禅と日本文化
東山魁夷
創造と孤独
創造は身心の消耗
絵画を創造するのは身心の烈しい消耗である。
「長年にわたる唐招提寺御影堂障壁画七十面の最後の襖に落款を入れた時、私は身心共に空になっているのを感じた。」(1)
「ものを創り出すということは、言う迄もなく、身心の烈しい消耗の連続である。その上、他方面から、のっぴきならぬ要求が重荷となって加わってくる。誠実を貫く手段は、むしろ、八方破れになるか、さもなければ、まともに全身で受け止めるしかない。いずれにせよ、全てを投げ出したくなるような、やり切れない疲労と虚無感を、自分自身で常に処理して行かねばならない。それは容易なことではない。」(2)
川端康成が、志賀直哉にかみついたことがある。志賀直哉の『万暦赤絵』を書くことによって、「作者の生活は微傷だに負っていないことは明らかである。私も一昔前志賀氏を「小説の神様」として耽読した一人であるが近頃読み返そうとすると、その神経の「我」がむかむかとして堪えられなかった。」(3)
絵画でも小説でも、名作を創造するのは自分の身心をすりへらすものらしい。東山さんと川端に共通の芸術魂があるようだ。そうまで自己の身心をすりへらして、二人は日本人に「何か」を訴えてきたが、二人が嘆くように日本の精神状況は決して良い方向へ向かっているとはいえない。理解されても身心をすりへらす創作であるが、傷ついて訴えても、本当に理解されないとしたら孤独観を感じるであろう。
(注)
- (1)『米寿記念 東山魁夷展』 日本経済新聞社、1995年、154頁。
- (2)東山魁夷『美の訪れ』 新潮社、187頁。
- (3)川端康成『一木一草』講談社、169頁。
孤独と鏡
心の真ん中に鏡がある人がいるという。
「人間は誰しも孤独の部屋の住人といえるだろう。あるいは、孤独の影を、心の中に宿しているにはちがいない。しかし、その部屋に好んで住む人は稀である。居心地の善し悪しなどというものではなく、そこに住まねばならぬ宿命を持つ人がある。
孤独の部屋の真中に鏡があって、窓の外の世界が映るのを、部屋の住人は見つめる。直接、窓から外を覗くということに、あまり興味を示さない。窓の外は架空の世界であり、真実は鏡の中だけに映る。
この部屋に住む人は、鏡の中の真実を各自の方法で形象化しようとする。自分の言葉で語ろうとする。それは易しい仕事であるはずがない。しかし、孤独な密室の中での、その住人自身のための作業であるにもかかわらず、いや、それであるからこそ、そこから生み出されたものは、窓の外の世界での普遍的な存在意義を持つといえる。より深い真実に触れることを人は希うからである。」(1)
真ん中に鏡がある。孤独の人のみが自覚するのである。普通の人は、外が真実だと思っているが、鏡を自覚する人は、その鏡の中が真実だという。天地に我一人という孤独であろう。これは人間の本質的な孤独である。東山さんは、それを描いた。仏教者も同じようなことを語ろうとしてきたが、いまだに理解されていない。容易ではないのである。
画伯は、孤独の鏡を、絵で語ってきた。しかし、画伯はまた、別の孤独感を抱えていた。画伯の内面には常に孤愁が漂っていた。
「いつも私の作品の基底を流れている孤独な感情」(2)
「先生も私も、お互いに、孤独な心と心の巡り会いを、大切にしたい気持ちが強かったからでもあろう。」(3)
「その後は多くの人々の好意で思いがけなく順調といわれる道を歩んできたが、私自身の内面には常に払い除けようのない孤愁の淵が暗く淀んでいる。」(4)
画伯は、中学三年の時、心の病気、神経衰弱にかかって(5)淡路島で療養した。神経質(6)で、内気で、孤独な精神生活を送った(7)。
「暗い密室は消えることはなかった」(8)
「心の根底に暗さ」(9)
(注)
- (1)東山魁夷『美の訪れ』 新潮社、180頁。
- (2)『米寿記念 東山魁夷展』 日本経済新聞社、142頁。
- (3)東山魁夷『泉に聴く』 講談社文芸文庫、67頁。東山魁夷『美の訪れ』 新潮社、149頁。「先生」とは川端康成である。
- (4)『美の訪れ』232頁。
- (5)『美の訪れ』58、157頁。『旅の環』新潮社、79頁。『米寿記念 東山魁夷展』20頁。
- (6)『美の訪れ』58、230頁。『旅の環』新潮社、77頁。
- (7)『旅の環』新潮社、75,76頁。
- (8)『美の訪れ』60頁。
- (9)『美の訪れ』230頁。
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