禅と日本文化
茶道の批判
川端康成も茶道を批判している。それはあたらないという人もいる。ただし、利休の茶道が禅であるということを理解されてのことであるのか、考えてみる必要がある。
川端康成の茶道批判
心理学者が川端を批判
利休、壷をころがす
禅者利休評価は妥当か
茶の湯の精神生活
作法を超えた心こそ茶道
○川端康成の茶道批判
俗悪となった茶
川端は、ノーベル賞受賞の記念講演の『美しい日本の私』という講演において、『千羽鶴』は、茶道は俗化した茶道の否定の作品だと世界の人々に言った。世界に向かって講演したのであるから、よくよくのことである。
「私の小説『千羽鶴』は、日本の茶の心と形の美しさを書いたと読まれるのは誤りで、今の世間に俗悪となった茶、それに疑いと警(いまし)めを向けた、むしろ否定の作品なのです。」(『美しい日本の私』)
小説は、読者から、作者の意図が全く正反対に解釈されることはよくある。夏目漱石や宮沢賢治でも様々な評価がある。経典や道元禅師の『正法眼蔵』が原作者の意図とは違って解釈されていることは学説が種々にわかれるので確かなことである。川端は現代の茶道は俗化したと、この小説で否定したというのである。
心理学者が川端を批判
ところが、心理学者、追手門学院大学教授、安西二郎氏は、川端の茶道の境地は未熟だと批判したのである。
「それにしても、たぐいまれな文人として自他ともにゆるされる、谷崎潤一郎や川端康成でさえ(佳人の美足崇拝についてはあれほど書きこめたのに)茶事に没入する佳人の手捌きや裾捌きについてはもちろん、茶道の境地については、未だしの感が残るのが惜しまれる。」(『茶道の心理学』淡交社、244頁)
安西氏は川端がなぜ未熟なのか、理由は書いておられない。実は安西氏も、同書237頁では、川端の『千羽鶴』に託した茶道批判の言葉を紹介しているのである。しかし、その後に、上記のように、川端を未熟と評したので、川端の『千羽鶴』による茶道批判を相対化し、換骨奪胎する効果を生んでいる。川端康成が俗化した茶道を批判しているが、心理学者からみれば、川端の茶道の境地は未熟であるから茶道批判はあたらない、茶道は俗化したという批判を気にするな、という効果を与えている。
利休の茶道[精神」を真に理解された上で、川端康成の批判(また多くの知識人が繰り返し茶道批判している事実をも考慮して)を真に理解された上で、川端を否定されたのだろうか。次の例がある。
利休、壷をころがす
安西氏は次のように利休は茶人にふさわしくない行動をすると、書いておられる。
「利休と秀吉の確執の謎を解く鍵の一つは、この四大茶会記の一をなす『宗湛日記』だろう。この博多の豪商人であり、秀吉の下に政商となった人物の日記には、ほかの茶人の会記はもちろん、史書にも見られない秀吉のなまの言葉が収録されて、録音機なき時代のレコーダーの感がある。この会記の天正十八年(一五九〇)十月二十日の記入に、紺の網に入れて床に飾ってあった大壷を、利休が客の宗湛の前に投げころがしてみせたとある。
『千利休』の著者村井康彦氏が、この点に注目して「網をのけるのは当然としても、そのあと壷を投げころがすとは一体おかなる料簡か。茶人としては一寸常識では考えられない振舞であろう」と述べて、秀吉との心理的葛藤からくるあてつけだとみておられる。
だが、私見によれば紺は利休の最も嫌悪した色だ。その紺色の網入りの大壷を、故意に床に飾ったのは、全く止むを得ない事情であって秀吉からの拝領品?としか推量しようがない。
しかも、村井氏の評する、茶人にふさわしくない振舞=この暴発的な行動は、この紺色の網入りの大壷が、ほかならぬ秀吉を連想させたとみるときに、初めて納得がいくように思われるのである。
換言すれば、秀吉に対して抑えに抑えてきた感情が(島津征伐や後の朝鮮遠征に対する政商的利用価値のゆえに)、まるで秀吉の思い者ででもあるかのように厚遇されはじめていた宗湛を前に、一挙に噴出したものだろう。
このような発作的な怒りは、ひとり利休のみならず、遠州にもみられるが、記述のごとく、利休の性格の基底に粘着気質をみると、実によく了解出来るのである。」(215頁)
こうして、安西氏は同書の、他の2カ所でも、この推理を正しいとして、利休の性格としておられる。
「だが、過礼症といわれるほどに礼儀正しい茶人が、時として茶人にあるまじきと思われる行動をとるということは、その性格の中にある粘着気質の特徴とみないと不可解な謎になる。」(251頁)
「利休の場合をみても、・・・・・宗湛に対するしうちや、・・・・」(254頁)
禅者利休評価は妥当か
この安西氏の利休評価は妥当であろうか。これも、禅が深いために誤解される一例である。禅者(利休は禅の悟りを得た禅匠である)は、相当の境地の者同志が対面した時、どの程度の禅的境地にあるかさぐりを入れることがある。禅者は大切な命の一時も無駄にしたくない。相手の力量を知らなければ、適切な指導、応対ができない。そこで、棒でちょっとさわってみる、「どこから来たか」「名は何という」と問いかけたり(茶掛けに使われる『喫茶去』の例がある)、様々な行動を示して相手の出方を伺う。道元禅師が初めて如浄禅師にあった時には、如浄禅師は指を立てた(大田著書『道元禅師』58頁参照)。道元禅師は、悟りを得てからは、弟子の指導に際して、しばしば、払子(ほっす)という竹の棒を床に投げる。
利休は、壷を転がして、宗湛がどのような態度にでるか反応をうかがったのであろう。宗湛がどのような態度をとるかによって、宗湛の禅(つまり茶道)の境地の深さがどの程度かを確かめ、その程度にふさわしい茶を教えようとしたのが利休の行動の意図であろう。
何を教えたか、受け止める側では、何を感じたかは、その人次第であって、これを一律に言うことはできない。真剣な受け手は、利休の行動の意味がわからないことをもって、自分の未熟さを自覚するかもしれないし、茶(禅)の境地の高くない場合には、安西氏が感じたような、「うぬぼれるなよ」という程度を教えたのかと低い教えを思うであろう。いずれにしても、利休のこの行動は、決して発作的怒りでも、暴発でもないであろう。禅者にとって何ら不可解な態度でもない。
天才が無理解な学者や評論家にけなされることは、夏目漱石など言っていたのであるが(『道元禅師』3頁)、宮沢賢治が、よく読んだアンデルセンの言葉がまさにそれであり、いつの世も繰り返されるのは、悲しい。
「つまらぬものをば天まで崇め、
ちりの中へと天才おとす、
これはまことに古臭いはなし、
それに変わらず繰り返される」
(つまらない人を天才や仏のようにあがめ)
(天才やほんとうに仏にような人を、ちりの中にたたきおとす)
(これは昔からよくある話だが)
(今でも、相変わらず繰り返される)
(童話作家、アンデルセン『絵のない絵本』)
ガリレオ・ガリレイは地動説を唱えた天才であったが、キリスト教の教義に反するとして牢獄につながれた。後にガリレオこそ正しいことがわかった。そんな古い話もあるが、古来、幾多の天才が愚者たる大衆に投獄され、石を投げつけられたことだろう。ついこの間の太平洋戦争中、戦争に反対する人々を多数の国民は非国民よばわりした。一方、天まで崇められている新興教団の教祖がかげでは信者の女性に肉体関係を迫り、幹部や信者に金集めに走らせ、金や権力に執着する事件があった。権勢欲のかたまりの者を大衆があがめると、国民を戦争にかりたて、へつらう者を重用する。そのような団体の中では、トップを批判することは許されず、言論の自由のない社会になっていく。
茶の湯の精神生活
現代の茶道には、利休の精神が失われている、と多くの人から批判されている。利休の茶が禅と同じであったのに、現代の茶道には何が失われたのか、それをさぐる手掛かりとなるエピソードをみてみよう。
「上林茶会」「壷ころがし」「大衆に媚びない利休」などである。
上林茶会
[今に生きる]の厳しい実践
利休が宇治の上林の茶会に招かれた時の点前評が、伊藤梅宇の『見聞談叢』にある。宇治は茶の産地であった。秀吉や利休に茶を納めていた、その宇治の茶の生産者、上林がある時、利休や大名を招待して茶会が行われた。今をときめく利休や秀吉に覚えあつい大名達を客として、茶をたてた上林は緊張していたであろう。上林が茶をたてたとき、茶杓(茶をすくう竹製のさじ)がなつめ(茶のいれもの)にたてかけたはずが、こぼれて畳みに落ちた。茶筅(茶をかきまわして泡をたてる竹製の道具)も真っすぐ立てるはずが、倒れてしまった。これは作法のみが重視される茶道ならば大失態である。
はたして、利休とともに参加していた大名達は上林のその様子を見て、軽蔑した。上林がたてた茶を飲まず捨てた。しかし、利休は、上林が、失態をも直さず、次々と手前を続けるのを見てとって、日本一の手前だと絶賛した。
「宇治の上林が許へ夜会に、利休大名衆を供してゆきけるに、主人はれがましくや思ひけん、手もとふるう様にて、茶杓のなつめより落つるもなほさず、茶筅のころびたるをもそのままにて、ひざつき利休が前へ茶碗を出しければ、列座のわかき大名方皆まくばせしてゑつぼにいられけるを、利休は日本一の手前かなと感ぜり。」
一筋のこころ
後に、利休はそのわけを教えた。上林は、ただ茶の一服をすすめるのが目的であった。湯のさめぬうちに最もおいしい茶を飲んでもらうというこころ一筋で、我が失敗を修正することなどにこころをさかずなすべきことに全霊をこめてする所はすごいことである、と利休が言った。
「後にそのこころを大名達へ尋ねたまえば、各様をはるばる申し入るる只この一服を進ぜんためばかりなり。これを湯のさめぬさきに奉らんといふこころ一筋にて、軽我(けが)あやまちにこころをかけざりし所こそたてすましたるにて候と申せり。」
作法を超えた心こそ茶道
禅や茶道で[今に生きる][一期一会]ということは常識的意味でなもなく、かけごえだけの精神でもなく、現実であり、極めて厳しい生活実践にならなければならないものである。
点前作法中のミス(すでに過去、自我の名誉)を見ることなく、一糸乱れぬ心で、次の作法に全身心を注いでいるその三昧の姿を見て、利休はほめた。他の人は表面の作法のミスだけしか見えず、上林の「絶対の今に生きるこころ」が見えず、馬鹿にした。ミスをかえりみること、それに動揺すること、それをなおすことは、そのまさに今の瞬間、今なすべきことが見失われる。まさに今なすべきことに全力をあげるならば、ミスをかえりみて、それをなおすことに心をさいていられるものではない。この話は、禅者の過去、未来を思わず、絶対の今[而今:にこん]に生きる精神が、利休の茶にも生きている話である。作法にそそうがあっても、それにとらわれず、あわてず、まさに今なすべきことに全力をつくすこころを見てとった。そこに徹する上林、それを見抜く利休、まれにみる主客である。それにくらべて、茶人を気取る大名達の心の狭く、表面しか見えない浅薄さに自覚しない奢りのあることだろうか。
これは深い茶道精神の厳しさであるが、大名達は自分の未熟を素直に受け入れたであろうか。それとも、「利休に面目をつぶされた、利休め、こしゃくなやつ。」と恨んだであろうか。
利休が、茶道は禅というからには、エゴイズムの捨棄が探求されなければならない。慢心、驕り、我執、いじめ、貪り、など種々の煩悩障(エゴイズム)のこころをみつめなければならなない。
[自分]をたててミスをとがめたてるのでなく、決まった作法も大事であるが、利休の茶道は「人間の道」を追求するものである。作法を超えて、[今]を全力で生きる茶道の厳しさを見る。これを現代の茶道は教えているのであろうか。利休の言動を見ると[真の]茶道は[真の]禅と同じであるようにみえる。現代の仏教は、利休にもおよばないかもしれない。
このページの本アイコン、ボタンなどのHP素材は、「てづくり素材館 Crescent Moon」の素材を使用しています。
「てづくり素材館 Crescent Moon」