禅と日本文化

東山魁夷

創造と孤独

創造は身心の消耗

 絵画を創造するのは身心の烈しい消耗である。  川端康成が、志賀直哉にかみついたことがある。志賀直哉の『万暦赤絵』を書くことによって、「作者の生活は微傷だに負っていないことは明らかである。私も一昔前志賀氏を「小説の神様」として耽読した一人であるが近頃読み返そうとすると、その神経の「我」がむかむかとして堪えられなかった。」(3)
 絵画でも小説でも、名作を創造するのは自分の身心をすりへらすものらしい。東山さんと川端に共通の芸術魂があるようだ。そうまで自己の身心をすりへらして、二人は日本人に「何か」を訴えてきたが、二人が嘆くように日本の精神状況は決して良い方向へ向かっているとはいえない。理解されても身心をすりへらす創作であるが、傷ついて訴えても、本当に理解されないとしたら孤独観を感じるであろう。

孤独と鏡

 心の真ん中に鏡がある人がいるという。  真ん中に鏡がある。孤独の人のみが自覚するのである。普通の人は、外が真実だと思っているが、鏡を自覚する人は、その鏡の中が真実だという。天地に我一人という孤独であろう。これは人間の本質的な孤独である。東山さんは、それを描いた。仏教者も同じようなことを語ろうとしてきたが、いまだに理解されていない。容易ではないのである。
 画伯は、孤独の鏡を、絵で語ってきた。しかし、画伯はまた、別の孤独感を抱えていた。画伯の内面には常に孤愁が漂っていた。  画伯は、中学三年の時、心の病気、神経衰弱にかかって(5)淡路島で療養した。神経質(6)で、内気で、孤独な精神生活を送った(7)。
 
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