心に世界を描き続けているのである。対面している人は互いの心に映しあってひとつの世界である。しかし、戸がしまると二人の心は互いを映さない。別々の世界を生きる。
極楽桃源は自己の心
「色、形、調子が、自分の心」(六章)、すなわち、世界が自己であるような世界は極楽、桃源である。本当は、すべての場所が、桃源、すなわち「極楽世界」なのである。
「住みにくき世から住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかにいえば写さないでもよい。」(一章)
「涙を十七字にまとめた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だという嬉しさだけの自分になる。」(三章)
「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向う三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」(一章)
平凡な、すべての人は世界を作る創造的存在である。どこでも、自分の作る世界となれば、逃れる必要はない。探し求めていくと、かえって本来の自己から離れて、束縛の、人で無しの独善的主義などに陥る。
人間は本当は、ひとつの絶対平等の世界に生きていながら、「我」によって自分の色眼鏡で解釈して、住みにくい世に変えてしまう。同じ人を見るのにも「我」の色眼鏡で見るから、その人の真実の姿が見えない。その証拠に同じ「那美」という女性をいかに人が違って見るかお眼にかけよう、というのが漱石の意図である。
無我
仏教や禅では、世界の本質は「無我」であるというが、『草枕』では、それを表す言葉がある。
「その物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々たる大地を極めても見出し得ぬ。」(六章)
「何とも知れぬ四辺の風光にわが心を奪われて、わが心を奪えるはなにものぞとも明瞭に意識せぬ 場合がある。(六章)
「あの雲雀を聞く心持ちになれば微塵の苦もない。」(一章)
さらに、観海寺の和尚のことを画家はこう評価する。これも、禅の「無我」の境涯である。
「彼の心は底のないふくろの様に行き抜けである。何も停滞しておらん。」(十二章)
筋でない小説もいい
このように見てくると、当時の評論家たちが理解しないことを漱石が批判するわけがわかってこよう。漱石は、仏教、禅が探求した、人間の心の真実の姿を描こうとしているのだから。
「この調子さえ出れば、人が見て何といっても構わない。画でないとののしられても恨はない。」(六章)
これは漱石の小説に対する方針である。人から「小説」ではないといわれても、構わないのである。自己の姿が、あっ、ここに書かれている、と思われるような小説を意図した。筋よりも大切なものを描く。
「筋を読まなけりゃ何を読むんです。筋の外に何か読むものがありますか。」(那美の言葉)
「小説も非人情で読むから筋なんかどうでもいいんです。」(画工)(九章)
従って、漱石の小説は、このように解説を聞くのではなく、自分で原文を読むべきである。禅や仏教の話も聞くだけではだめで、自分で実践しないと役にたたない。
「(小説は)話しちゃ駄目です。画だって話にしちゃ一文の価値(ねうち)もなくなるじゃありませんか。」(画工)
「ホホホそれじゃ読んで下さい」(九章)
「飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。」(一章)
普通の小説の批判である。筋だけで、人間の根本の事実を表していないならば、そんなん小説はひまつぶしにしかならない。自分の知っている日常体験と同じだ。読むまでもない。
真にわかってから他を笑え
禅や仏教では、境涯の浅い者が、深い人を侮蔑することが広く起こっている。漱石は、小説の業界でもそれがあるというのだろう。
「真に個中の消息を解し得たるもののわらうはその意を得ている。趣味の何物たるを心得ぬ下司下郎の、わが卑しき心根に比較して他をいやしむに至っては許し難い。」(十二章)
漱石の小説を理解しない文壇に対して漱石が批判していたが、同じ言葉が、『草枕』にもあったのである。わかった者は他をわらってよい。わからない学者、批評家が、誠実な人々を葬りさってきた。その繰り返しである。そんなことをしている限り、世界全体がよくならない。漱石が言った当時から、長い年月が経った。はたして、現代も、また、漱石の批判した状況は変わっていないのではないか。
漱石の構想
漱石は、仏教や禅の探求する人間を小説で画こうとしたようだ。
人間一人一人が「世界を描く」「世界を作る」ことが『草枕』全体の底にある。「人は世界を作る」という人間の創造的側面を描く。
この画家は、自然や人を「非人情」で見る、というのであるが、それは、如実知見、ありのままに見る、偏見なしに見る、ということであろう。
こころは巧みな画工の如し、というのが、華厳経にある。漱石は、華厳経から、この小説を構想したのであろう。こころは、世界を画く、そういう仏教観を漱石は画こうとした。
『虞美人草』は、「一人の世界」と、他の「一人の世界」のかかわりである。
『坑夫』は、人間の心の二重構造、通常人が「自覚しない世界」があることを描く。そこは、俗世界の罪が許される世界であり、懺悔の問題も説く。罪を犯した人間が苦悩する時、仏教、禅は、救済の論理を用意している。もちろん、知ってあえて罪を犯すエゴイズムは許さない。真に罪を悔い、苦悩する者に、克服する道を仏教は示す。
『三四郎』は、一人の青年が、自分では、三つの世界を持っているような気がしながら、どの世界にも積極的に生きていないことを説く。三つの世界は、自我がとおる世界、自我が受容される世界、自我が通らない世界。「自我」は自分の基準、自分勝手な見方。
漱石の小説は、仏教の教えを秘めていて、どこが、そうであるかを解読していく興味をそそられる。
このページの本アイコン、ボタンなどのHP素材は、「てづくり素材館 Crescent Moon」の素材を使用しています。
「てづくり素材館 Crescent Moon」