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02.4.9.更新

あなたは 人目の訪問者です

 

 ホームページへようこそ。二千二年の二月は観測史上二番目、三月は観測史上最高の平均気温を記録するという暖かい冬から春への変化の年でした。 そんな中で四月六日の土曜日に鎌倉へ出かけ写真を撮影してきました。ところが帰ってきたらカメラの誤作動のために、撮ってきた写真をすべて消去せざるを得なくなりました。 次の日は天気予報では雨模様となっていたのであきらめかけていたのですが、当日になってみると案外晴れているようなので、再び鎌倉へと出かけました。

 

  鎌倉の大仏です。私にとっては小学生の時に一、二度来たくらいで、久しぶりの光景でした。1252年に鋳造が始まって、 高さは11.312メートル、台座を含めると13.35メートルの青銅の大仏です。鎌倉市は東海地震の強化地域に含まれるかと思います。大仏の台座にも免震構造が施されているとのことです。私の街の平塚市も東海地震の強化地域にあるので、市内に新しく建てられるマンションは免震構造になりはじめています。

 鎌倉の大仏へは横須賀線の鎌倉駅で降りて江ノ電に乗り換え、長谷駅で降りるとしばらく歩いて到達します。

 

 横須賀線の鎌倉駅です。駅前の左手には鎌倉八幡宮へ通じる鳥居のある道路があります。この日はそちらへは向かわず、江ノ電に乗ることにしました。南口から北口へと線路下のガードをくぐって行くのですが、そこで中国楽器を演奏している男性の姿がありました。きれいな音色の楽器でした。感じはチターといったところですが、もっと柔らかな音でした。この人ばかりでなく、フルートを演奏する人、また土曜日にはバンジョーを演奏している人などが見受けられました。

 

 そして江ノ電に乗って長谷駅へと向かうのですが、江ノ電は今年百周年だそうで、それを記念して20形という新型車両が導入されたようです。下の写真がその新型の車両の写真です。

 

 20形とその車両の中の光景です。どことなくクラシックな感じの電車ではないでしょうか?電車の中はこの日の日曜日よりも前の土曜日の方が混んでいました。江ノ電に乗るのも高校時代以来のことでした。

 そして江ノ電の鎌倉駅から三つ目の長谷駅で下車します。長谷駅は自動改札もなく、改札へ向かうところには踏切のように駅員さんが立って乗客を誘導し、改札では駅員さんが切符を受け取っているような小さな駅です。しかし観光地である古都鎌倉らしく、駅の目には観光客相手の人力車があります。

 

 人を乗せて人力車が走って行く光景も目にできたのですが、カメラの用意が時間的に間に合わず撮影できませんでした。残念です。人力車は私が大人になってから、銀座の街を人を乗せて走って行く光景を目にしたことがあります。東京では都知事の石原慎太郎さんがホテル税を導入し、東京の観光振興の費用に充てると表明していますが、日本の主立った観光地はすべて昔の古都であることを考えると、東京ももはやすでに古都の仲間入りをはじめているのかも知れません。京都、奈良、鎌倉、そして東京都という、観光地の変遷です。

 

 そしていよいよ鎌倉の大仏となります。与謝野晶子は「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は 美男におはす夏木立かな」と歌っています。伊藤左千夫は「こしかたのかさなる罪も御仏の 光に浴みて消えざしめやも」と歌います。正岡子規は「火に焼けず雨にも朽ちぬ鎌倉の はだか仏は常仏かも」と歌っています。「菩薩や観音様が尋ねてくるのを雨にも風にも耐えながらじっと待っているだけだ」と世俗的に解釈もできますが、よくぞこれほど大きなものを作りあげたとは、感心します。

 

 これは大仏さまが履くための特大の草鞋(わらじ)です。この草鞋の左側には鎌倉大仏由来記が掲げられています。以下の写真がそれです。

 

 見えやすいように写真を最大にしました。この大仏は文面から国家や王侯が作ったのではなく、零細な人々の力によって作られたものだそうです。現在で言えば大阪の通天閣のようなものだともいえるかも知れません。発案者は源頼朝の侍女だそうです。時の権力に使えていたとは言っても侍女は使い走りのような身分の低い女性でしかありません。すなわち時の権力の押しつけによって建立されたものでも時の権力の繁栄を祈って作られたものではないということです。そのような意味では庶民の守り仏であり、庶民の信仰の象徴であるといってもいいのかも知れません。

 

 手を水で洗い、大仏の前で手を合わせる人々は絶えませんでした。年輩者なら当然と思って私も見ているのですが、若い世代の人たちがかなり大勢熱心に手を合わせる姿には、ちょっと驚かされました。仏教は日本の国教になった歴史もあり、日本の中ではもっとも信奉者が多い宗教だと思います。キリスト教なら胸の前で十字を切り指を組みます。イスラム教ならアラーの神にぬかずきます。自分を超えた存在に祈るのは祈り方の違いはあってもどの宗教も同じです。私は宗教者としてこのページを書いているわけではなく、一人の鎌倉を訪問した人間として書いているのですが、手を合わせている人が存在することは理解できるような気がするのです。

 そしてこれらの写真を撮ったあと帰ることにしました。出口の所には鎌倉行きのバスも止まっていたのですが、喫茶店でアイスコーヒーを飲んで一休みしたあと、江ノ電で藤沢へと向かいました。途中、江ノ電の車内からは江ノ島を見ることができました。

 

 鎌倉の旅、旅とは言っても私の所からは「ちょっと出かけてくる」くらいの距離の所のページです 。なぜなら平塚市内の小学生にとっては六年生の遠足の目的地になるような距離の場所だからですが、無事藤沢駅へと到着することができました。江ノ電藤沢駅の改札には百周年の垂れ幕が掲げられていて、小さな民間鉄道なのによくまあ百年もの間やってきたと感じました。

 

 このページをご覧になった方々の中には、鎌倉を見たくてもはるばるやってこなければならない場所の方もおられると思います。鎌倉は大仏ばかりでなく多くの名刹が存在していて、一日ですべてを見て回ることは無理かと思います。でもちょっと気が向いたら、海を眺めがてら鎌倉散歩もいいかも知れません。

 さて最後に、毎年行っている夏場の天気の予想ですが、今年も昨年と同様アゲハチョウを先に一匹目撃しました。三月二十四日の日でした。その一週間後の三十一日には紋白蝶を三匹目撃し、四月の七日には紋白蝶を一匹、そしてこれは例外中の例外ですが、スーパーの地下の食品売場に迷い込んだ黒アゲハがたばこの自動販売機のライトに誘われて飛んでいるのを見ました。また十七日には青筋アゲハを一匹 、十九日には紋白蝶を三匹と鎌倉アゲハを五匹,二十三日には鎌倉アゲハを二匹、二十四日にも鎌倉アゲハを二匹、二十七日には紋白蝶を一匹 、二十八日は紋白蝶三匹とアゲハを三匹、二十九日は紋白蝶四匹にアゲハを三匹、五月一日は黒アゲハ一、鎌倉アゲハ二、紋白蝶四匹、五月三日は鎌倉アゲハ一匹、四日には鎌倉アゲハを二匹 、五日には青筋アゲハ一匹、黒アゲハ一匹、鎌倉アゲハ二匹、そして珍しくシジミ蝶を一匹、十日には黒アゲハ一匹、十二日には黒アゲハ一匹、青筋アゲハ一匹、紋白蝶一匹を目撃しています。今年はアゲハチョウが姿を現すのが早く、テレビの気象予報ではアメリカのNOAは世界の今年の三月の気温が百二十年間で最高だったと発表したそうです。今年の夏も昨年と同じく気象異変が大きいかとも予想される状態なのですが、気象庁はエルニーニョが発生する可能性があるとして、今年の夏は冷夏になることをおそれているようです。しかし現在までの所では、少なくとも梅雨の時期が寒くなることはなく、むしろ空梅雨気味で暑くなってもよいように思われる蝶の数と言えます。では、これで今回のページを終了いたします。

 

 

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