岡本かの子は、「仏教の形を一つもその中に見せずして、しかも仏教の理解と一致する芸術」が必要だと言った。仏教の言葉や形を見せずして、しかし、その精神は仏教と同じものである芸術。この芸術観を受け継いだのが川端康成である。そのように、この二人の小説は、仏教が隠されているので、文学評論家にでさえ理解されていないようである。わかりやすいのを一つ味わってみよう。
かの子の書いた小説は、かの子が理想の小説と考えたように、仏教(人間の真実)の精神をこめているであろう。かの子の文学を絶賛したのは、林房雄、川端康成などで、否定したのは谷崎潤一郎、円地文子など。かの子の文学の方向(それとわからせず仏教を秘めた小説)を受け継いだのが、川端康成である。川端がかの子を称賛するのはそのためであろう。かの子は、そのような仏教を秘めた小説を数多く書いたが、一つ味わってみます。
川端康成は、『千羽鶴』で心の病気の一つ「神経症」のうちの精神的性的不能を描いた。岡本かの子の『老主の一時期』という短編小説は、「神経症」から、もう一つの心の病気「うつ病」に陥っていく経過と、禅で回復していくことを描いている。(この小説には、かの子の当時は問題にならなかった差別用語(「びっこ」など)が出ているが、小説の言葉をそのまま使用する。ご理解願いたい。)
『老主の一時期』のあらすじ
A、娘の病気と妻の死
山城屋宗右衛門は広大な屋敷に多くの蔵を持つ豪商であった。彼に二人の娘があった。大変美しく、近在で評判であったが、年頃になってから急性リューマチでびっこになってしまった。二人とも、片足が曲がらず、正座することができない。妻も五十で死んでしまった。妻の葬式は、普段彼が寄進していた泰松寺で盛大に営まれた。これまで、宗右衛門は寺の老師がよぼよぼしてこっけいに見えていたが、葬式の日には、老師の姿が尊く見えた。
B、妄想に苦悩
二人の娘はいよいよ美しかったが、びっこを悩んで離れ家にひっそりと暮らした。宗右衛門は、以前は毎日二人にあっていたのに、病気以来、足がとおのき、たまに行くと、下半身を見る苦痛に心が暗くなった。宗右衛門は、とうとうその苦痛のために二人をたずねなくなった。「お父様、どうしました。」と言うと「商売が忙しくてな。」とうそを言う。「お里は感ずいている。」と思うと、おそろしくもなる。
やがて、宗右衛門にとって、二人の娘が妄鬼になった。二人の姿が眼に浮かんで離れないで、宗右衛門はたまらない苦痛を感じた。
C、寺に参る
宗右衛門は妻が死んで一月程たってから、寺に通いだした。老師は、過去の悪業のせいとは思わないか、と問う。すると、宗右衛門は、悪いことはしていない、と否定する。老師は、暇あるごとに、懺悔文を唱えなさいと教えた。宗右衛門は娘にあいたくなかった。商売も番頭にまかせた。家にいたくないばかりに、寺に行った。
宗右衛門は、寺の仏前に灯明をあげ、お菓子をかざった。半日を寺ですごすことが多くなった。宗右衛門は二人の姿が浮かぶとあわてて、お経をとなえる。寺から家に帰る時の心は暗かった。離れ家の見える雨戸を厳重に閉ざした。晩秋になって、宗右衛門は寺の隅に隠居所を建ててそこに住み、家には三日に一回くらいしか帰らなかった。
D、観音像の恐怖、花を植える
宗右衛門には、ひとつの新しい苦しみが起こった。隠居所から、本堂へ行く通路の壁に女菩薩の画像があった。ある日それにみとれているうちに、宗右衛門は性欲を刺激した。同時に女性への思慕にひたって、ひざまずいた。我にかえった宗右衛門は、「おれは何という罰あたりだ」と苦しみ始めた。
その時以来、宗右衛門は、画像の前をとおるのを避けるようになったり、意を決して前をとおっても、苦しんだ。食欲もおとろえ、睡眠も不足してやせてきた。老師のもとへも行かなくなった。老師はわけを聞いたが、宗右衛門は、その恥を話すことができない負担を感じた。老師への負担と画像から逃れるため、宗右衛門は、寺の後の畑に家を建てて移り住んだ。畑中にボタンの花を植えた。その華麗さに村中が驚いた。宗右衛門は寺の周囲の土地を次々と買い取り、さまざまの花を植えた。
E、復帰
三年目、主人がこんなふうで、商売が傾きだし、娘が急病との理由で、家人から宗右衛門に戻るよう懇願された。その頃、宗右衛門の心は荒廃し、疲労の極にあって、宗右衛門が老師に救いを求めたのと同時であった。
宗右衛門は、それまで老師にかくしていた恥や娘への嫌悪心などみな打ち明けた。老師は、今後一切、自分の指示どおり行動するよう宗右衛門に言い渡した。宗右衛門が、その指示どおり、行動すると、やがて宗右衛門は家業に復帰し、後妻をもらい、娘ともあえるようになった。
仏教からの解明
『老主の一時期』のあらすじを見たが、この小説がなぜ仏教小説なのかを検討してみましょう。人間がなぜ、心の病気になっていくのか、その心を知らず泥沼に陥っていく過程、それから回復するには仏教精神によることなどが明瞭に描かれている。
a)現実逃避
(A)人がうらやむような宗右衛門。その娘二人がびっこであったが、はたから見れば、金さえあれば、何とかなりそうであった。何げない生活だが、ささいに見えるあることにとらわれることから大きな苦悩が始まる。心の病気になる場合も同様である。
(B)宗右衛門が現実の一見不幸に見える事情(娘の障害)を嫌って逃げようとしたこと。それがため、かえって妄想となって苦しめた。今の現実を嫌い、それにとらわれると、今の命を失う。現実を嫌って、逃避するのは、神経症やうつ病への入り口である。家族も他の家族を責めないようにしないと、心の病気などに追い込むことがある。
b)誤ったはからい
(C)宗右衛門に我(が)があって、苦悩を老師に打ち明けず、そのため適切な指導が得られない。老師は、宗右衛門が我を折っていないから、まだ本格的に指導に乗り出さない。我を持った人は、他人のアドバイスを聞き入れない。宗右衛門には、つらい事情を受け止めず、自分の小さな見解で、逃げれば何とかなると思い、種々のはからいの行動がみられる。現代の神経症で、「強迫行為」と言われているものであろう。
(D)妻に死なれて、観音画像に性欲を覚えたのを、「悪」と思い違いして、苦悩する。またその苦悩から逃れようと、誤ったはからいをする。まぎらそうとして花を植える強迫行為を繰り返す。もう仕事どころではない。神経症が重くなっていた。依然として老師に本心を打ち明けない。老師はそのような宗右衛門をほっておいた。老師のもとに来ないというのは、我を捨てていないからである。自分で何とかできると思っているからである。我を折って、教えて下さい、というまで黙って待っている。我を捨てていない人間に向かって説法しても、アドバイスしても、受け入れないことを老師はよく知っている。禅は金儲けでもないから、不安をかきたてたりしてまで、誘うようなこともしない。それもはからいであり、新しい苦悩を植え付けるおそれもあり、禅者は自ら希望する者にしか指導しない。禅では折伏(受け付ける意志のない人に向かって強いて法を説く)はありえない。
ただし、現実には、うつ病の場合、本人が知らずに救いを求めないことがあるので、助言しないと自殺するおそれがある。小説は小説として、現実には、心の病気になっていると思われる場合には、ほうっておかないで、積極的に助言したい。こういう場面は、小説には面白くないだろう。
c)我を折ってすがる、老師の指示
(E)は老師の指示によって、回復していく過程である。宗右衛門は「荒廃と疲労の極度達し」ていた。つまり「うつ病」あるいは「抑うつ神経症」になっていた。彼の場合には、幸い、そばに老師がいた(こういう人がいない場合には、自殺するであろう。最近の日本では、毎年3万人が自殺する。)。宗右衛門は我を追って、老師にわけを話す気になり、救いを求めてきたので、聞き入れる時期が来た。
そして宗右衛門の苦悩の中身がわかったので、老師は適切な指導を始めた。老師の与えた指示は三点だった。
(一)と(三)である。自分の今いる場所から逃げず、やるべきことに全力であたるということである。みだりに念をついで、それにふりまわされないという無用の思考の連鎖を絶つのも時には重要な心の実践である。ストレスがある、この仕事はいやだからと言って、仕事をいい加減にしようと考えるとか、ストレスがあるから、夜飲みに行くことを考えるとか、食べるとかに、逃げてしまう。これでは、自分の本業に誇りを持てず、余暇や食べることが、ストレス解消の目的になるから、いつもいい加減な生き方になってしまう。余暇もストレス解消のためにすると、やがて依存症になって、いつもそれ以外の時(仕事や遊びなど)には、不安を感じてしまう。つらくても、逃げずに、そのことに全力であたるようにするのがよい。良寛さまが言うのは、似たような助言である。一見、不利なような状況でも、嫌わず否定せず、逃げず、その状況を受け入れると冷静であるから、その冷静な心でよく判断して、その中で、できることに全力をつくす。
「災難に逢う時節には逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難を逃るる妙法にて候。」
2)誤った基準で縛らない
(二)は誤った価値観、倫理観で自分を縛って、人間の自然を誤解して、自分を苦しめてしまうこと、つまり、禅の言葉でいう「無縄自縛」(むじょうじばく)。見えない縄で自分を縛って本来生き生きとした人間活動を圧迫してしまうこと。神谷美恵子さんは、キリスト教徒の一部にそれを感じた。新興宗教の信徒にもそれが多い。教団幹部に都合よい教義、奉仕精神に縛られるからである。このような人間の本当の姿を誤解したことから苦悩に陥った宗右衛門であったから、老師は、過ちに気がつかせて、現実を受け入れさせて、本来持っていた自由な活動ができる自己にめざめさせ、自然に生きるよう指導した。この小説では、宗右衛門がすぐ回復したかのように短く終わらせているが、現実には、ここからかなり時間(問題と深刻さにより、3カ月なり1、3年なりの)がかかるものである。
「自分を苦しめる」と書いたが、そのことで他人をも苦しめてしまうことが多い。このケースは、娘や家人に心配をかけている。不潔恐怖の人は、自分ばかりでなく、子供や配偶者にも必要以上の清潔を強制して苦しめるおそれがある。そのような強制でなくても、一人の人が悩むと、その家族が心配して苦悩は伝染する。子供が苦悩すれば、親が苦悩する、親が苦悩すれば、子が苦悩する。夫が苦悩すれば妻が苦悩する、妻が苦悩すれば夫が苦悩する。それが職場、仕事に影響する。だから、誤った価値観、基準で、自分を苦しめるのは、影響が大きい。
3)逃げるために誤った強迫行為
川端康成は、『千羽鶴』で精神的なストレスが原因となった性的不能を描いたが、岡本かの子の『老主の一時期』は、同様の精神的な病気(うつ病、ないし抑うつ神経症)を描いている。自分が心の病気とは知らずに、このような自縛で自分を小さくおしこめている人は多いようである。また、この宗右衛門のように、花を植えるとか、友達と語るとか、ゴルフをするとか、趣味らしく見えるのが、強迫行為となっている人もいるのである。何か一つに打ち込んでいるのが趣味を楽しんでいるのでなくて、ストレスや恐怖からの逃避が目的であれば、やがて深刻な事態に陥る。つまり、借金してまでも、家庭を破壊してまでも、仕事を犠牲にしても、行わざるを得ない事態になる。宗教活動も強迫行為になる場合がある。それを利用したカルト宗教もある。ストレスや病気や仕事などのつらさから逃れて、宗教や、アルコールや強迫による行為に走ることの危険さを考えているべきである。
真の幸福は、今、ここ、自分のもとにしかありえない。どのような人生であろうとも、きらわず逃げず受け入れて、冷静に状況を把握して、自分のできることを考え、行動し、生きていく。これをかの子は描いた。
簡単であるが、小説『老主の一時期』を禅から解釈してみた。言うはやさしいが、実践はむつかしい。この主人公は、禅僧から禅の心得を助言されて、それを実践した。思想、思考だけでは深刻な苦悩は救われない。実践しなければ、変わらない。仏教は口できれいごとを言わず(「無記」である)、黙々と実践すること(「八正道」に整理されたが、禅定が含まれている)を重視した。
(私は言いすぎる。私と違って、不言実行のすぐれた宗教者が多い。そういう人を尊敬する。ただ、学問(仏教学、禅学)が不言実行型の仏教、禅の実践を否定するから、しばらく、その不当さを訴えているだけである。できれば、僧侶や学者が専門なのだから、言うことはおまかせしたい。僧侶や学者が正しく仏教を言ってくれるようになれば、専門家でない私は黙る。実践は、すべての人のものだから実行する。)