Welcome to My Web Page Welcome 21 Century 2001.1.1.更新 あなたは 人目の訪問者です ホームページへようこそ。いよいよ二十一世紀がスタートしました。二十世紀がどんな世紀だったのかは人それぞれに感慨があるとは思いますが、二十一世紀がどんなものになるのか、またどんなものであって欲しいのかも色々でしょう。どんな世紀になるのかをある程度予想や予測はできても、それが必ずそうなるというものでもありません。なぜなら人間には意志があって、行動を色々自分なりに変えることができるからです。 今回のホームページには最初に小田原城の写真を掲載しました。「松風騒ぐ丘の上 古城よ一人なに偲ぶ 栄華の夢を胸に 追い あ〜 仰げば侘びし 天守閣」という、かつて三橋三智也さんが歌った『古城』という歌をご存じの方も居られるかと思います。あるいは『荒城の月』は皆さんご存じの事かと思います。このどちらの歌も入試問題として、「その歌の内容を表す四字の熟語を答えよ」と質問されたら「栄枯盛衰」が正解とされることでしょう。その四字熟語の意味を多くの受験生がマジで知らないとしたら、日本はまさに栄枯盛衰の道を歩むことだろうとも思えてきてしまいます。でももし将来の日本がそうなったら現在の若い世代は「えっ!マジ〜」と思うのかもしれません。 カラー写真ではなくモノクロでこんな風に写真を撮ると『古城』の歌のイメージに近くなると思います。小田原城は文化財に指定されていて修復などもされているので、実際の見た目では真新しい城と言った感じがします。これだけの城を築くのにどれだけの人が働いたのでしょうか。城の土台となる石垣を組むのにも大勢の石工の人たちが携わっていたことでしょう。江戸城の石垣の組み方よりも隙間が少ないようにも感じられます。学生時代に友人に岡山を旅行させてもらったときに、友人の幼友達に案内されて岡山藩の藩校を見せてもらったことがありました。その藩校の周りにも生け垣よりもちょっと低い高さの石垣があったのですが、組み方が非常にきっちりとできているので,「トラックが衝突しても石垣は壊れずにトラックの方が壊れてしまう」という説明を聞かされて驚いたことがあります。 二十世紀といわれる時代にも栄枯盛衰があったと思います。「二十世紀は日本の世紀だった」とはドイツの研究機関が発表しているところですが、その日本も二十世紀の終盤には大きな苦境の中にあるといえます。二十一世紀初頭における「古城」は銀行の本店のビルやあるいは地方自治体などの豪勢な庁舎なのかもしれません。しかし中世や近世の城ならば情緒豊かな歌にもなるでしょうが、銀行のビルや行政の庁舎などを趣のある歌にするのは難しいのではないでしょうか。『古城』の替え歌でそれら現在の高層ビルを表現すれば、歌の最後の部分などは「仰げば侘びしへリポート」とでもなるのかもしれません。そして現在の銀行のビルや行政の庁舎などで、後々文化財としてその価値が認められる建物はどれだけ存在しているのでしょうか。 上の写真は小田原城の写真を撮ろうと思って小田原に向かっている途中の国道一号線の交差点で起きた事故の模様です。国府津か鴨宮付近の交差点だろうと思って道路地図を調べましたが、「西前川」という交差点を発見できませんでした。この日は十二月二十四日のクリスマスイブの日だったので、なんと派手なことを!と思ってしまいました。信号機の付いた電柱が根こそぎにされているのがおわかりになると思います。しかし電線は切れておらず信号機は横倒しになりながらも点滅しているのです。信号機なので電気も通っているため、火災の心配もあるからでしょうか交通事故にも関わらず消防車も出動していました。現場で交通整理をしていた警察官の方に「すごいですね」と話しかけると、「どうしてこういうことになるんですかね」という答えが返ってきました。 何か日本経済の二十一世紀の始まりの時点を表しているような感じの事故です。スクールゾーンを示す表示板のポールの値段でも七十万円ほどだと以前警察官の方から伺ったことがあります。電柱だと一本百万円以上するとは友人の話です。私は車の運転はしないので写真のようなワゴンの値段がいくら位なのかを正確には知りませんが、もしその車の値段を百五十万円以上だとすると信号機及び電柱の値段とワゴン車の値段を合わせたかれこれ三百万円もの費用を事故を起こした人は負担させられるのかもしれません。これは個人にとっては大きな経済的痛手だと私などは思ってしまいます。ましてや事故で死ななかったにしても負傷したりした上にさらにこのような経済的な負担まで背負い込むようなことになれば個人にとっては最悪な気分になることでしょう。それと同じように日本経済は果たしてクラッシュを起こさずに推移できるでしょうか。それとも信号機さえもが使い物にならないような状況の中で大混乱に陥ってしまうのでしょうか。下手をすると我々は大きな費用負担をせざるを得なくなります。対処を急がなければならないが慌てることもできないような難しい状況からの日本の二十一世紀のスタートだとは感じています。 先の小田原城の丘の上には、城の脇に小さな動物園があります。「あります」といっても、私は行ってみて思い出したのです。自分が幼かった頃に両親に連れられてここへ来たことをです。ここに着くまではすっかり動物園があることなどは忘れてしまっていました。象やら猿やら小鳥たちやらが居たので、思わず幼かった日の事がよみがえってきてしまいました。その日も家族連れで来ている小さな子供達も何人も居ました。そんな子供達には二十一世紀への日本のスタートが非常に逆境の中でのものだなどということなどわかるはずもありません。私自身も、ここへ来た子供の頃の時代がどんな時代だったかなどという印象は皆無です。でも、その時代にもここにはこんな風に象が居て、猿も居て、小鳥たちも居ました。象にとっても猿にとってもまた小鳥たちにとっても、自然の中で暮らしていることからすればあまりにも狭苦しい生活なのかもしれません。しかし私には懐かしいものでした。それは城の眺めよりもなによりもです。 こんな立派な城の門をくぐって行くと動物園があるのです。しかし子供にとってはお城の歴史やその立派さなどよりも、自分と遊んでくれそうな、あるいは自分を喜ばせ楽しませてくれそうなものの方が大事なのだろうと思います。大きなお城に住むことに喜びを感じられるのは大人であって、子供はどんなところに住むことにも順応できる存在だろうと思います。 お城の前には三の丸小学校という小学校がありました。校舎の作りにお城の形を取り入れてある、ちょっと変わった形の校舎の小学校です。「お城の前にある学校だから歴史教育ばかりしている」というのであれば、学生時代には歴史が(も?)苦手で、今頃になって歴史は結構おもしろいと思い始めている私などはかなり閉口させられただろうと思います。 さて、天気予報も「嵐の年明け」と予報している二十一世紀初めの私のホームページをこれで終了します。疾風怒濤のような世紀の幕開けになるのかもしれませんが、皆さんの健康とご多幸を祈りながら、また私自身も何かしらの活動をこれからも長く続けて行くことができることを願いながら今回のページといたします。皆さんの夢もまた私の願いも幾分かでも叶う世紀でありますように! Tel/Fax 0463(32)4971
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あなたは 人目の訪問者です
ホームページへようこそ。いよいよ二十一世紀がスタートしました。二十世紀がどんな世紀だったのかは人それぞれに感慨があるとは思いますが、二十一世紀がどんなものになるのか、またどんなものであって欲しいのかも色々でしょう。どんな世紀になるのかをある程度予想や予測はできても、それが必ずそうなるというものでもありません。なぜなら人間には意志があって、行動を色々自分なりに変えることができるからです。
今回のホームページには最初に小田原城の写真を掲載しました。「松風騒ぐ丘の上 古城よ一人なに偲ぶ 栄華の夢を胸に 追い あ〜 仰げば侘びし 天守閣」という、かつて三橋三智也さんが歌った『古城』という歌をご存じの方も居られるかと思います。あるいは『荒城の月』は皆さんご存じの事かと思います。このどちらの歌も入試問題として、「その歌の内容を表す四字の熟語を答えよ」と質問されたら「栄枯盛衰」が正解とされることでしょう。その四字熟語の意味を多くの受験生がマジで知らないとしたら、日本はまさに栄枯盛衰の道を歩むことだろうとも思えてきてしまいます。でももし将来の日本がそうなったら現在の若い世代は「えっ!マジ〜」と思うのかもしれません。
カラー写真ではなくモノクロでこんな風に写真を撮ると『古城』の歌のイメージに近くなると思います。小田原城は文化財に指定されていて修復などもされているので、実際の見た目では真新しい城と言った感じがします。これだけの城を築くのにどれだけの人が働いたのでしょうか。城の土台となる石垣を組むのにも大勢の石工の人たちが携わっていたことでしょう。江戸城の石垣の組み方よりも隙間が少ないようにも感じられます。学生時代に友人に岡山を旅行させてもらったときに、友人の幼友達に案内されて岡山藩の藩校を見せてもらったことがありました。その藩校の周りにも生け垣よりもちょっと低い高さの石垣があったのですが、組み方が非常にきっちりとできているので,「トラックが衝突しても石垣は壊れずにトラックの方が壊れてしまう」という説明を聞かされて驚いたことがあります。
二十世紀といわれる時代にも栄枯盛衰があったと思います。「二十世紀は日本の世紀だった」とはドイツの研究機関が発表しているところですが、その日本も二十世紀の終盤には大きな苦境の中にあるといえます。二十一世紀初頭における「古城」は銀行の本店のビルやあるいは地方自治体などの豪勢な庁舎なのかもしれません。しかし中世や近世の城ならば情緒豊かな歌にもなるでしょうが、銀行のビルや行政の庁舎などを趣のある歌にするのは難しいのではないでしょうか。『古城』の替え歌でそれら現在の高層ビルを表現すれば、歌の最後の部分などは「仰げば侘びしへリポート」とでもなるのかもしれません。そして現在の銀行のビルや行政の庁舎などで、後々文化財としてその価値が認められる建物はどれだけ存在しているのでしょうか。
上の写真は小田原城の写真を撮ろうと思って小田原に向かっている途中の国道一号線の交差点で起きた事故の模様です。国府津か鴨宮付近の交差点だろうと思って道路地図を調べましたが、「西前川」という交差点を発見できませんでした。この日は十二月二十四日のクリスマスイブの日だったので、なんと派手なことを!と思ってしまいました。信号機の付いた電柱が根こそぎにされているのがおわかりになると思います。しかし電線は切れておらず信号機は横倒しになりながらも点滅しているのです。信号機なので電気も通っているため、火災の心配もあるからでしょうか交通事故にも関わらず消防車も出動していました。現場で交通整理をしていた警察官の方に「すごいですね」と話しかけると、「どうしてこういうことになるんですかね」という答えが返ってきました。
何か日本経済の二十一世紀の始まりの時点を表しているような感じの事故です。スクールゾーンを示す表示板のポールの値段でも七十万円ほどだと以前警察官の方から伺ったことがあります。電柱だと一本百万円以上するとは友人の話です。私は車の運転はしないので写真のようなワゴンの値段がいくら位なのかを正確には知りませんが、もしその車の値段を百五十万円以上だとすると信号機及び電柱の値段とワゴン車の値段を合わせたかれこれ三百万円もの費用を事故を起こした人は負担させられるのかもしれません。これは個人にとっては大きな経済的痛手だと私などは思ってしまいます。ましてや事故で死ななかったにしても負傷したりした上にさらにこのような経済的な負担まで背負い込むようなことになれば個人にとっては最悪な気分になることでしょう。それと同じように日本経済は果たしてクラッシュを起こさずに推移できるでしょうか。それとも信号機さえもが使い物にならないような状況の中で大混乱に陥ってしまうのでしょうか。下手をすると我々は大きな費用負担をせざるを得なくなります。対処を急がなければならないが慌てることもできないような難しい状況からの日本の二十一世紀のスタートだとは感じています。
先の小田原城の丘の上には、城の脇に小さな動物園があります。「あります」といっても、私は行ってみて思い出したのです。自分が幼かった頃に両親に連れられてここへ来たことをです。ここに着くまではすっかり動物園があることなどは忘れてしまっていました。象やら猿やら小鳥たちやらが居たので、思わず幼かった日の事がよみがえってきてしまいました。その日も家族連れで来ている小さな子供達も何人も居ました。そんな子供達には二十一世紀への日本のスタートが非常に逆境の中でのものだなどということなどわかるはずもありません。私自身も、ここへ来た子供の頃の時代がどんな時代だったかなどという印象は皆無です。でも、その時代にもここにはこんな風に象が居て、猿も居て、小鳥たちも居ました。象にとっても猿にとってもまた小鳥たちにとっても、自然の中で暮らしていることからすればあまりにも狭苦しい生活なのかもしれません。しかし私には懐かしいものでした。それは城の眺めよりもなによりもです。
こんな立派な城の門をくぐって行くと動物園があるのです。しかし子供にとってはお城の歴史やその立派さなどよりも、自分と遊んでくれそうな、あるいは自分を喜ばせ楽しませてくれそうなものの方が大事なのだろうと思います。大きなお城に住むことに喜びを感じられるのは大人であって、子供はどんなところに住むことにも順応できる存在だろうと思います。
お城の前には三の丸小学校という小学校がありました。校舎の作りにお城の形を取り入れてある、ちょっと変わった形の校舎の小学校です。「お城の前にある学校だから歴史教育ばかりしている」というのであれば、学生時代には歴史が(も?)苦手で、今頃になって歴史は結構おもしろいと思い始めている私などはかなり閉口させられただろうと思います。
さて、天気予報も「嵐の年明け」と予報している二十一世紀初めの私のホームページをこれで終了します。疾風怒濤のような世紀の幕開けになるのかもしれませんが、皆さんの健康とご多幸を祈りながら、また私自身も何かしらの活動をこれからも長く続けて行くことができることを願いながら今回のページといたします。皆さんの夢もまた私の願いも幾分かでも叶う世紀でありますように!
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