もう一つの仏教学・禅学

新大乗ー本来の仏教を考える会

   
禅と文学

川端康成の生き方

 川端は「虚無を超えた肯定」を描いている。それは、仏教、とくに禅を象徴する言葉である。彼は、それを作品に描いたが、彼自身の生き方もそうであった。「私は宗教美術、あるいは宗教的なものを感じさせる美術に、最も心をひかれる。」という川端であるから、その生き方も宗教的である。

後悔しない

 後悔は、自我を認めて、過去の自我を、今の基準あるいは他人の基準では悪いと評価するのである。川端は、後悔しない。禅者は、今を真剣に生き、過去の自己を善悪の対象としない。

 「いったいに私は後悔というものをしない。もしあの時ああであったらこうであろうという風に、過去を思い出すことは絶対にない。」(『文学的自叙伝』)
 「しかしすべてのものごとは、後から計算すると、起るべくして起り、なるようになって来たのであって、そこになんの不思議もないと思われがちである。神のありがたさかもしれぬ。人間の哀れさかもしれぬ。とにかく、この思いは案外天の理にかなっているようである。いかなる凡下といえども、夏目漱石の座右銘「則天去私」に至る瞬間が往々あるらしい。」(『末期の眼』)

憎まない

 憎むのは、自我を認め、他人から自我が犯された、傷つけられた過去を評価して、その相手を許さないことである。川端は孤児となったため、他人の世話で生きたから、怒りを表に出すことがはばかられ、憎むことができない人になったようだ。孤児の哀しさから生まれた若い頃の処世術であったのが、習いとなって自活できるようになってからも憎まない人になった。こころの平安が得られた。他人を憎むな。悪意をいだくな。自分をも責めるな。過去を思うな、後悔するな。将来を不安に思うな。すべてが自己の世界だ。何とかなる。こうしてくらせば、いつでも安心の中で生活できる。「憎むな」を実践していると「憎まない」になる。これを道元禅師は「莫作(まくさ)の力量が現成する」という。「するなかれ」という命令が「することない」の自然態となる。

 「私は幼くから孤児であって、人の世話になり過ぎている。そのために決して人を憎んだり怒ったりすることの出来ない人間になってしまっていたが、また、私が頼めば誰でもなんでもきいてくれると思う甘さは、いまだに私から消えず、何人からも許されている。自分も人に悪意を抱いた覚えはないというような心持ちと共に、私の日々を安らかならしめている。それは私の下劣な弱点であったと考えられぬこともないが、どんな弱点でも持ち続ければ、結局はその人の安心立命に役立つようにもなってゆくものだと、この頃では自分をせめないことにしている。」(『文学的自叙伝』)

うまく書こうと思わない

 うまくみせよう、自分以上のものを世間に認めさせよう、という欲を棄てる。虚勢、虚栄、虚飾を意図しない。名誉、名利を思って創作するのではなく、自分の書きたいものを書く。うまく書こうというちっぽけな自我欲を棄てるのである。ある組織内で最高に尊敬される人が、外部から見れば権力欲、金力の権化であり、階級をつくる封建主義者に思える場合がある。世間の目の何が正しいかわからない。そんなあてにならない世間の評価に喜んだり、悲しんだりする必要もない。

 「第一私が行を起すのは、絶対絶命のあきらめの果てである。つまり、よいものが書きたいとの思いを、あきらめ棄ててかかるのである。」

誇らない

 「自分を誇る」とは、自我を認め、自分の自我と他人の自我を比較し、自分がすぐれていると評価し、世間に向かって表明することである。しかし、人間は自己を超えたものに生かされている。その目から見て、一箇の私という自我はそれほどすぐれたものだろうか。自己を知るものは、自己を誇れるものではない。川端は自分を誇らない、威張らない。川端は、自分の資質を疑う、というほどに自己を誇らず、自己を空しくする作家であった。この言葉にうそはないと思う。川端は自分を未熟、怠慢と思いつつ、大変な努力をしていた。禅で自我を空しくするのに通じる。

 「小説家としての私の資質に疑いは絶えないのであって、「伊豆の踊子」、「雪国」などの作品の運のよさの、羞恥、苦渋にさいなまれがちである。」(『一草一花』)
「私の随筆と短編との選集を、ベッドでなにげなく読み出したところ、よしなしごとを、なんと悪い文章で書いているのだろうと、いまさら悔恨もおよばない、ほとんど絶望にさいなまれて、哀しみへのがれるあまさもゆらめいてくれず、ゆるしがなく、救いがなかった。辛うじてなぐさめをさがすとすれば、自分はまだ新進作家であるという思いだけである。いつもそう思っていることは、私には私の確実な真相である。」(『一草一花』)

 自分の作品が真に理解されないで、浅いところで不本意な理解、称賛をされているとしたら、誠実な人は苦渋を感じるであろう。川端は、「戦後の日本の堕落」を嘆いていた。横光利一弔辞で、「日本の山河を魂として君の後を生きてゆく」と言った。そんな川端が、無理解のうえの称賛という虚構、虚栄を喜ぶはずがない。自己の文学は禅に通じるという人が「日本の山河を魂と」するということは、日本の山河が自己であるということであろう。戦後の知識人、政治家、宗教者、一般人が執着する自我は、山河を魂とせず、虚構の自我の欲を肥大させた虚構、虚栄なのである。虚飾、虚栄を求めるものは愚者である。愚者の集団の中で尊敬されて何になろうか。いじめ、自殺、オウム、薬害事件、霊感商法など最近の日本の精神状況は何だろう。なぜこんなおかしな国になったのだろう。

批判を気にしない

 川端は、他人の批評を気にしない。批判を気にするのは自分の最善をつくしていないからだ。背伸びしてみせる気があるからだ。自我を出さないならば、悪をおかすこともなく、他人の迷惑にもならない。従って、他人の批判を意に介する必要は全くない。川端の小説は未完が多い。完結していない作品なのだから、批判されるのは当たらないとも、批判されて当然とも思えば、批判も気にもならないだろう。川端は「私は理解されない作家」と言ったが、理解してくれない批評を気にする必要はないという心もある。

 「私の小説や随筆には序の口で尻切れているのが実に多いと云うよりも、完結したものを発表出来ることは稀だと云った方がいいくらいだ。−−−私が批評をあまり意に介しないのも、ひとつはこれが自分の逃げ道になっているからだろう。」(『文学的自叙伝』)

感謝に礼拝

 川端は感謝に礼拝する。川端は、自己の外には、神仏を持たない。しかし、恵まれた幸福を感じる。感謝は自己の受け止めである。感謝は恵まれた自己の姿である。恩寵を受けた結果の自己の姿に礼拝するのである。川端の生き方は、禅的である。そして感謝礼拝が癖になるのも、体得になっているともいえる。

 「しかし、私の人生でのもろもろのありがたいめぐりあいは、孤児であったから恵まれたのではないかとも思う。恥ずかしい秘密のようなことであるが、天涯孤独の少年の私は寝る前に床の上で、瞑目合掌しては、私に恩愛を与えてくれた人に、心をこらしたものであった。そのような人に、私は終始、つぎつぎとめぐりあいつづけて、絶える時がない。今も私は時折寝床のなかで、なんとなく合掌する癖の出ることがあるが、神仏に礼拝するのではなく、やはり感謝に礼拝する思いである。」(『思いだすともなく』)

 このような作家が日本に出現したことは嬉しいことであるが、それでも日本の精神はだめになっていく−−−。


   
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