もう一つの仏教学・禅学

   
医学と禅

神谷美恵子

宗教批判

美恵子はクリスチャンではない

 神谷は、クリスチャンのようでいて、そうではない。次は、美恵子の伝記を書いた江尻氏の意見である。
「彼女を一般的な意味で"クリスチャン"と称することは控えるべきではないだろうか。彼女は、「人が人を破門したりする排他性には耐えられない」と述べているように、特定の宗教を絶対視することを好まなかった。ペンドル・ヒルには彼女がそこに在籍した時に発表した二つの論文「キリスト教と異教徒」と「キリスト教の信仰の姿勢」(原文英語)が残されているが、すでにそこにドグマティックで狭量なキリスト教に対する彼女の批判が見られる。彼女は、各地の宗教的、文化的伝統を尊重し、柔軟な開かれた心での伝道が必要と考えた。「宣教師として必要とされていたのは、(・・・)異教徒の魂の幸福をおのれを忘れて願い求め、彼と一体となり、彼が真理を自分の目で見ることができるよう、必要とあらばすべてを、自分の教会と神学をさえ捨てる心構えのある人々であった。」と美恵子は述べている。ここに、キリスト教を唯一絶対の宗教としない、一生を通じての彼女の宗教観の萌芽が見られるのではないだろうか。
 遠藤周作の近著『深い河』に描かれるカトリックの司祭になるべくしてなれなかった(ならなかったというべきか)大津の生き方、考え方にふれた時、筆者は、美恵子の宗教観がこれに近いのではなかろうかと考えずにはいられなかった。クリスチャンと異教徒という二つのカテゴリーに人間をわける考え方に、大津がなじめなかったように美恵子もなじめなかったようである。」(A208)


 形ある「宗教」を絶対視しないのは、禅と似た宗教観である。美恵子のこの姿勢があるから、東西の宗教者にみられる神秘体験の共通性、すなわち教義の理解や信じるのではない、生の体験であることを理解し、それを通して、すべてを肯定していく人々によく理解を示すのであろう。彼女自身も、類似体験があったことが、特定の宗教に限らず、多くの宗教の原点に、その体験があることを見抜いたのである。
 だから、神学や教会さえも捨てるという深い宗教的境地、真の自由を見るのである。
 教団や、教祖や、経典をあがめて執着している宗教者は、まだ浅い。まして、それを押し付ける宗教者は、真の宗教を知らない。人間の尊厳と自由を知らない。対立する宗教の信者だから殺す、迫害する、差別する、などというのは、ドグマティックで狭量である。これは、自己の組織に奉仕させ、人を教義のロボットにし、自由な、幅広い精神を硬直化し、かえって人を不自由にし、人々の間に、対立抗争を引きおこさせ、不幸にするのである。本当は、念仏も法華経も禅もキリスト教も、一般的に解釈されているドグマティックなものではなく、人間観、絶対者(神、仏)は同じであることがわかる、その教義以前の人間の根本事実を説いたものなのである。信者の上だけに神や仏があるわけがない。人間すべての上に共通にある。ただ、知らないだけだ。自分の子供がいかに宗教的に反抗しても殺す親はいない。人はみな、仏の子、神の子だ。宗教の違いで、殺してはならない。このことさえ、わからなくしてしまい自分の宗教だけが絶対だと思わせ、人間の対立をあおるのは、悪しき宗教である。

ドグマティックなキリスト教に批判的

 美恵子は、形式や教義を押しつける宗教を批判している。ドグマ化はキリスト教だけではない。教義を押し付け、人間を縛る宗教はみなそうである。美恵子によれば、すべての既成宗教がそうである。
 美恵子は、完全ではないが、ましなものがクェーカーであると思っている。私からみれば、禅宗教団にもクェーカーのごとき場所(ペンドル・ヒルのような施設)にも縛られない禅が美恵子の宗教心に最も近いように思われる。
 (私はクウェーカーを知らないから、これについての評価はさける。)
「内村鑑三先生の弟子たちの集会がセクト化し、排他的になって行くのに対し」(J83)
「齢三十になんなんとして漸く己が進むべき道を知る。二十代はすべてこれ浪費であった、とつい口がすべりそうになる。そうではない。しかしそういう点も多かった。
 一、あまりにも西洋的教養にのみ偏ったこと。
 一、あまりにもキリスト教をして自己の自由なる思索と感覚とを束縛せしめたこと。
 今からでもここから抜け出て、新しく、自分の生命を赤裸々に投げ出す事が出来るだろうか。そんな不安と昂奮に駆られて今朝は早く目がさめた、ああ私は私の声で神を、人生を歌いたい!」(K33)
「キリスト教だけが真理を握っていると考える人々の狭量さは耐えがたいものだ。キリスト自身の排他性にその根がある。」(K140)
「講演つづきで自己嫌悪。『仏教の思想』全集をとりはじめ、第一巻をよんでいる。梅原氏のキリスト教批判は、私にはごく自然にうけ入れられる。」(K178)
「『宗教の枠にとらわれぬ宗教心』というようなことをいうのは所詮ムリか。ああしかし私は人が人を破門したりする排他性には耐えられないのだ。」(K178)
「私は宗教的集団に属したいとは思わないが、もし属したいと思うときがきたとしたら、それはクェーカーをおいて外にないと思っている。宗教的集団というものにまつわる種々の困った点は、無教会主義で散々見てきたが、クェーカーとて完全に免れているわけではないだろう。しかし、少なくともそれが最小限にくいとめられていると思うからだ。」(J105)

宗 教 を 超 え た 宗 教 心

私 の 宗 教

「私の宗教はミスティシズム(神秘主義)というのがいちばんいい表現だろう。しかし私の信仰はゲミュート(心情)の上だけのことで知的には、これに普遍妥当性があるとは全然思っていない。むしろ無宗教が本当かも知れない、と思っている。ただ知能の上でどんな極端な無神論者になった時でも、心情の上で直接的、spontanに(自然に)『神』を把握してしまい、その神との極めて個人的な交わりの中に生きてしまうのをどうすることもできない。またこの交わりが私の全生命の力の泉となっていることも否定できない事実だ。
 だから私は自分の信仰なるものを取り出して冷酷にこれを分析することができるけれども、いくら解剖し説明し葬り去って見ても、心情の上では依然最もナイーブな、うぶな、非合理な、熱情的、主観的な『神に酔える者』なるを如何ともすることもできない。」(日記、1944/12、A211、M237)

 無神論といってよい、とは他のクリスチャンのごとく、自分の外に神を考えないことではないか。そして、しかし、直覚的に神と個人的に交わる、とは、自分とひとつである[何か]の自覚ではなかろうか。光を見たという体験がある美恵子には、いつも光の中にあるという自覚があったと思う。

「人間は神なしで正しい生活が送れるものだろうか。これもその人ひとの性格によるのだろう。神との対話という形で深奥の精神生活を営む事が自然ならば、そうするのを何はばかる必要があろう。神学的にみてその神が何であろうと問題ではない。神は人間の精神の精髄であると言ってみたって一向かまわない。
 一つの心理的必然として神という概念があるならば、それはあくまでも必要なのだ。ただ要は自分で神を独占しているような気になって思いあがらないことだ。」(日記、1958/8/12、K128)

 宗教で安心を得るのなら、どのような宗教でもいいわけだ。教条主義者(新興宗教にもこれが多い)の欠陥は「自分で神を独占しているような気になって思いあがっていること」。そのために、強引に勧誘し、脱会者にいやがらせをすること、信者でない人を人間とも思わないところがあることだ。禅者は、宗教の自由を強調する。しかし、教条主義者の排他性、独善主義で人を傷つけること、その幹部が利己的で、自分の欲望(組織存続欲、金欲、権力欲)のために信者を、人々をそのような狭量な人間にしてロボットのように操ることを禅者は批判するのである。宗教の名で、まさに人間の自由を奪うのだ。

ま か せ て 生 き る

 「やっとふつうのからだとあたまになった。朝、自分に対しておごそかな誓いをたてる。

 一、しごとはできるとき、できるだけする。「ノルマ」で自分を縛らぬこと。
 二、眠れないときはそのままおきていて、日中でもいつでも眠れるとき眠る。
右を今日以後励行のこと。そうすれば今度の病気を生かせるし、Nへの迷惑も少しは減らせる。神さま、弱い意志を助けて「あるがままに」生かせてくださいませ。」(日記、1973/8/3、K192)

「みこころのままに、というのが年頭にあたり、一ばんふかい祈り。もし軟化症になるならそれもうけ入れさせて下さい。」(日記、1975/1/1、K197)
「どうぞ心明るくおくらし下さいませね。私たちは病気になっても皆、神様のみ手の中にあるのですから。」
 1979年10月20日、愛生園の野口富栄あて書簡。死の2日前。(J313)

感 謝 あ る の み

「体力ができたら買い物に行って入院用の衣類をそろえ、ふろしきに包んでおくこと。私はほんとにいつ召されても、与えられた恩恵に感謝あるのみ。」(日記、1972/3/15、K189)

「要するにガタが来たのだ。でもNは毎日やさしくしてくれ、「みみのおかげで今日の僕はあると本当に思っているのだよ。どうか大事にして生きていてくれね」と言って出かけて行く。私は仕事よりも彼のために生きてーーーそれもふつうの精神を保って生きているよう努力せねば、とあらためて思う。自分にとって生も死も同じみ手にあると思っても、Nにとってはやはり大差があるのだろうから。みむねのままに。すべて感謝である。
 朝夕川をみて、一日一日を貴重に思う。今はたそがれ、川はなめらかに流れている。私の生命も流されているのを感じる。多くの苦しみとあやまちがあったけれど、人生の終りがこんな形で恵まれるとはもったいないことだ。」(日記、1974/12/14、K195) (Nは夫、宣郎)
 神谷がいう「神さま」は、死後神の国に生まれるとかいうような「神」ではない。
 また、聖書の言葉にこだわる教条主義のキリスト者がいう神でもない。禅者、良寛も「あみだぶつ」とともにあることを歌っていることが参考になる。

「今朝は珍しく右下肢のビリビリも痛みもほとんどなく、気分がいい。こういう、めったにない日にはここにかく気がする。神さまへの信頼と感謝と、そしてNへのあふれるばかりのありがたさを。だんだん視力がおち、右半身不随になって行くことはわかっているけれど、痴呆になり切るまでせめて感謝の歌をたやさないようでありたい。」(日記、1975/7/10、K198)

 この神谷の言葉に学ぶことは大きい。ガンなど不治の病気になった時、その自分をのろってやけになり、家族にあたりちらし、落ち込むのではなく、自分を心配してくれる人、看病してくれる家族、病院関係者などへの感謝の気持ちを持ちつづけられないだろうか。そうすれば、生きていることのありがたさ、生を受けたありがたさを思い、死の不安より、喜び、感謝の思いが打ち勝つに違いない。

死 も 恵 ま れ る も の

「トオルに頼んで買ってきてもらった正法眼蔵をよみはじめた。ともかく名文!」(日記、1976/2/16、K200)

 正法眼蔵は、日本に禅を伝えた道元禅師の著作。美恵子は一つの宗教に片寄らない柔軟な宗教心をもつ。
 この三年後に、『生きがいについて』が出版される。それには、禅の見性や悟りも「神秘体験」として分析している。正法眼蔵を読んで、自分の体験と禅の見性の類似性を見たのであろう。

「もうすぐ解放のときがくる。」(日記、1977/7/10、K202)

 倒れて、病院に運ばれて、一週間のときである。死の近いことを予期する。それは解放! 

「今冬痛み出した下肢の歩みは危からむ。命も危からむ。しかしぎっしりめぐみのつまった一生の歩み。いつなりと終えて休ませたまえ。」(日記、1978/9/4、K206)
 生きている間、恵まれたという感謝。もういつでも休ませていただいてよい。

美 恵 子 の 自 己 分 析

 これほど偉大な生き方をした美恵子が自分を内気、消極的といい、自己嫌悪感に何度も襲われているのを見ておこう。
 そういう側面があることを知るのは、弱い私たちにとって、朗報ではないか。自己嫌悪があっても、内気だっていいのだ。内気でも自己嫌悪があっても、絶望しないで、歩めばいい。

内気、消極的

「私の小心、恥ずかしがり屋はすでにS学院の頃から顕著であり、「死ななきゃ治らない」ものだろう。」(J49)

「私は内気で消極的な点で父によく似ているが、母の方から全くちがった遺伝子をも貰っている。母は父から「(幡随院)長兵衛」というあだ名をつけられた、開けっぴろげで陽性な人間であった。」(J69)

ときには自己嫌悪

「私は時々たまらない自己嫌悪に陥ってやりきれなくなる。」(日記、1942/5/20、K28)
「だのに、例の底知れぬ自己嫌悪の念に襲われて今日は一日中生くるに耐えぬ感じで暮らした。外側の出来事や行動に自己を忘れている時は要するにごまかしているのだ。」(日記、1943/9/8、K45)
「自分からこわれる。自分からこわれる。」(日記、1944/7/11、K57)
 「自己嫌悪」の言葉は、1960/2/14、1969/2/6、1969/6/23の日記にも見られる。 「むなしさの思いに駆られてそのあとお使いに行く。うす陽の下でさざんかのうす紅さした貝がらのような花がほころび、桜の葉は紅く、木にまばらであった。」(日記、1968/11/20、K178)
「毎晩食後何もする力がなくなる。これは気のせいか。死後のため身辺整理をと思いつつ、果たす気力なし。Nの愛もったいない。しかし究極的には私は神の前に一人出ねばならぬ。」(日記、1972/1/22、K188)