01.11.12.更新
あなたは 人目の訪問者です
ホームページへようこそ。 今回は、変わり行く平塚をお見せしたいと思いと思います。 平塚の地はかなり古くから人間が住んでいたようです。今から五千年前の縄文式の時代にも人間がいたようで、貝塚があります。
史跡の紹介文からも読みとれるように、名前は五領ケ台貝塚といいます。私が小学生の頃には遠足でここまで行き貝のかけらを拾い集めた記憶がありますが、今では貝殻を見つけることはほとんど不可能です。イギリス人だったかと思いますが(アメリカ人の生物学者の間違いでした)、モースが日本ではじめて発見した品川の大森貝塚(東海道線の上り電車で品川近辺になると、電車の窓から杭の表示を見ることができる)ほどには有名でもなく、ひっそりとした狭い公園になっているところが貝塚だったのです。五千年前頃にはこのあたりまでが海であったろうと地元の人は考えているのですが、そうだとすると今私が住んでいるところも、また平塚の現在の市街地も当時は海の底であったことになります。 また縄文時代の縄文人がこの場所を五領ケ台と呼んでいたかどうかは縄文人に聞いてみないとわからないことです。
この貝塚の近くには五領ケ台高校があります。進学組と就職組が半々の高校ですが、ご覧のように校舎が丘の上に建てられているので学生達は自転車で坂を上って毎日通学しなければなりません。ですので、この高校へ進学が決まった生徒達には、私は「将来競輪選手になりたければ恵まれた条件にある」と冗談を言ったりします。 この写真の左サイドには電柱と金網の柵が見えると思いますが、金網の柵の南側は東急電鉄が買い上げて開発した土地があります。
左側の写真は沼津線の道路ですがそのすぐ右側に開発された土地が位置しています。十トントラックで千台分以上の土砂を運んできて埋め立てて作った土地です。元々は窪地で一番下の部分は田圃でした。従って埋め立て工事をする前に地盤を強化するための土壌凝固剤を注入してからその上に土砂を入れて作り上げた土地です。東急の人の話では「更地で販売するか、建物を建てて販売するかは検討中だけれど、建物を建ててからの方が買う人にとってはイメージがはっきりして売りやすいだろう。」ということでした。開発段階での平塚市役所の人の話では、企業の研究棟と一般住宅が入ると言うことでしたが、日本の経済状態も様変わりしている昨今の状況を考えると、開発段階での計画通りに行くのかどうかと私などは思ってしまいます。
さて話しは縄文時代の貝塚の付近から江戸時代に一挙に飛びます。縄文時代からなんと四千六百年後の平塚には宿場がありました。東海道五十三次のうちの平塚の宿です。 もう現在は当時を偲ばせる風景はどこにもありませんが、二千一年の十一月初旬に以下の写真のようなものが作られました。東海道の宿場ができて四百年の記念行事の一環かとも思われます。 当然四千六百年前の縄文時代はこの辺も海の底だったわけです。
この辺は当時江戸見附と呼ばれていたのかどうかは私は知りません。それ以外にも平塚には本宿、新宿という地名があります。私が住んでいるところも以前は新宿と呼ばれていたのですが、現在では呼び名が変わり本籍地の名称の中にそれが残っているだけです。このプレートなどが建てられた付近は見付町という町名で現在も呼ばれています。この裏手すぐには見附台体育館があります。それが下の写真です。
ケーブルテレビの市民チャンネルに映っていた市議会の議論では、この体育館が老朽化したため新しい体育館を須賀の方へ移転して新築し、この体育館の跡地に市役所を建設する計画も持ち上がっているようです。ただそれはまだ計画段階の話しで決定したものではないということです。そしてもしここに市役所を建設したら、現在の市役所の跡地利用をどうするのかも課題のようでした。この見附台体育館は少なくとも建てられてから四十五年は経っています。私の幼児期に建てられたもので、建設中の蒲鉾型の屋根組の鉄骨が組まれて行く様子を私は見た記憶があります。そしてその蒲鉾型の屋根の上から自分が滑り落ちそうになる夢を何回か見ました。恐怖で目を覚ましてしまうのです。 心理学者はそんな私の深層心理をフロイトの『夢判断』に照らして分析してみせるかもしれません。ただ、アーチ型の屋根というものをはじめて目にした時期の私の夢でした。
この体育館ではこれまでバレーボールやバトミントンの大会がよく行われていました。ただ観客席は狭いので大勢の観客でにぎわうというような収容人数の建物ではありません。選手の人たちにとっては張り合いがないといえば、その通りだというべきでしょう。
見附台体育館の前の広場では毎年産業祭りが開かれます。今年は十一月の十〜十一日に行われました。土曜日の十日はあいにくの雨でしたが、日曜日はどうにか晴れに恵まれこの写真を撮りました。体育館が移転し市役所がここに建ったりすることにでもなれば、こんな産業祭りの光景も見られなくなることでしょう。
街は変わり姿形は元のままではなくなり、かつての姿は人々の記憶の中だけにしか残っていない時期ももうすぐ来ることでしょう。そんな日のためにここに私の写真を残しておこうとも思い撮影しました。いつもの産業祭りの時の気分とは今年の私はちょっと違った気分でした。
ではこれで今回のホームページを終了します。みなさんの街にも自分の記憶や印象が染みついている場所はあると思います。その風景もいつかは消え去る日を迎えるのかもしれません。そして、「かつてこの地には何々があった」というような記念碑が建つのかもしれません。でも、時代が過ぎれば過ぎるほどそこいら中が記念碑だらけになってしまいます。未来の人間の記憶には全く残らないものもあってもいいのかもしれないとも思います。
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ホームページ作成はでした。
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