「私は信頼する妻にその夜すぐすべてを知らせた。じいっと聞いていた妻は「生きるも死ぬるも神様の御栄えのためにネ」と言ってくれた。」(A19)
「時計は十一時を少し過ぎていた。病院本館外来診察室の二階の自分の室で、私は学生の外来患者診察の指導をすべく、レントゲン・フィルムをより分けていた。目の前がぴかっと閃いた。まったく青天のへきれきであった。爆弾が玄関に落ちた! 私はすぐ伏せようとした。その時すでに窓はすぽんと破られ、猛烈な爆風が私の体をふわりと宙に吹き飛ばした。私は大きく目を見開いたまま飛ばされていった。窓硝子の破片が嵐にまかれた木の葉みたいにおそいかかる。−−−− 目に見えぬ大きな拳骨が室中を暴れ回る。寝台も、椅子も、戸棚も、鉄砲も、靴も服もなにもかも叩き壊され、投げ飛ばされ、かき回され、がらがらと音をたてて、床に転がされている私の身体の上に積み重なってくる。ーーー とにかくこの埋没から脱け出さねばと、膝を動かし、腰を突っ張って苦心しているうち、すうと暗くなって、両眼ともすっかり見えなくなってしまったのである。」(B17)
「近寄って手をかけた。まだほのぬくかった。拾い上げたら、ああ軽くぽろりとくずれた。骨にロザリオの鎖だけがまつわりついていた。」 (C)8月12日、三山町木場におもむき、救護班を設けて二百二十五名の原爆傷病者を救護する。
「夕の祈りの時、永井さんは静かに瞑目しながら黙祷し、ロザリオをつまぐっていた。九時四十分ごろ「目まいがする」と訴えた。それから七分ほどもたったころ、突然けいれんがきた。「神父様を呼んで下さい」とたのんだ。「ルルドの水です」と歌子さんが一滴口にたらした水を、うなずいてのどに通した。そのまま意識が不明になった。長沢助手が、強心剤を二本打った。九時五十分、再び回復し、「イエズス、マリア、ヨゼフ、わが魂をみ手にまかせ奉る」と祈った。「イエズス、マリア、ヨゼフ」のみ名は叫ぶように大きな声で唱えたが、「わが魂を」からのちは、ほとんど聞きとれないほどかすれていた。歌子さんが渡した十字架を、誠一君が左手のほうに渡すと、ひったくるように受けとり、「祈ってください」と叫んだと思うと、もう息をひきとっていた。死が迫る
享年四十三歳、直接の死因は、「白血病に基づく心臓衰弱」であった。手には、教皇ピオ十二世からいただいた黒たまのロザリオと、誠一君が渡した十字架とを持っていた。」
(A、片岡祢吉著『永井隆の生涯』より抜粋したもの)
「私はこの頃になってようやくこの世の美しさが○わが子への遺書のごとき言葉
見えるようになった
すなおに見直せば
この世はこんなにも美しい
私はこの世に生まれたことを
しみじみ喜ぶ」 (C)
「すなおに見直せば
この世はこんなにも美しい
数々の思いがけない出来事に合わされたが
それはみな私の心を
すなおにするためであったらしい」 (C)
「幼いわが子よ
親なしとなってこれから受ける
そなたたちの辛苦は私の目にそのまま見える
けれども私はそれを嘆くまい
悲しむまい恐れるまい
そなたたちは私の子だ
お母さんの子だ」
「いとし子よ
『汝の近き者を己の如く愛すべし』
そなたたちに残す私の言葉は
この句をもって始めたい
そしておそらく終わりも
この句をもって結ばれ
ついにはすべてがこの句に
含まれることになるだろう」 (C)
「私の寝ている如己堂は二畳ひと間の家である。私の寝台の横に畳が一枚敷いてあるだけ、そこが誠一とカヤ ノの住居である。これは教会の中田神父様、中島神父様、深掘宿老さんのご厚志によるもので、カトリック大 工組合の山田さんらが建ててくださった。神の御栄えのために私はうれしくこの家に入った。故里遠く、旅に 病む身にとって、この浦上の里人が皆己のごとくに私を愛してくださるのがありがたく、この家の名を如己堂 と名づけ、絶えず感謝の祈りをささげている。」(A234)
「人の守るべき最大のおきてについてイエズスは、
「なんじ心を尽くし、霊を尽くし、意を尽くして、主たるなんじの神を愛すべし。これは最大なる第一のおきてなり。第二もまたこれに似たり。なんじの近き者を己の如く愛すべし」と言った。」(A66)
「各人が孤児を「己の如く愛し」てくだされば、それがいちばん善いのである。なんの工夫も仮装もいらぬ。ただ、自分が他人からしてほしいと思うとおり、孤児にしてやればいい。」(A65)
「カーン、カーン、カーン」澄みきった音が平和を祝福してつたわってくる。事変以来長いこと鳴らすことを禁じられた鐘だったが、もう二度と鳴らずの鐘となることがないように、世界の終わりのその日の朝まで平和の響きを伝えるように、「カーン、カーン、カーン」とまた鳴る。人類よ、戦争を計画してくれるな。原子爆弾というものがある故に、戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ。原子野に泣く浦上人は世界に向かって 叫ぶ。戦争をやめよ。ただ愛の掟にしたがって相互に協商せよ。浦上人は灰の中に伏して神に祈る。ねがわくば、この浦上をして世界最期の原子野たらしめたまえと。鐘はまだ鳴っている。」(B158)我(エゴ)と我の対立が戦争を生むもとです。我は宗教にもあるのは、ご承知のとおりです。宗教の違いはあっても、互いの生命を尊重し、殺人や戦争は決して計画してはならない。
「実戦を知らぬ将校が自己の名誉心を満足さすために、何も知らない部下を叱咤して戦場に駆り立てる傾向がありはしないでしょうか。実戦というものは残酷なものですよ。戦争文学を寝ころんで読んでおれば美しく、勇ましくて、俺も一つ出てみようかという気になりますがね。実際は違います。たまたま真実を写生したものは、検閲にかかって発表を止められてきたのです。」(B140)
「「日暗みて、神殿の幕、中より裂けたり」これが、長い間考えてきた殉教のイメージだった。しかし、現実に見た百姓の殉教は、あの連中の住んでいる小屋、あの連中のまとっている襤褸(ぼろ)と同じように、みすぼらしく、あわれだった。」(遠藤周作『沈黙』154)
「教会の聖職者たちはお前を裁くだろう。わしを裁いたようにお前は彼らから追われるだろう。だが教会よりも、布教よりも、もっと大きなものがある。お前が今やろうとするのは・・・」(『沈黙』217)
「あなたたちは平穏無事な場所、迫害と拷問との嵐が吹きしさばぬ場所でぬくぬくと生き、布教している。あなたたちは彼岸にいるから、立派な聖職者として尊敬される。烈しい戦場に兵士を送り、幕舎で火にあたっている将軍たち。その将軍たちが捕虜になった兵士をどうして責めることができよう。」(『沈黙』222)
一、こよなく晴れた 青空を 三、つぶやく雨の ミサの声 悲しと思う せつなさよ たたえる風の 神の歌 うねりの波の 人の世に かがやく胸の 十字架に はかなく生きる 野の花よ ほほえむ海の 雲の色 なぐさめ はげまし 長崎の なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る ああ 長崎の鐘が鳴る