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01.4.7.更新

あなたは 人目の訪問者です

 

 ホームページへようこそ。桜の花も咲き入学シーズンの四月になりました。このページは一月以来更新できずにいました。時間がなくて更新が遅れてしまったのですが、申し訳ありませんでした。今回は平塚の名士を取り上げようと思います。上の最初の桜の花がある写真は大久保公園という平塚の公園の写真です。江戸時代平塚を治めていた大久保という殿様の所有の土地が寄付されて作られたので大久保公園という名前が付けられています。現在の平塚市には総合公園という広く立派な公園がありますが、昔はこの大久保公園以外には公園と呼べるようなものが平塚市にはなかったのでした。

 

 これは平塚市役所の写真です。建てられてからもう三十年以上が経つでしょうか。建設当時にはかなり立派に見えた建物でしたが現在では手狭になってしまい、この建物の裏には仮設のプレハブの建物もあって市の業務をしています。この市役所の正面玄関を入ったフロアーには、平塚の名誉市民とされる三人の人物のブロンズ像がおかれています。中央が河野謙三、左が河野一郎、右側には比企 能達(よしさと)[能成と紹介してしまっていたのですが、二千三年六月十五日にご子息の能樹さんからお電話をいただき、このページに記載してあったものの中の過ちをご指摘いただきましたので、正しくは能達ですので訂正いたします。 長いこと誤った文字や事実をこのページに掲載していたことをお詫びしなければなりませんし、私のこのページが比企家の方の目にとまることも、またお電話をいただくなどということも私には全く予想だにしていなかったことなので非常に驚き恐縮してしまったのですが、以下の文章の修正箇所もすべて能樹様のご指摘によるものです 。ご指摘は非常にありがたく思っております。]となっています。

 

 上段左が河野一郎さん、右が河野謙三さん、下が比企能達さんの胸像です。河野一郎さんは建設大臣、河野謙三さんは参議院議長を務められた政治家なので、また現在は河野一郎さんの息子の洋平さんが外務大臣を務めたりしているので平塚市民の多くの人も知っている人ですが、比企能達さんとは誰でどんなことをした人なのかは平塚市民にもあまり知られていないと思います。そこで今回は、この比企能達さんについてちょっと紹介することにします。

 比企能達さんという方は舌癌の大家といわれた医師です。日大の学長(総長としていましたが、学長だそうです。)を勤め東京の国立ガンセンターの二代目(初代としてありましたが、初代総長は田宮さんとおっしゃる方だったとのことです。ただこの方が就任後まもなくお亡くなりになってしまい比企さんが次の総長になられたとのことです。)の総長も務め、日本の高度経済成長を実現した池田勇人首相の主治医でした。年輩の方は池田勇人氏の話す声ががらがら声だったことを覚えていられる人もいらっしゃると思いますが、池田勇人氏は喉頭癌を患い、その執刀をしたのがこの比企能達さんだったのです。そして皮肉なことに、比企能達さん自身も喉頭癌を患って池田勇人さんと同じ病室に入院されていて亡くなったということです。

 この比企能達さんの家、すなわち比企家は医師でしたが、子供さんたちが亡くなって跡取りがいなくなってしまったために能達さんは養子として迎えられた方だそうです。母の話では、「この銅像は似ていない」とのことですが、私はこの方に会ったことがありません。比企家は幼稚園を設立しています。私もその幼稚園に通ったのですが、幼稚園に入園させてもらうためにこの方のお母さんに当たる方、すなわち当時すでにおばあさん(幼稚園の園長先生を務められていたとのことです)になられていた方に挨拶するために母に連れられて比企家に行き「偉い人のお母さんなのだから、ちゃんとご挨拶しなさい」と母にいわれて、そのおばあさんの前で正座してお辞儀をしたことを覚えています。おばあさんは病を患われていたため(震災で家族を逃がそうと家の中に残っていて、家の梁が落ちてきたために腰骨を痛められたと能樹さんから伺いました)に座椅子にもたれていられたのですが幼稚園にこれから上がろうとする子供の目から見ても小柄に思える方でした。その幼稚園は二葉幼稚園という名前で、現在も平塚にあります。それが以下の写真です。

 

 ごらんのようにキリスト教の幼稚園です。日曜日には礼拝があって牧師さんの話を聞いたこともあるのですが、幼稚園児にとっては難しくてわかりませんでした。たた幼稚園に七重ちゃんという女の子がいて、年長組にいたその子のお姉さんがかわいかったことを覚えています。それが私の人恋い染し初めで初恋はこれだったんじゃあないかなどと思ってしまいますが、まあこれは余談で、比企家の話とは全く関係がありません。

 比企家は能達さんのお父さん すなわち比企喜代助さんの代からこれ以外にも現在の平塚に功績を残しています。現在は県立になっている平塚盲学校と平塚聾学校の前身の平塚盲唖学校を設立した有志たちの一人だったのです。医師であった比企さんや学校の元校長だった方、あるいは平塚の大地主の方たちが資金や土地あるいは教育のノウハウを持ち寄って私立の学校を設立したのです。学生たちの健康診断などは比企家の医師たちがボランテイアで無料で行われていたとのことです。今のように国民健康保険制度などの無かった時代の話です。その後この私立の平塚盲唖学校は神奈川県に移管されて、現在は県立平塚盲学校、県立平塚聾学校になっています。それが以下の写真です。

 

 これは平塚聾学校のものです。平成に入ってから建て替えられたのでまだ真新しいちょっと変わった作りの学校です。

 

 こちらが平塚盲学校です。目の不自由な方が白い杖をついて歩いてこられるのがわかると思います。聾学校と盲学校は同じ道路を挟んで筋向かいに近い配置で建てられています。

 どこの街や村にもその土地の篤志家といわれる人たちがおられると思います。土光臨調といわれた中曽根内閣の時の土光敏夫さんも女子校を設立し、土光さんが亡くなられたときにはその棺の車が学校の門の前を通るときに女子高生が整列して見送る姿を私は新聞の写真で目にしました。「土光さんのいわし」といわれて、年老いた老夫婦の食事は質素なものだったようですし「志は高く、生活は低く」という言葉をも残されてはいますが、政府の仕事をすることから得られたお金などをこの女子校の運営に当てられていたようです。比企家の方たちも私立の学校に資金面での援助をしてもいたということです。戦後の日本は先の池田勇人首相の時代の高度経済成長路線によって多くの国民の生活水準は向上し、ことに中産階級の増加という中所得者階層が増える社会になりました。私はカネ儲けを悪事だなどとは思わない人間です。カネを儲けるには儲けるなりの才能と時代との巡り合わせという運がなければできないことで、誰でもが望めばそうなれるというものではないと思うからです。ただ、「金持ちは金持ちだけのことを社会にしてくれていた」と思えるような金持ちがいてくれることを望んでいるのです。マスコミではカネにまつわる不祥事が頻繁に伝えられますが、「金持ちはやはり金持ちだけのことはある」と思える人物が日本の社会にもいてほしいのです。庶民は金持ちをただうらやむだけなのかもしれません。ですがその金持ちたちがなにをしていたのかを知ったとき、自然に感謝の気持ちがわいたり尊敬の念がもてたとしたら、その金持ちはただの金持ちではない人だということになるからです。もしそうでないなら、別に裕福ではないのに旧敵国の日本人の子供達を社会の目をはばかりながら育て上げてくれた中国残留孤児の養父母の方々の方がどんなに立派かと思えてくるのです。

 以上は平塚の名士あるいは名家といってもよいかもしれない人の話でしたが、平塚には現在多くのマンションが建てられ新たに平塚の住人になっている人たちが大勢います。平塚にも名士や名家というものはあるとはいっても、平塚は庶民性の強い街でもあります。街のイベントを眺めていると、これでいいんだと私などは強く思ったりします。子供たちが屈託無くはしゃいだり喜んだりしている姿は否定できようもないものだからです。

 

 街のイベントで神奈川県警の婦人警官の白バイに子供が乗っているところです。この日は青空市場の日でした。七半(750cc)のバイクなので重量があり、倒れたりすればそれこそ大変なことになるのですが、子供にとっては夢中になるのもわかる気がします。私もパトカーには二度乗ったことがあります。学生時代に東京で一回、それ以後平塚へ帰ってきてからの都合二回です。以前から乗ってみたいと思っていたのです。警察官同乗でパトカーに乗る気分も悪いものではありません。何で乗せてもらえたのかはご想像にお任せしますが、少なくともイベントで乗せてもらったわけではなく、また私は凶悪犯罪の前科があるわけでもないことは確かです。白バイにも是非乗せてもらいたいと思うのですが、果たして私の夢は叶うのでしょうか?

 

 白バイなどに乗ると若いお兄さんでもこんなポーズがとってみたくなるのです。恋人かと思われる茶髪で厚底靴をはいた写真機を手にした女性にポーズを取って見せているところに私も便乗して写真にしてしまいました。

 

 こんな婦警さんになら何度捕まってみてもいいと思いませんか?私なんかはバイクですり寄っていきそうですが、でも七半を自在に操縦できるには体力が必要で、女性だからといってもかなり腕力は強い方なのかもしれませんので迂闊に近寄ったりすると「メッ!」っていわれるかもしれません。

 

 東京や横浜ほどではないにしてもある程度の高さのビルが平塚にもあるのでこんな梯子車も必要のようです。子供たちはこの梯子車の運転席の屋根に登って遊んでいました。

 

 震度5の地震を起震車で体験しているところです。「子供のうちから訓練しておけば自信がつく」といったところでしょうか。東海沖地震や富士山の噴火などが取りざたされている昨今なのでこのような経験も必要かもしれませんが訓練だけですんでくれればとは思います。

 

 同じ日に行われていた子供たちのダンスです。それでも結構色気があるでしょう!?「もう少し露出度の高い衣装の方が.....」などというとさっきの婦人警官の人が飛んできたりするかもしれません。

 では最後に、イベントの開かれている道路のところに柵をおいて放たれていた七面鳥(?)の写真を紹介して今回のページを終わります。

 


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Tel/Fax: 0463(32)4971

 

ホームページ作成はでした。では中学生・高校生の英語・数学の個人・個別指導を承っています。対象地域は平塚市・大磯町・伊勢原市。二宮町などです。ご希望の方は上記の電話かメールでお問い合わせください。またでは英文翻訳も承っています。英文の日本語訳あるいは日本文の英語訳などご希望の方も上と同様の方法でお問い合わせください。

 

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                                     平塚市の遠景です。