禅と日本文化
茶道の批判
茶道は、千利休によって大成されたが、近現代の茶道はしばしば批判されている。利休の茶道とは違っているのだろうか。
茶道批判
田中仙樵(もと大日本茶道学会会長
柳宗悦(民芸運動家)
桑田忠親(元国学院大学教授)
久松真一(もと京都大学教授)
なぜこんな批判が
茶道の批判
禅では、[ただ坐禅すればよい]というのが道元禅師の精神だといって、形だけの坐禅で力のない禅になっている。しかし、そんなのが真の禅ではないと、厳しく批判してきた禅僧や学者がいる。
それと似て、茶道人口はふえたが、茶道も形だけで本当の精神が忘れられているという批判がいつもあったようだ。その批判される内容は禅の批判されるのと似ている。いくつかの批判を見ておく。
○田中仙樵(もと大日本茶道学会会長)
「現今ほど茶の湯の盛んなことはないといわれている。けれども、これは予にいわしむれば、単に茶を点てること、のむ人の数が多いだけで、真実の茶道が行われているとはいえぬ。いわば茶道の堕落した一種の遊芸であることを承知せられたい。」(講談社学術文庫『茶道改良論』一七三頁)
「今日、世間に流行する茶の湯は、利休的伝の本旨に背戻しおる」(六八頁)
利休の創始した茶の湯の、[芸術]と[人の道を究める]の両側面を総合した茶の湯であったものが、後者が忘れさられ、前者だけを追っかけているサロンのごときものになった。茶人には各種の心の病がはびこっているという。こうして田中氏は茶道の堕落を嘆いて新しい茶道を始めた。(しかし、その精神が今も生きているかどうか私は知らない。)
○柳宗悦(民芸運動家)
「古来茶道と禅道とは密接に結び合う。・・・・禅僧と茶人と二人にして同心である。異なるのはただ外なる形に過ぎない。茶道において美を修するは、究竟の境に住まわんためである。」
(岩波文庫『柳宗悦茶道論集』二七頁)」
「誰も「茶道」とは呼ぶが、今は「道」はどこかにかくれて、せいぜい「茶の湯」があるに過ぎなくはないか。」(六〇頁)
「茶の家元とか師匠とかを任じる人々が随分多いが、その大概はたかだか上手に茶事を行うというに過ぎなく、「道」をまで示す茶礼に高まっているとは思われぬ。」((岩波文庫『柳宗悦茶道論集』六〇頁)
「家元は免許状を出すことによって生活し、もらう方も免許を受けることで自分の生活を立てる。これをもっていないと安心して教わりにくる者が来ない。茶人として生計を立てるには、どうしても家元制にしておくのが便宜である。いわば、経済的相互寄食の制度となっている。ここに多くの弊害が現れて来るのである。」(八五頁)
「茶会に多額の会費を求めるのはもとより、箱書とか鑑定とか、また金高の上下で色々応対に差別をつける。昔カトリックで免罪符なるものを売りつけたというが、今の免許状もこれに類似した性質のものに陥っている。地獄の沙汰も金次第というが、今の茶界に金銭の力がどんなに多くものをいっていることか。」(八五頁)
○桑田忠親(元国学院大学教授)
「要するに、客と亭主の心得、というところが大切なのでありまして、いかにして招客をもてなすかにあると思います。つまり、形式的・物質的なものよりも、精神的な心得が大切なのであります。利休以後は、茶道の根本精神を忘れ、人に見せるための形式的な茶事・茶会となり、堕落しているようです。世の中が近代化するにつれて茶の湯も職業化、興行化してしまい、マンネリズムに流れている傾向がなきにしもあらずです。だからそれだけ魅力に乏しいのでしょう。お点前についても、もう少し考えてみる必要がありますし、濃茶の廻し飲みもどうかと思いますね。そして、茶の湯に対する批判を、もう少し行う必要があるのではないでしょうか。」(講談社学術文庫『茶道の歴史』二六一頁)
○久松真一(もと京都大学教授、妙心寺池上湘山に参禅、心茶会創設)
「今日のいわゆる茶人は巧言令色ばかり、−−ばかりというとはなはだ失礼ですが、まあそういうこともまんざら嘘ではないのです。巧言令色というものは、道義に反する似而非(えせ)作法であって、道義性が欠けているだけではなく美的でさえありません。」(講談社学術文庫『茶道の哲学』二一頁)
「まず第一に今日は真の茶道の自覚が欠如している。茶人に本当の茶人としての自覚が欠如している。だからして茶人としての本当の使命が感じられていないということです。それからわびの創造性というものが全く欠如している。全くないといってよい。それから、茶道の本質に対する認識の欠如。これは茶の学問性の問題にもなってくると思います。さらに茶道が生活から全く遊離してしまっているということ。だから民衆性、庶民性というものがないことになっている。茶道は本来そうでないのに今日の茶の世界は非常に封建的である。これがまた茶の発達を非常に妨げてきているのであります。また、茶の作法ということから申しますと、例えば点前というものは必要以上に煩瑣(はんさ)であり、精神が喪(うしな)われた手先の芸に堕してしまっております。だからして一般の生活の上に生きてきません。」(二七頁)
なぜこんな批判が
このように茶道は、繰り返し批判される。現代の茶人批判の言葉を多くの知識者が発しているが、利休自身の茶人批判の言葉をあげよう。
「十年を過ぎず茶の湯の本道すたるべし、すたる時、世間にてはかえって茶の湯繁昌と思ふべきなり、ことごとく俗世の遊事に成りてあさましき成りはて、今見るがごとし、かなしきかな、宗易、漢和ともに古来これなき露地草庵一風の茶の湯を工夫し、おそらく趙州(じょうしゅう)の意味にもかなふべきかなと思ふに、末世の相応せず、程もなく正道断絶すべきこと口惜しきことなり。」(『南方録、滅後』)
利休と同じ時代にすでに茶の精神を本当に理解する者が少なかったことがわかる。利休の予言どおりになったのか、識者の苦言が多い。なぜだろうか。
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