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2002 FIFA World Cup

Super Eagles

Nigeria National Team

 

 



02.5.27更新

あなたは 人目の訪問者です

 ホームページへようこそ。2002年5月31日から一ヶ月間にわたってFIFA World Cupが開催されますが、それを控えて平塚市にはナイジェリア代表チームがやってきています。1964年に開かれた東京オリンピック以来のスポーツのビックイベントが日本にやってきたということです。 東京オリンピックの時は私は高校生で高校でサッカーの試合を横浜の競技場に見に行ったのを覚えています。しかし東京オリンピックの場合は主に東京都だけの催しでしたが、ワールドカップは韓国との共催であり、しかも各国チームが日本各地にもキャンプを張って滞在し日本全国が大会を準備し盛り上げるといった形です。ナイジェリアチームはそのような中の一つとして、平塚市をキャンプ地に選んでくれたというわけです。平塚市内の公立中学校で使っていた英語の教科書には以前、ニジェールについての文章が載っていましたが、ニジェールとナイジェリアは別の国です。ナイジェリア国内の西部にはニジェール州という名の場所もあるので私も間違えそうになったことがあるのですが、ナイジェリアはアフリカ大陸のギニア湾沿岸で、ニジェールはナイジェリアの北に隣接するアルジェリアの南側の国です。

 

 ナイジェリアチームの名称はスーパー・イーグルスです。中国の新聞だったら「超鷲」とでもなるのでしょうか。ナイジェリアチームは平塚市よりも世界における知名度は遙かに上でしょう。なぜならナイジェリアチームは九十六年のオリンピック・アトランタ大会で優勝しているからです。当然のことながら、スーパー・イーグルスのスタープレーヤーであるオコチャやカヌーなどの世界における知名度は平塚市長の知名度を遙かにしのぐものだろうと思います。

 

 そこでちょっとだけ、平塚市がナイジェリアチームをどうして呼ぶことができたかについてふれておくことにします。石川京一市長の時に神奈川県から移管された元神奈川県農林試験場跡地を利用して総合公園が整備されました。その総合公園の中に野球場や競技場などのスポーツ施設も作られたのです。そしてその後、平塚市長は吉野稜威雄市長となりました。吉野さんが市長になる頃には日本は不況に突入してしまっていて、「石川さんがいろんなものを作ってお金を使っちゃったから、吉野さんは苦労するよ」と市民の間では取りざたされることもあったのです。ですがそのような施設ができていたからこそ湘南ベルマーレのホームにもなり、またナイジェリアチームを呼ぶこともできたのだろうと私は思います。Jリーグの試合ができる条件をクリアーする競技場にするために、石川京一市長は競技場の設計を変更し拡張工事を行ったのです。

 さて、そのようないきさつはともかく、ナイジェリアチームが平塚にやってくることが決まったので、到着を控えて平塚市内では色々な動きがありました。

 

 駅前には上の写真上段のようなナイジェリアと日本の国旗をかたどった花壇が用意され、街のメーンストリートのポールは紅陽中学校の美術部の生徒達などの手によって海をイメージした絵が書き込まれました。悪戯書きやら張り紙やらで汚れている部分に下塗りをして、その上に絵を描いたのです。それ以外の場所にもペンキが塗られました。それが以下のものです。制作風景と完成した絵です。

 

このように平塚市内は美化月間のようにあわただしくなってきていたのですが、私の自宅の部屋は相変わらずゴミが散らかっています。関係ないか!? まさかナイジェリアチームが私の家にやってくるわけではないから.......

 

 ナイジェリアチーム歓迎の横断幕やフラッグも取り付けられました。そして駅ビルではナイジェリア物産展が催されました。以下の写真がそれらのものです。

 

 左の写真は駅ビルのラスカですが、この六階のフロアーで物産展が行われたのです。右側の写真は何かわかるでしょうか?皿の中の手前右側にある黒い固まりに見えるものはドライドビーフすなわち乾燥牛肉です。ジャーキーほど堅くなくコンビーフほど柔らかくなく、歯ごたえがあって味はコンビーフに近いという感じで、おいしい食べ物でした。その左側はチンチンというナイジェリアのクッキーといったところのものです。そして皿の上側にあるのは、少し形が崩れてしまったのですが、モイモイという豆を原料にした食べ物だそうです。食べた感じはさながら日本のおからといった舌触りなのですが、スパイスが利いていて、最初のとっかかりは奇妙に感じられても食べて行くに従ってどんどん食べられる気分になってきます。そして食べ応えがあって主食に近いものなのかも...とも思いました。写真でもわかるように中にはゆで卵が一個入っていました。

 

 上の五枚の写真の内、最上段のボトルはノンアルコールの飲み物です。穀物を原料にしコーンシロップが入った炭酸飲料なのですが、どこかで味わったような記憶がある甘みのある飲み物でした。

 さて、競技場のナイジェリアチームの話題に移りましょう。五月二十日に到着したナイジェリアチームは二十一日には馬入サッカー場で公開練習を行い、二十二日には横浜Fマリノスと親善試合でした。ここでは二十五日に行われた公開サッカースクールと湘南ベルマーレとの親善試合の様子を紹介します。

 

これ、小さく見える選手は全部三百人の小学生達です。平塚市内にこれほどたくさんのサッカー少年達がいると言うことには驚かされました。このサッカースクールに参加できた人はそれでも市内のサッカー少年の全部ではないだろうと思います。そしてこの会場でプレーした小学生の中には、危険だからという理由で小学生がプレーすることを禁止されているオーバーヘッド・キックをやって見せた選手がいたので驚きました。私も中学生時代にはサッカー部に所属して当時の名前ではフォワードそしてインナーライトと呼ばれていた現在の呼び方で言うとスリートップで組まれたチームの攻撃的ミッドフィルダーをやっていたのですが、オーバーヘッド・キックは怖くてできなかったからです。左下の写真は、サッカースクールが終了したあとで選手にもらったサインを小学生達がプレスの人に見せているところです。この日は会場に入るときに持ち物チェックをされ、「写真機の場合は一度シャッターを押して下さい」といわれるほどでした。写真の中にビデオカメラを持った女性の人が見えると思うのですが、これがまたカッコイイ女性カメラマンのお姉さんで絵になるのです。テレビでもこのサッカースクールの模様は流れましたが、女性カメラマンの映像は映し出されなかったので、下に彼女の写真を載せておきます。

 

 二十六日午後二時からは湘南ベルマーレとの親善試合でした。横浜Fマリノスとの親善試合よりも百人ほど少ない一万五千二百六十七人の観客ですが、それでも平塚競技場にとっては大入りといったところです。二万人も入れば超満員で歩くところもなくなるほどになるような、それほど規模の大きくない競技場ですから観戦に来た吉野市長もまたベルマーレ関係者も大喜びのようでした。少なくともベルマーレ平塚が湘南ベルマーレに名称を変更してからの最高の観戦者数だそうです。私はバックスタンドから観戦したのですが、バックスタンドの観戦料金は一般が四千円、メインスタンドだと六千円です。立ち見の席・ゴール裏は二千円で、バックスタンドの小中高生の料金と同じでした。立ち見席・ゴール裏の中高生の料金は千円でした。これはいつものベルマーレなどの観戦料金よりも五百円ほど高い料金設定だそうです。まさにナイジェリア効果といったところです。平塚市はナイジェリアのキャンプ地になるために五千万円を費用として準備したと言われています。しかし横浜Fマリノスと湘南ベルマーレとの二つの親善試合の観客数は三万人を超え、チケットを最低限の一枚二千円だとしても、チケット収入だけで六千万円があったことになります。それだけで採算はとれたのではないのでしょうか。

 

 ナイジェリアチームと湘南ベルマーレの入場の光景と私のチケット、並びに会場の入り口で渡された抽選番号の紙です。抽選に当たればナイジェリアチームのTシャツがもらえるはずでしたが、五百人の当選者からは私は漏れてしまいました。買えば千三百円なのです。グリーンのユニフォームがナイジェリア、ブルーのユニフォームがベルマーレです。ナイジェリアの航空機事故によってナイジェリアのスポーツ担当大臣も亡くなったとのことで、このあと会場の観客と選手全員で黙祷したあと試合が始まりました。

 

 中央背番号10は、かのオコチャ選手です。この日もかなり強烈なシュートを打ちましたが、キーパーがはじき返してゴールはなりませんでした。身長はそれほど高くはありませんが、ドリブルやパス回しとキックはかなり強い有名選手です。パリのサンジェルマンで活動していると資料にあります。

 

 試合は後半に二点入れられて2−0でナイジェリアチームの勝利でした。ベルマーレとしてはなんとなくナイジェリアに遊んでもらっているという感じで、二人係でマークしても交わされたり突破されたりと、ナイジェリアの個人技のレベルの高さを見せつけられたと言っていいようです。また、ナイジェリアチームは自分のエリアに攻め込まれても、ボールをカットして攻めに転じるスピードが非常に速く、たちまちベルマーレ陣営に切り返すという展開でした。

 

 この試合で唯一ドクターが登場してきた選手同士の接触です。「本体会を前にした親善試合で代表選手にアクシデントでも起きたら」と思いましたが、さいわい両選手ともピッチに復帰しました。ベルマーレの選手がナイジェリア選手の急所にぶつかってしまったようでした。

  五月二十八日午後四時半からは平塚競輪場で市民との集いがありました。予定ではナイジェリアチームは練習のあとで六時頃到着するはずでしたが五十分ほどの遅れになりました。千人ほどの市民が集まったでしょうか。下の写真はその時のものです。ご存じの選手が見つかるでしょうか?

 

  五月二十五日の午前中に予定されていた二度目の公開練習は次の週に延期になり、いつになるのかと日時と場所を聞くために市役所の担当課に電話したところ、日程の関係上取りやめになったとのことだったので、この日がナイジェリアチームを市民が直に目にできるワールドカップ開催前の最後の機会となってしまいました。

 

 この日の会場には吉野平塚市長もやってきて、挨拶の中で馬入のサッカー場の名称をナイジェリアのチームが平塚市をキャンプ地にしてくれたことを記念してスーパーイーグルスにすると宣言しナイジェリアチームのオニグビンデ監督に約束しました。左の写真の眼鏡を掛けている人がナイジェリアチームの監督です。そして来日したナイジェリアチーム全員の直筆のサインを刻んだ記念碑をそこに作るとも表明しました。

 そしてこれは市長も感謝の言葉を述べていたことですが、ナイジェリアチームは平塚市民をはじめとする人たちに十分以上のサービスをしてくれたと思っています。込み合った日程の中でも時間を割いて我々にふれあう時間を用意してくれたことには本当にありがたかったと思うのです。

 五月三十日はナイジェリアチームを目にできる最後の日といっても良い日です。三十一日には練習のあと成田へと向かってしまい、宿泊地である大磯ロングビーチを引き上げてしまうからです。優勝でもして平塚へ戻ってくるようなことでもない限り、間近に目にすることができなくなります。そのためこの日は大磯のプリンスホテルまで出かけました。

 

 選手達も練習のあとで疲れているし、警察官の誘導や時間的な制限もあってこのような写真を撮るだけで精一杯でした。次から次へとバスから降りてくる選手を撮影するのは、その表情まで表現できませんでした。

 そんなことでちょっと不満が残ったので、ロングビーチ出立の日すなわちワールドカップ開催初日の五月三十一日にも朝早くからプリンスホテルに行きました。朝は苦手な私ですが四時半に起きて五時前に行ってみたらさすがに誰一人としていず、ホテルは閉まっていました。なぜそんなに早く行ったのかというと、選手達は練習がある時には六時頃ホテルを出るというような話も聞いていたからです。ですがたまたま警備の警察官に出くわしたので話を聞くと、十時くらいになるだろうとのことだったのでいったん帰宅し、八時に再度赴きました。今回は出立前のことでもあり、選手達がチェックアウトする手続きなどをする合間を縫って自分のTシャツやジャンバーにサインもしてもらえました。私の撮ったオコチャ選手の写真にもサインがもらえたのは感激の限りでした。でもこの日の私の目的は、オコチャ選手の写真を撮ることよりもカヌー選手の写真を撮ることでした。カヌー選手は横を向いてしまったり後ろを振り向いたりで、これまでなかなか望みの写真が写せていなかったからです。以下の写真がこの日の撮ったオコチャ選手とカヌー選手のものです。

 

 赤い帽子をかぶっている写真の選手がカヌー選手です。ベルマーレとの親善試合でも一得点を入れました。ですがはにかみやなのか、写真はなかなか写すのが難しく感じられる選手です。

 このあとナイジェリアチームは一度乗り込んだバスから全員が降りて、ホテルのシェフ達や見送りに来ていた人たちと選手全員が握手してくれました。私も握手してもらえたのです。

 

 私がナイジェリアチームの監督と握手するときに「もう一度平塚へ戻ってきてくれ」というと「そうしたい」というような返事をしてくれました。そして選手達は神奈川県警のパトカーに前後を護衛されてプリンスホテルをあとにしました。

 

 ナイジェリアチームは去っていったのですが、私にとってもこれだけの写真を肖像権云々の話しは全くないままに自由に撮影させてくれたことに心から感謝します。ホテルのロビーでちょっとお話をさせていただいた大磯警察署の方の話しでは、「ナイジェリア政府もナイジェリアの名前を広く知ってもらえるので、写真撮影はむしろ歓迎しているようだ」とのことでした。また大磯警察署の方にはそれ以外にも親切な心配りをしていただき、ありがとうございました。

  以上で今回のこのページを終了します。ワールドカップの期間中、もっと写真などを写すことができたら随時ページに書き加えて行きますので、時々訪ねてみて下さい。ナイジェリアチームが活躍してくれることを心から願っています。組み合わせではアルゼンチン・イングランド・スウェーデンとリーグ戦を行うので、ナイジェリアが予選を勝ち残ればそのまま決勝戦に出ても良いような予選リーグの組み合わせになっています。グループFは「死のグループ」と呼ばれるほどハードなカードばかりです。ナイジェリアチームは試合開始直後からガンガン相手のゴールを攻めたてるようなチームではなくスロースターターの所があるかというのが私の印象です。エンジンが全開になる前に相手にゴールを許したりしないことを祈っています。殊にナイジェリアにとっての初戦であるアルゼンチンは攻撃力が主体のチームのようなので、またFグループの最有力チームとされているので要注意だと思います。と書いて、五月二日には実際に試合があり、1−0でナイジェリアはアルゼンチンに破れてしまいましたが、そのあとに行われたイングランド対スウェーデンが引き分けたので、勝ち点はアルゼンチン3,イングランド、スウェーデン1,ナイジェリア0となりました。ナイジェリアがイングランドとスウェーデンに一勝一引き分けでアルゼンチンがイングランド、スウェーデンに勝ってくれたり引き分けたりしてくれればナイジェリアにはまだ決勝トーナメント進出の可能性がないわけではありません。アルゼンチンとナイジェリアの試合は結果が出てしまったので、私はこれ以後アルゼンチンが勝利を重ねナイジェリアが勝ち点を増やしてくれることを願っています。そうすればナイジェリアチームの決勝トーナメント進出の可能性が高くなるからです。アルゼンチンが三戦全勝してくれても大いに結構です。あとはナイジェリアが一勝一引き分けで済むのです。とこう書いていましたが六月七日になってナイジェリアチームはスウェーデンチームに1−2で破れました。これでナイジェリアチームの決勝トーナメント進出は無くなってしまいました。残念の限りですが、今回のワールドカップ出場国の内でナイジェリアチームは平均年齢がもっとも若いチームといわれます。次回二千六年のドイツにおけるワールドカップで活躍を期してもらいたいところですし、残るイングランド戦で善戦してもらいたいと思います。その夜に行われたイングランド対アルゼンチンの戦いでは0−1でイングランドが勝利しました。ナイジェリアとしてはイングランドとの最終戦を勝利して一矢を報いてくれたらあとのカードの結果次第で非常に面白くなるのですが、どうなるでしょうか。そして十二日の試合では0−0でナイジェリアはイングランドと分けてしまいました。一方のアルゼンチンとスウェーデンも1−1で引き分け、Fグループの決勝進出はイングランドとスウェーデンとなりました。しかしFグループの試合は勝っても負けてもその得点差は全て一点差というものでした。

 Fグループを勝ち残ったイングランドは十五日のデンマークとの試合で3−0と楽勝の試合を演じましたが、Fグループをトップで勝ち残ったスウェーデンは十六日のセネガルとの試合で1−2で破れました。イングランドがどこまで勝ち進むかがFグループがどれほどの力のチームの集まりであったかを証明するのかも知れません。またスウェーデンを破ったセネガルがどこまで勝ち進むかはアフリカ勢のサッカーの水準がどれほどのものであるのかを示すものなのかも知れません。そして十七日には日本とともにリーグ初戦を戦い2−2で日本と引き分けて勝ち残ったHグループのベルギーとブラジル戦があり、0−2でブラジルが勝利しました。そのためブラジルは次にイングランドと戦うことになりましたが、ブラジル・イングランド戦は何か私には今回のワールドカップの実質上の決勝戦のようにも感じられます。力のブラジルか技のイングランドかといったところです。そして二十一日に行われたこの試合は2−1でブラジルが勝ちました。ベッカムが思うような試合ができずイングランドチームに生彩がなかったともいえると思いますが、しかしそれよりもブラジルのロナウジーニョの決勝点となった二点目のゴールの方を誉めるべきかも知れません。これ以後の今回のワールドカップの残りのカードでは、ワールドカップ開催前にはほとんど注目されていなかったにもかかわらず波に乗っているアメリカがどこまで行くかでしたが、アメリカはドイツに0−1で敗れました。そうなると残るはセネガルと韓国が世界の強豪として定評のあるチームとどのような戦いをするかとブラジルが順当勝ちして優勝するかどうかだと思います。そして韓国は二十二日にアルマダすなわち無敵艦隊といわれるスペインをPK戦で破りましたが、セネガルは日本を破ったトルコに延長戦の末0−1で敗れました。しかし準々決勝までくると、さすがにどの試合もどちらのチームが勝ってもおかしくないような非常に面白い試合ばかりです。そして二十五日夜には韓国・ドイツ戦だありドイツが1−0で試合を制しました。しかしこの試合で二人のドイツ選手がイエローカードをもらい、累積で決勝戦には出られなくなっています。果たしてそれがどんな影響をもたらすでしょう。もう一つの準決勝のブラジル対トルコは1−0でブラジルが勝利しました。ブラジルのロナウジーニョは前の試合でレッドカードを受け出場できませんでしたが、決勝戦には出場できるのでドイツとブラジル戦はブラジルのロナウド・リバウド・ロナウジーニョのスリーRとドイツのゴールキーパーであるカーンの対決が見物です。そして二十九日の三位決定戦は3−2でトルコが韓国を破り、三十日の決勝戦は堅固な守りのドイツが多彩な攻撃のブラジルの前に2−0で敗れ、二千二年のワールドカップの覇者はブラジルに決まりました。

 かれこれ一ヶ月間、私はサッカーの試合を堪能させてもらい、またサッカーの試合を満喫させてもらいました。全ての参加国の選手達にお礼を述べたいとおもいます。しかし私はやはりナイジェリアチームを一番応援していたように自分自身感じています。日本チームのことも応援していなかったわけではないのですが、ナイジェリアの初戦のアルゼンチン戦を見終わったときが一番疲れました。二千四年のアテネでのオリンピック、そして二千六年のドイツでのW杯をまた楽しみに待っています。

 最後に、前回のページの続きとして今年の夏場の天気についてですが、W杯が始まってからの蝶々の数に変化が出てきているようです。アゲハチョウの数が減って、アゲハの数よりも紋白蝶の方を多く目撃しています。関東地方は六月十一日に梅雨入りしましたが、梅雨場の気象は前回お知らせしたように空梅雨気味で暑いといえるという予想は変えずにおきます。しかし夏場はひょっとすると涼しくなるかも知れません。少なくとも猛暑とはならないのではないかと思えます。

 

 

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