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禅と日本文化
河井寛次郎-至誠の人
河井寛次郎の誠実さにうたれた人が多い。直接お会いしていないが、彼の伝記や、彼の言葉、彼の生きざまを知ると、現代の良寛さまと言ってよいくらい至誠の人である。
宗教者でさえ、言っている言葉とやっている行動がずれている人が多いのであるが、言行一致の希有の人である。
「単なる民芸作家ではなく、詩人であり、哲学者であり、宗教にまで高められた信念の人であった。誰からも 愛され、親しまれた歓びの人であった」(橋本喜三氏、A34)
「作家としては自分を捨ててひたすら造化の神に仕えるが、社会人としての自覚は道学者のように謹厳であっ た。立派な作品は立派な人間でないと作れないと常に考えていて、まず自分の暮らしの筋目をきちんと立てる のである。」(橋本喜三氏、A181)
「心の美しい、生まれのたくましい詩人」(保田与重郎、文芸評論家、A110)
「河井は天性詩人である。自由律俳句で知られる尾崎放哉や種田山頭火の代表作と比べて、河井よりすぐれて いると言う評家は信用しない」(寿岳文章、英文学者、A109)
「あらゆる生命体を尊び、これを受容し、志をもった人間として誠実に生きることを謙虚に学んでいた」(河井須也子、河井の娘、A170)
自分の娘からこんなに称賛の言葉を受ける父親は少ないだろう。あらもみえるはずの娘から見ても至誠の人であった。
「私は文壇では佐藤春夫の門下とされているが、私のほんとうの先生は河井先生ですよ。」(井上靖、A173)
「何回か河井寛次郎を書こうと思ったことがある。・・・結局のところは書けなかったのである。氏の無類の 美しい人柄について語ろうと思っても、語ろうとしたとたんから氏は逃げてしまう。作品も同じである」(井上靖、A188)
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