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02.9.4.更新
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ホームページへようこそ。今回のページは散漫になると思いますが二千二年の平塚の夏です。私の今年の夏場の気象予測は大きくはずれてしまいました。蝶の数の変動が激しく予想しにくい夏であったことは確かでしたが、「平年並みの夏」と予想していた気象庁の予想が外れたという以上のはずれ方を私の予想はしてしまいました。
我が家の庭で撮った鎌倉アゲハです。庭に水道で水を撒いたら二匹の鎌倉アゲハが木の葉にとまって羽を休めたのです。下の写真はもう一匹の方です。 これまでこのように私はこの蝶のことを鎌倉アゲハと紹介してきているのですが、今年久しぶりに子供用の昆虫図鑑を購入して調べてみたらナミアゲハと紹介されていました。今まで鎌倉アゲハと呼んでいたものをナミアゲハに変更して下さっても結構です。私の子供の頃は鎌倉アゲハと呼ばれていたのです。
「この二匹の蝶が入れ替わっていたら....」と思います。最初の写真の蝶は左の羽の尾の部分が切れてしまっていますが、もう一方の羽を閉じている蝶の方には羽の痛みがないからです。ですが蝶はこちらの思い通りのポーズでは写真を撮らせてくれません。
羽の痛みならこの黒アゲハの方が痛みが激しいといえます。夏も終わりの九月一日に写したものですが、寿命も残り少なくなったと思われる老いた蝶の姿です。蜘蛛の巣に引っかかることもなく、短い一生を生き抜いて羽にもほころびができ黒い色もあせてしまうまでに生きてきた蝶が、残り少ない余生の姿を見せてくれているといえます。飛ぶのがやっとというような蝶でしたが、人間も年を重ねれば歩くのもやっととなる事もあるのですから、一夏を生き抜いた蝶はその命を全うしたといえるでしょう。
上の蝶は青筋アゲハです。ふつうのアゲハチョウよりも動きが早くまた他の蝶よりも比較的に高いところを飛ぶ習性のある蝶なので、捕虫網で捕まえるのも写真に撮影することも難しい蝶ですが、どうにか九月九日に撮影できました。
下の写真は九月十日に撮影したシジミ蝶の一種です。何という名のシジミ蝶かは分かりませんが、図鑑と比べてみるとミヤマシジミの♂のように見える羽の大きさが一センチほどの小さな蝶です。
もうそろそろ蝶の姿を見ることができなくなる秋です。秋は赤トンボの季節です。以下の写真はたまたまテレビのアンテナに三匹の赤トンボがとまっているところです。飛んでいる赤トンボも一匹写真に入りました。
今年は友人から夏の間にカブトムシを十日ほど預かっていました。「旅行に行っている間、餌と水やりをしてやっておいてくれ」と頼まれて預かり飼育していました。私はカブトムシは飼ったことがないのでちょっと不安でしたが、今は「昆虫ゼリー」とか言うカブトムシの餌まで市販されているようで、カブトムシと一緒にその餌を受け取って飼育しました。カブトムシは夜行性で夜になると木屑の中から這い出してきてその昆虫ゼリーに吸い付いていました。 カブトムシは友人が旅行から帰ってきて返したのですが、九月八日の朝に死んだとメールをもらいました。 一ヶ月ほどの寿命だそうです。従ってこの写真はカブトムシの遺影です。
カブトムシやクワガタは平塚市内か伊勢原の方には今でも自然に生息している場所があるとか聞いていますが、私はその場所を詳しくは知りませんし、また取りに行って飼育して見ようとも思いません。子供の頃だったら早速その場所へ行って捕まえて大喜びしていたことでしょう。ですが今は蝶の数を観察して気象を予想することが趣味になってしまい、昆虫採集も昆虫の飼育もしようとは思わないのです。
アブラゼミです。逆光で撮ったので羽の色がうまくでていませんが、手を出してつかめばつかめそうなところにまで近付けました。今の私は昆虫を殺すことなくこんな風に昆虫の写真を撮っている方が楽しみになってしまいました。子供の頃は昆虫採集に夢中になっていて沢山の昆虫を殺しもしました。それが夏休みの私の宿題として学校に提出するものでもありました。今の教育は生命尊重で「昆虫を殺さないように」と教えるのかも知れませんが、ある昆虫学者は「子供が殺す昆虫の数などたかが知れている。それよりも昆虫の生息場所を開発などで奪ってしまうことの方が遙かに昆虫の数を減らしてしまう行為だ」といっていました。「命のいとおしさが分かるのは大人になってからでよい。自分は子供の頃には沢山の昆虫を殺してしまった....と 。それよりも子供の内に無我の境地で昆虫を追い回す経験の方が大事だ。大人になってしまえば無心になれる経験などは滅多にないのだから。」とその昆虫学者は述べてもいました。 直接的に殺すことと生きていけないようにしてしまうことによってそれ以上の数の昆虫を間接的に殺すことと、どちらが罪深い行為なのでしょうか?
さて、話題を変えましょう。今年から平塚海岸は泳げる海岸になりました。とは言っても泳げる部分は平塚海岸のほんの一角でしかないのですが、それでもそこには海水浴の人たちが大勢いました。もう時効なので書きますが、平塚海岸は二十数年前から実際には泳げる海岸だったのです。泳げる海岸にしたのは実は私です。壊れかかって今にも倒れそうな遊泳禁止の立て札を私が海に投げ捨てて、その後そこには遊泳禁止の立て札が立てられないままになっていたからです。ですから泳いでも良いとはいえなくても少なくとも泳いではいけないわけではなくなっていたのです。今回泳げる海岸になったのはその立て札が立っていた場所よりも東側ですが、西側の海岸も実質上泳いではいけないと言う条件は消えていたわけです。でも泳いではいけないのですが・・・。
このごろはデジタルカメラやビデオカメラを持った変なおじさんが江ノ島をはじめとする湘南海岸に来て女性の水着姿を専門に撮影してライフセーバーの人たちに捕まったりしているニュースがテレビで流れたりしています。バックナンバーには残っていませんが、私も以前大磯のライフセーバーを写して夏場のページにしようと思い海岸に行って撮影していたところ、ライフセーバーの方に「許可を得てからにしてくれ」と言われ、大磯町役場の観光課でしたかに電話を入れて撮影させてもらったことがありました。そのときは事前に許可をもらった日がたまたまひどい曇り空の日でろくな写真が撮れなかったという記憶があります。
今回の撮影にあたって、私は前もって上の写真のライフセーバーの詰め所に行って写真撮影をしても良いかどうかを尋ねました。すなわち許可をどこかでもらってからでないと撮影できないかどうかを聞いたのです。すると一人のライフセーバー の人が「許可を出すような話は聞いていない。個人でやるんだったらかまわないでしょう。」というような返事だったので後日撮影に行ったような次第でした。
この海岸にはビーチバレーのコートもいくつか用意されており、ビーチサッカーもできるようです。
この海水浴場が絶好の場所といって良い見物に適した位置として花火大会もありました。須 賀の花火大会です。
花火をいかにも花火らしく写すのもかなり難しいものだと痛感しています。新聞紙面やテレビなどにも写真や映像が載ったり流れたりしますが、どれほどの枚数の写真の中から選んでいるのだろうかとも思ったりします。
さてこれで今回のこのページを終了します。散漫でテーマ性がない今回のページですが、一夏が終わったと言うことだけは私にとって確かです。皆さんの今年の夏はどんなものだったのでしょうか?またどんなテーマ性があったでしょうか?私の予想に反して 真夏日の多い非常に暑い夏でした。私の予想がこれほどまでに外れてしまった原因ははっきりしないのですが、また来年の夏を私は楽しみに待つことにしています。
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夕暮れの月